蒼い色が広がった。
それが何かに気付く前に、『俺』の身体に衝撃が迸る。
ビシャアアアンッ！！
高く跳躍していた『俺』に、蒼い稲妻が直撃した。
『俺』はさしたるダメージは受けなかったものの、流石に衝撃をまともに受けてはどうすることもできずに、地面へと落下していく。
地面に体が激突する寸前にバランスを立て直し、両足で地面に足をつけた。
ドシンッ・・・！
『俺』の着地音が、やけに辺りに響いた。
『俺』は紅い瞳を光らせ、『俺』に稲妻を放った者を探す・・・間違いなく、先程の稲妻は人為的に『俺』に落とされたものだ。夜空には雲一つなく、満月が辺りを煌々と照らしている状況でどうして自然に稲妻が発生しようか。
ふと、『俺』の視線が止まった。
暗闇の向こう・・・何かが、いる・・・。
『俺』は油断無く身構え、威嚇の声を上げた。
「グルルルルルル・・・！」
『俺』の本能が察知する。
この闇の向こうに存在する者は、ひ弱な人間ではない。計り知れない力を持つ、チカラを持つ者だ。
油断ならない。
『俺』は緊張すると共に、歓喜に打ち震えていた。
強い者が、目の前にいる・・・。
その者が命を散らすときに放つ紅い鮮血の華は、さぞや美しいことだろう。
ひ弱な者の命の華とは、桁違いの美しさなはず。
『俺』は今すぐにでも飛び出そうとする『俺』を必死に押さえていた。
「・・・・・くろい、こころ・・・」
・・・・・。
『俺』は愕然とした。
「・・・ほんとうに、まっくろで・・・なにも分からないよ・・・・」
そこにあった姿は、『俺』の想像していたものとかなり違っていた。
大人しそうで、ひ弱そうな、子ども。
もう一人の『俺』のことを知っている・・・ハサハとかいう子どもだった。
何故、ここにいる・・・？
「・・・ハサハの言うことに、今まで間違いはなかったから・・・な」
今度は後ろからだ。
この声にも聞き覚えがある。
「こいつが、本当にあの人なのか・・・？」
剣を抜いて『俺』に向け、油断無く身構えているのは、確かマグナとか言う人間の青年。
何だ・・・？ 『俺』がここに来ることが分かっていたようなことを言っている・・・。
「・・・あの人は、心を黒く侵されていました・・・・・この姿こそ、その黒の元だと思います」
もう一人の『俺』の話を真剣に聞き、救いの手を差し伸べようとした少女、アメル。
こいつも何故か、ここにいた。マグナの後ろで、じっと『俺』の姿を見据えている。
その瞳には、うっすらと光るものがあった。
何だあれは・・・・・？
『俺』には分からない。
威嚇のうめき声を上げながら、三人を牽制する。
「・・・それで、どうすればいいんだ？」
『俺』とは一定の距離を保ちながら、マグナがハサハに問う。
ハサハは首を横に振った。
「わからない・・・けど、ファナンに行くのは止めないとだめ・・・・・」
「・・・そうですね。ファナンに行かせるわけにはいかないです」
・・・・・どうやらこいつらは、この『俺』をここで足止めする気でいるらしい。
身の程知らずめ。
「話し合いができる状態なんかじゃないからな・・・戦闘不能まで持ち込むしか・・・・ないよなっ！！」
マグナが俺に向かって駆けた。
『俺』はその姿だけで理解する。
マグナという人間は、並大抵の者よりも遙かに『強い』だろうことを。
『俺』も本気を出すしかないだろうな。
マグナ一人だけならまだしも、後ろにはハサハ、そして治癒の力を持つアメルがいるのだ。手を抜いてる暇などないだろう。
『俺』はそんな状態の中で、笑った。
声高く、笑った。
「・・・っ！？」
動揺の顔を見せるマグナ。
――さあ、存分に楽しませてくれ――
『俺』はマグナを迎え撃つ。『俺』に向かって振り下ろされた剣を左手の爪で弾き飛ばし、結果的にがら空きになったマグナの腹に、風を唸らせながら強力な足蹴りを食らわせようとした。しかしマグナはそれを身を捻ってかわして、バックステップして『俺』から距離を置く。
「ハサハっ！！」
「・・・お願い・・・鬼神将ガイエン・・・っ！！」
マグナの声に応えて、ハサハがそう叫んだ。
蒼い光の球体が生まれ、ハサハの体からゆっくりと立ち上っていく・・・。
これは以前にも見たことがある。ハサハが使っているのは、恐らく召喚術というものだろう。異界の力ある者を召喚し、その者より力を借りるという・・・・自分に力のない人間たちのやりそうな手段だ。
蒼い光が大きくなり、やがて眩い光を放って消えた。そしてその場に姿を現したのは、巨大な剣を携えた武人。
すっ、と音もなく武人が動いた。
剣を鞘に収め、抜刀の形を取っている。向かってくる先は勿論『俺』だ。
『俺』は全身の筋肉に力を込め、身構える。
そして武人が『俺』の間合いに入った瞬間、地面を蹴って『俺』は跳んだ。至近距離からの突撃。普通の者ならば対応できるはずがないスピード。
しかし武人は動いた。
目にも止まらぬスピードで、剣を抜刀する。
『俺』は漆黒の爪を振りかざした。
ガギッ！！
堅い物がぶつかり合う音がする。
『俺』の爪と武人の剣が重なった。その衝撃は凄まじく、『俺』と武人を中心に空気が振動する。
「馬鹿なっ・・・！？ 鬼神斬を止めた！？」
驚きの声が『俺』の後ろであがる。マグナだ。
どれほど強い技なのかは知らないが、『俺』にとっては別にどうと言うほどでもない。
『俺』は目の前の武人を体当たりで弾き飛ばし、そして高く跳躍した。
武人は光に包まれて消える・・・元の世界に戻ったのであろう。
「グオオオオオオオオオオオッ！！！！」
『俺』は空中で吼える。
月を後ろに背負いながら。
『俺』はまずマグナという人間に狙いを定めて、落下していった。
「・・・何故ついてくる？」
「・・・・・・・・・・」
「黙ってたら分からないだろ？ どうしてお前は、俺についてくるんだ？」
「・・・・・・・・・・」
俺の記憶が始まってから、一年目の夏。
道なき道をゆっくりと歩く俺。
そのすぐ後ろを歩く、名前も知らない黒髪の少女。
・・・恐らく、俺がこの少女の両親を殺した。
俺を憎んでいるだろう。幸せな日々を・・・大切な人を、壊されたのだから。
先程は俺に剣も向けていた少女。しかし彼女は、俺を殺さなかった。
殺さなかったばかりか、先程からずっと、俺の後をつけてきている。単に目的地が一緒、という可能性はないだろう。俺は街に向かっているわけじゃない。今だって街道から逸れた道を、人目をはばかるようにして歩いているのだ。
そう。俺に目的地などない。ただ、人のいない場所を目指している。
そして、この少女がそんな俺と目的地が一緒なわけがない・・・・・。
「・・・・・俺は、お前の両親の仇だぞ？ 分かってるのか？」
「・・・・・・・・・・」
「お前を、殺すかも知れないんだぞ・・・？ 分かっているのか！？」
立ち止まり、少女を瞳を睨みながら口調を強める。少女は目をぎゅっと瞑って、小さくなった。
俺はちっ、と舌打ちし、また歩き出す。
そして、少女もまた歩き出す・・・。
なにを考えてるんだ・・・こいつは・・・？
俺は混乱する頭を掻きむしった。
歩きながら、振り返りもせずに俺は少女に話しかけた。
「・・・何だよ。お前は俺を殺す機会でもうかがってるのか？」
「・・・・・・・・・・」
「お前は俺が憎いんだろ？」
「・・・・・・うん」
「なら、殺せよ」
「・・・・・・・・・・・うん」
・・・・・・・・・・。
しかし少女はただ俺の後ろを歩くだけで、俺を殺そうとはしなかった。
何なんだ・・・こいつは・・・・・。
俺はだんだんと苛立ちを覚え始めた。
一度苛立ち始めると、俺の後ろで歩く少女の足音ですらイライラの原因にとなってくる。
・・・・・うざったい。
俺は、こんな奴に構ってやるほど暇じゃない・・・。
自分のことだけで精一杯だというのに・・・！
俺は突然振り返り、そして音もなく長剣を抜刀した。
驚いた顔をする少女の目前に、剣の切っ先を突きつける。
太陽の光を反射し、俺の長剣が輝いていた。
「・・・俺を殺す気がないのなら、失せろ。目障りなんだよ」
「・・・・・・・・・・うん・・・」
・・・・・・・・・。
頷いた少女だったが、動く気配がない。
「・・・・これ以上俺につきまとう気なら・・・殺すぞ・・・？」
俺は長剣を持つ手に力を込めた。
「・・・うん・・・・」
少女は頷いた・・・。
しかしやはり、動く気配がない。真っ直ぐに俺の瞳を見ているだけだ。
「・・・・・殺してもいいんだな・・・・・？」
・・・夏の風が流れていく。
俺の顔を、一筋の汗が流れていった。
「・・・・・・・・・・・・・うん」
俺は一度剣を引き、そして少女の胸ぐらを掴み上げる。
そして怒鳴った。
「お前！！ 自分が何を言ってるのか分かってるのかっ！！？」
「・・・・・う・・・ん・・・」
苦しそうにしながらも、少女はゆっくりと頷いた。
俺は襟を掴む手に力を込める。
「今の俺なら、お前など簡単に殺せる！！ このまま絞め殺すことできるし、剣で斬り殺すことも！！」
「・・・・・・・うん・・・」
「うん、だと！！ お前は殺されることを望むんだな！！」
俺は少女を地面に投げ捨て、そして長剣を両手で握り、構えた。
少女はよろよろと上半身だけを起こし、俺を姿を見る。
「・・・・・・・・うん」
俺は、本気で殺してやろうと思った。
俺の持つ剣を振り下ろせば、それだけで奪える命・・・。
儚い命が、そこにあった。
「・・・・・もう・・・生きていたくないから・・・」
小さく聞こえた、その言葉。
少女の呟き。
もう・・・生きていたくない・・・・・？
・・・・・・・・・・・。
「・・・どうやって生きていったらいいのか・・・分からないし・・・・・」
少女の声が、涙声に変わっていく。
俺は呆然としていた。
先程まで感じていたあの怒りは、どこかへ消し飛んでいったようだった。
「わたしには・・・・もう・・・なにも・・・・・・なに・・・も・・・・・・」
少女の嗚咽が聞こえた。
俺は、長剣を取り落とした。
泣いている・・・。
自分には何もないという、その少女。
そして、その少女から全てを奪ったのは・・・紛れもない、俺だ。
・・・そうだ。俺の、所為だ。
今更ながら、俺はその現実に打ちのめされていた。
俺は地面に崩れた。とても立っていられるような状態ではなかった。
そのまま、俺は再び泣いた。
少女にかける言葉も見つからなかった。
俺には言葉をかけてやる資格もないと思った。
ただ、広大に広がる大平原の中。
俺と少女は、二人で涙を流した。
ずっと、泣いていた・・・。
夜の間も、ずっと。
そう。その日から、俺は夜に『闇』に支配されることがなくなった。
『俺』の放った爪での連撃を、マグナは全て剣で受け流していた。
想像以上の技量だ・・・これなら、存分に楽しめるだろう！
『俺』は歓喜の咆哮をあげながら、爪での連撃の速度をあげる。マグナは必死にそれについてこようとするが、所詮は人間。『俺』のスピードに体がついてこなくなり、胸板を『俺』の爪で斬り裂かれることとなった。
紅い鮮血が撒き散らされる。
『俺』はますます興奮した。
「マグナっ！？」
「マグナおにいちゃん・・・！！」
アメルとハサハの声が聞こえる。しかし手を出すことは出来ない。『俺』とマグナのこの攻防に下手に召喚術で手を出そうものなら、例え『俺』に召喚術が直撃したとしてもマグナも巻き込まれてしまうだろう。
くくく・・・見ているがいい。仲間が美しく散る様を・・・！
『俺』はマグナの体に強烈な蹴りを入れる。衝撃により宙に浮かび上がったマグナを手で叩き落とし、地面でバウンドしたそれを蹴り飛ばした。為す術もなくマグナは吹っ飛ばされ、地面に転がりながら減速してやっと止まる。
「っ・・・！ 来て！ ツヴァイレライ！！」
マグナが『俺』から離れた瞬間、アメルが召喚術を使ったようだ。蒼い光が夜空に吸い込まれていき、そしてその光が弾けてそれが姿を現す。
それは頭に角のある馬のような生物にまたがった、黒い鎧に身を包む侍だった。ゆっくりとアメルの頭上に降りてくる。
両手に剣を持つ、鬼神将ガイエンとはまた違う感じの召喚獣だ。
『俺』は召喚されたツヴァイレライに体を向ける。紅い瞳で、睨みつけてやる。
しかしツヴァイレライはそんな俺に構うことなく、『俺』に向かって突進してきた。『俺』はその突撃を横に跳んで回避し、目で姿の後を追う。
・・・しかし『俺』の後ろには、何もなかった。ただ暗闇が続くだけの街道があるのみ。
どういうことだ？ 確かに『俺』の横を通り過ぎて・・・。
ガッ！！
『俺』は突然後ろからの衝撃を受け、前から地面に倒れそうになる。『俺』は右手を地面につけてそれを軸に空中で一回転し、両足で着地した。
そこで、『俺』は見た。
いつの間にか『俺』の後ろに回り込んでいた、黒い鎧を。
ツヴァイレライは、何かを思うようにその場を動かない。
「嘘・・・・・ツヴァイレライの剣が・・・弾かれた・・・・？」
驚愕の声が聞こえる。これはアメルの声だ。
・・・そうか。先程『俺』を襲った衝撃は、ツヴァイレライが剣で斬り掛かったときの衝撃だったか。
だが・・・残念だったな。
ツヴァイレライが再び『俺』に斬り掛かってくる。
『俺』は敢えて動かなかった。
防御態勢も取らなかった。
ツヴァイレライの剣が、『俺』の胸を横に切り裂く。
・・・・・いや、正確には、切り裂こうとした。
ギギギッ！！
俺の胸に弾かれる剣。
『俺』の胸は、全くの無傷だ。小さな傷一つない。
完全に目覚めて高質化した『俺』の肌は、鋼鉄よりも遙かに強度になる。傷一つつけられないというのも無理がない話だろう。
「っ！！？ そ、そんな・・・！！」
光に包まれ、ツヴァイレライが消える。
『俺』はそれを確認すると、アメルを睨んだ。紅い『俺』の眼光が、アメルを貫く。
「・・・・・っ！！」
アメルは体を強ばらせた。
今、感じているもの・・・それは恐らく、恐怖だろう。
・・・『俺』は最高の気分だった。