店への帰り道、俺は終始無言だった。
マグナから言葉を投げかけられても、俺は完全無視を決め込んだ。
それでもマグナは話しかけ続ける。
しかし俺は、何も答えなかった。
今日の分の給金をもらい、俺はマグナとパッフェルが話しているときを見計らって気付かれないように外に出た。
そのまま、宿へと足を向ける。
荷物を取ると、そのままチェックアウトして、そして街を出た。
どこか、遠くへ。
遠くへ、行かないと。
夜の帳が降りた。
満月。
街道から逸れた獣道を、俺はひたすら歩いた。
見えない何かから逃げるように・・・必死に歩いた。
気がつけば、俺は走り出していた。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・街から出て、どれほどの時間が経過しただろうか。
ドクンッ！
・・・・きた。
ドクンッ！ ドクンッ！ ドクンッ！
心の奥底から響くような、鼓動。
溢れ出ようと足掻く、『闇』。
満月の夜は俺の時間だと言わんばかりに。急速な勢いで、俺の身体を侵食していく。
頭に強烈な痛みを感じた。
視界がぼやける。
立っていられない。
・・・気を失いそうだった。
しかし、負けるわけにはいかない。俺は必死に自分の意識を繋ぎ止め、『闇』を心の奥底に封じ込めようとした。
頭の激痛が、その激しさを増す。
負けるものか・・・負けるものか・・・！
負けられるかよ・・・！！
―己の欲望に忠実になれ―
「！？」
声が聞こえた、ような気がした。
なんだ、今のは・・・？
ドクンッドクンッドクンッ！！
鼓動が早くなる。
―お前は、もう知っているはずだ―
崩れていく・・・。
何となく、そう思った。
俺が、崩れていく・・・・・。
―『お前が『闇』と呼ぶ存在・・・それは・・・―
・・・・・・・・・・。
―もう一人のお前だということを―
・・・・・『俺』は笑った。
声の限り、笑った。
『俺』の身体が、変わっていく。
肌色だった肌が、みるみるうちに黒く、硬質化していく。
赤く鋭く光る眼光。
何者をも切り裂く、強力な両爪。
筋肉は通常の倍ほど膨れあがり、体重も増大した。
今まで着ていた服が千切れ飛ぶ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアーーーッ！！！！」
『俺』の叫びが、辺り一帯に響き渡った。
・・・・・『俺』は今、完全に目覚めた。
『俺』の名は、ヴァレア。
魂を狩るもの・・・魂の狩猟者なり。
『俺』は飛んだ。
人の姿のときからは考えられないような跳躍力。
一直線に目指す。
魂の狩り場。
もう一人の俺が、『俺』から守ろうとしていた者たちのいる街。
港町ファナンへ。
それは、俺の記憶が始まってから一年後の話。
ある、晴れた夏の日のこと。
夜になると『闇』が俺を支配し、名も知らない者たちを容赦なく殺していた日のこと。
・・・・・。
日差しは容赦なく俺を照りつけ続けていた。
言うまでもなく暑い。汗がじりじりと俺の額から滲み出ては、顎を伝って地に落ちる。その地に落ちた汗も、すぐに乾いてしまうような暑さ・・・。
俺は立っていることも嫌になり、街道の横の、大きな木の下に倒れ込んだ。日陰となっているので、日光の下にいるよりは幾分かましだろう。
まあ、うだるような暑さに変わりはないが・・・。
朦朧とする意識の中、俺は考えていた。
どうして俺は、ここにいる？
俺はこの世で、一体何を残そうとしている？
何故・・・俺は、生きている？
昨日の夜・・・・俺は、一つの村を壊滅させた。
今でも覚えている・・・俺の長剣に斬られ、断末魔をあげながら死んでいく者の顔を・・・声を・・・・・。
為す術のない村人たちを、女子供も容赦なく、一人残らず・・・。
・・・・・・・・・・。
望まない殺人。
しかし望んでいないからといって、それが罪にならないわけがない。
いくら俺の意識では無いにしろ・・・俺の、所為なのだ。
俺は、生きていて良いのだろうか。
このまま死んだ方が、遙かに・・・遙かに、ましだろうに・・・・・。
俺は考える。
死んだら楽になれるだろうか。
何も考えずに済むのだろうか。
永遠の無。
それが、俺にとって安息となってくれるだろうか・・・？
・・・声もなく、俺は泣いた。
一年前・・・俺の記憶が始まってから、始めて流す涙だった。
空には、果てしなく広がる青空。
俺はなんてちっぽけで・・・そして、惨めな存在なのだろう。
・・・どうして空は、ここまで晴れ渡ってるんだ・・・？
空には、悩みなどあるのだろうか。
・・・・・・・・・・。
死んでみるか・・・？
俺はゆっくりと立ち上がり、頬を流れる涙を拭おうともせずに、腰に下げている長剣を抜いた。
ゆっくりと、両手で持つ。
・・・・・・・・・・。
俺は、どうしてここにいる？
どうして、ここにいたんだ・・・？
なんのために・・・。
誰のために・・・。
人には、各それぞれに生まれてきたわけがあるという。
なら、俺は？
俺が生まれてきた、わけとは・・・？
俺の記憶が失われる前・・・俺は、どんなことをしていたんだろう。
この『闇』も、そのときからいたのだろうか。
・・・・・・・・・。
俺は自分の首元に、長剣を押し当てた。
・・・・・あとは、力を込めて引くだけだ。
これで・・・もう、何も考えずに済む・・・。
意味もなく人を殺すこともない。
楽に、なれる・・・。
俺は始めて、人間を殺したいと思った。
その殺したいと思ったのが、俺自身だった。
空は相変わらず、真っ青で・・・。
「・・・待って・・・っ！！」
少女の声がした。
俺ははっとしたように長剣を首元から離し、声の主を捜す。
十メートルほど離れた先に、黒い髪を肩程まで伸ばした女の子がいた。
女の子の手に光るものが、太陽の光に反射する・・・。
・・・・・そうか。
「お前は・・・」
「・・・・・・・・私は・・・貴方を、許さないから・・・！」
昨日、俺が滅ぼした村の、生き残りだろうか・・・？
今まで沢山の村を滅ぼしてきた俺にとって、それは分からないことだった。
少女は震える手で、細身の剣を持っている。カタカタと切っ先が震え、見ているこっちが危なっかしい。
恐らく、今まで剣など持ったこともないのだろう。
俺はその少女を、優しげな目で眺めた。
「・・・そうか。俺を、殺しに来たのか」
「・・・・・・・・・・・・」
少女は黙っていた。
俺は構わず話を続ける。
「・・・・・・・・・・悪かった」
「・・・え・・・？」
「謝っただけじゃもう取り返しがつかないことくらいは、分かってるつもりだ・・・だが、他に言葉が思い浮かばない」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・済まない」
俺は再び頭を下げると、手に持っていた長剣を前に投げ捨てた。
ビクッ！ と反応する少女。
俺は両手を広げた。
言い訳などする気はない。
ただ、受け止めよう。そう思った。
「・・・・・来い」
「え・・・っ？」
「お前の哀しみ、憎しみが・・・少しでも和らぐというのなら・・・・・」
俺は一度言葉を切り、そして少女の眼を見据えて言う。
「俺を殺せ」
俺は本気だった。
本気で、この少女に殺されても良いと考えていた。
先程、自分の手で断とうとしていた命だ。今更誰に奪われようと構いやしない。
俺は夏の太陽の下、夏の風を受けながら、死のうと思った。
「・・・・・泣いて・・・るの・・・？」
暫くの沈黙があったと思う。
掠れた声で、俺の前の少女がそう言った。
「・・・どうして・・・泣いて・・・・・？」
「・・・・・・・・」
俺は、泣いていた。
溢れる涙を、止めることができなかった・・・。
しかしその涙が、どんな理由で流されたものなのか・・・・俺自身、分からない。
「・・・殺せ・・・」
「え・・・？」
俺は言った。
「俺を・・・殺してくれ・・・」
俺を支配する苦しみから解放されたい。
『闇』と共に、地獄へ堕ちよう・・・。
数え切れないほど、人々の暮らしを、幸せを奪ってきたのだから。
「・・・・・・・・・・・・」
「俺はもう、生きていたくないんだ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「頼むから・・・早く、俺を・・・・・」
カラン。
金属の音がした。
少女が、手に持っている細身の剣を、取り落としていた。
「・・・・どうして、俺を殺さない・・・・・？」
「・・・・・・・・・・」
「憎かったんじゃ無いのか・・・？ 俺は、お前の両親を殺した男だぞ・・・？」
「・・・・・・・・・・」
少女が黙っていた。
ただ、何かに堪えるように、黙っていた。
夏の風が流れていく。
変わることなく、空は晴天で。
俺たちのことなど、全く気にはかけない様子で・・・。
そんな青空が、俺は嫌だった。
俺は無言のまま長剣を拾うと、それを鞘に収めた。
そしてふらふらと、少女に背を向けて歩き出す。
どこに行く気もしなかった。目的地もなければ、行きたい場所もない。帰るべき場所も、俺にはない。
・・・・・・・・・・。
がしっ。
何かが、俺の背中に当たった。
いや、この感触は違う・・・？
俺はゆっくりと振り返る。
そこには―――――
泣きながら俺にしがみつく、少女の姿があった・・・
それは、良く晴れた夏の日のこと。
俺が泣いた日のこと。
死を覚悟した日のこと。
アイツと始めて出会った、日差しの中のこと・・・・・。
今でも、鮮明に覚えている・・・。