本格的にまずいことが判明した。
俺の死活問題だ。
・・・もしかしてこの問題で俺が野垂れ死んだりすれば、『闇』もどうすることもできないんじゃないか?
いや・・・しかしあまりにも情けなさすぎる・・・。
それに、犯罪行為さえ犯せばどうにでもなることだ。
・・・・・・・・・・。
路銀が尽きた。
宿に戻って自分の財布を見てみて、俺は驚愕のあまり数分活動を停止していた。
このままでは、今日の分は何とかなるにしても、明日の分からの宿代も払えなくなる。
最悪野宿という手もあるので、寝場所に問題はない。問題なのは、食費だ。
・・・大問題だ・・・。
・・・・・・・・。
しばらく考えた結果、やはり道は一つしかないという結論に至った。
日雇いで働ける場所を探すしかない。
俺はぐっ、と握りこぶしをつくって決意を固めると、宿より街へと出た。
午後の日差しがファナンの街を照らしている。俺はその中を歩き、求人を出している店を探した。
俺は今までの旅でも路銀がなくなるとこうして仕事を探し、一定額まで金を貯めてから出発することにしていた。やはり先立つものというものは、どんな理由で旅をしているものにも必要なものなのだ。
・・・・・歩くこと数十分。
ふらふらと歩いてくる女に、俺は正面からぶつかった。
「うわわっ!?」
人通りの少ない、表通りから少し逸れた裏路地。
まさかこんな場所で人と衝突するとは思ってもみなかった。
というか、どうしてこの女はこれ程までにふらふらなんだ・・・?
「す、すいません〜っ・・・前方不注意でした〜」
がばっ、と立ち上がった茶色の髪の女は、そう言いつつ俺に頭を下げる。
「気にするな。俺も不注意だった」
絶対に女の方が避けると思っていたので、俺は自信満々で真っ直ぐ進んだのだ。その結果がこれだった。
これからは自分から道をあけるとしようか・・・。
「・・・ところで、どうしたんだ? ずいぶん疲れてるみたいだが」
単なる興味本意で、俺は女にそう聞いた。
女は苦笑しながら答える。
「あっ、はい。それはですね〜、私のバイト先が今めちゃくちゃ人手不足で、目も回っちゃうような忙しさだからですよ〜」
・・・この話は、俺のために用意された話か?
俺は何か運命的なものを感じた。
「・・・お前のバイト先、人手不足なのか?」
「はい〜、そりゃあもうかなり」
額の汗を拭いながら、女が溜息をつく。
「求人はしてるのか?」
「してるみたいですけど、人がなかなか来ないらしくて・・・お給金はいいんですけど、忙しくてキツイ仕事なんですよ〜。だからだとは思うんですけど」
俺は、仕事の内容よりも報酬につられるタイプだ。
うん。そうだ。
「頼みがある」
「はい? なんでしょ〜?」
「俺にその仕事を紹介してくれ。ちょうど今働き口を探していたところだったんだ」
俺のその言葉を聞いて、女は瞳を輝かせた。
「えええ〜っ!! ホントですか〜!!?」
「ああ」
「是非! 是非いらしてくださいっ!! ホントに助かります〜!!」
俺はやる気満々のその女に引きずられるようにして、そのバイト先へと向かった。
そう言えば、バイト内容も何も聞いてない気がするが・・・まあいいだろう。
どんな仕事でも、お給金のためにやる。それだけだ。
俺は白いエプロンをつけたまま、半ば呆然としていた。
ケーキ屋・・・女がバイトしていて、目の回るような忙しさだったのはゼラムに一号店を置くケーキ屋だった。どうもこのケーキ屋の味はいいらしく、注文がひっきりなしに来るらしい。
繁盛しているのが目に見えて分かる。店の中はもう嬉しい大混乱状態だった。
従業員が、あと三人ほど必要だと見て感じる。三人、という根拠はどこにもないが。
・・・というか。
「俺・・・絶対似合ってない・・・」
エプロンの端をつまみ上げ、俺は思わず呟いてしまった。
「そんなことないですよ〜? 似合ってますよ」
「その言葉に喜んでいいのか、ちょっと微妙だぞ」
俺は苦笑して、女・・・パッフェルを見た。
彼女はここでバイトを初めて結構長いらしく、店長からも絶大な信頼を得ている。俺が彼女の紹介だと言うことだけで、店長は俺のバイトを一秒で許可した。素性も何も聞かずに、だ。
俺にとっては好都合なんだが、それでは駄目なような気が・・・。
「それでは、新人さんには配達をしてもらいますね〜。そういえば、新人さんはファナンの地理には詳しいんですか?」
空の籠を俺に渡しながら、パッフェルが聞いた。
俺はぽりぽりと頭を掻いて正直に答える。
「いや、それが全然。最近この街に来たばかりだからな」
「そうなんですか? う〜ん・・・それは困りましたね〜」
配達をする際にその街の地理に疎いのは、はっきり言って致命的だと思う。配達先を探しながらの道のりになるので、知っている者と比べたらその早さは間違いなく差が出るだろう。
パッフェルに街を案内してもらえるような暇はない。
やはり多少時間がかかるとしても、地図を片手に自力でやるしかないだろう。分からなくなったら、道行く人に訊ねればいいだけの話だ。
「・・・何とかなるだろ。問題ないさ」
俺はパッフェルから、配達の注文用紙を受け取った。
かなりの数だ。これを日没までには届けなければならない。
「配達は時間厳守と、間違いのない商品を届けることが大事です。店の信頼にも関わってくるんで、そこらへんを気をつけてくださいね?」
「ああ。努力する」
正直言うと、あまり自信はないが・・・。
「それじゃあ、その注文用紙に書いてあるケーキを籠に入れて・・・」
カランカラン、とドアにつけられた鈴を鳴らしながら、誰かがこのケーキ屋の建物に入ってきた。俺たちは店の奥で話していたため、誰が入ってきたのかは壁に挟まれて確かめることができない。
「あ、いらっしゃいませ〜♪」
パッフェルが元気にそう言いながら、店へと出ていった。
・・・・・まだ説明の途中だったのだが、もう勝手に配達に行っていいだろうか。ここでこうしている時間も惜しい気がする。
「あ〜! マグナさん! お手伝いしてくれるんですか〜!?」
「うん。かなり忙しそうだったし、俺も暇だったしね」
「助かります〜」
声が聞こえてくる。
パッフェルと話す声は、どこかで聞いたことのある声だ。
というか、先程パッフェルが名前を呼んだ。
マグナ。
俺の記憶が正しければ、あの街道の一件でアメルとハサハと一緒にいた男だ。
パッフェルとマグナは話口調からして知り合い同士らしい。世間は狭いと思った。
二人分の足音が聞こえ、そして俺が説明を受けていた部屋に姿を現すマグナとパッフェル。俺はじっと、二人を眺めていた。
「あ・・・」
マグナが俺の存在に気付き、声を上げる。俺はそれに手を上げて応えた。
「じゃあマグナさんにはこの人のお手伝いをしてもらいますね〜?」
「こ、この人・・・ケーキ屋さんなんですか・・・?」
「なんだ。その、うわ〜スゲェ意外だよこれ〜、っていった感じの言葉は」
俺は横目でマグナを見ながらそう言う。
・・・しかし、俺を見て「あ、ケーキ屋さんだ」と思う奴なんて・・・・・この世に存在するだろうか。
・・・・・・・・・いないな。
「その、なんて言うか・・・絶対にこの職業だけはないなって思ってた中の一つというか・・・」
苦笑を浮かべてそう言うマグナ。
俺は腕を組み、マグナをじっと諭すように眺めた。
「人は見かけで判断できないものだぞ。こう見えても俺は甘い物大好きで、一日に必ず一つはケーキを食べているのだ。ちなみに俺のお薦めはチョコケーキ」
「・・・・・・・・・・」
「嘘だ」
甘い物は実際嫌いではないが、毎日食べたいとも思わない。
たまに食べるから美味しいのだ。甘い物というのは。
「・・・あれ? もしかしてお二人、お知り合い、とか?」
親しそうに話す俺とマグナの顔を交互に眺め、不思議そうにパッフェルが言う。
「パッフェルさん。一昨日話したあの街道での話、覚えてますよね? あれで出会ったっていう男の人がこの人ですよ」
マグナがそう説明した。パッフェルはしばらく考えるように腕を組んでいたが、思いついたようにポンと手を叩いた。
「マグナさんの言っていた、あの『不思議な感じのする人』が、この新人さん―――?」
「新しい注文入りました〜っ!! 手の空いてる方いないですか〜っ!?」
扉の向こうより、この店の従業員のらしき切羽詰まった声が聞こえてきた。
どうやら本格的に忙しくなってきたらしい。
「あ、それじゃあ私は仕事に戻りますんで、マグナさんはこの新人さんを連れて配達に行ってください〜。時間厳守と、品質管理にはじゅうぶん気をつけてくださいね〜?」
「はい、任せてくださいよ」
「給金はずめよな」
パッフェルは笑いながら、俺たちのいる部屋を後にした。
その後マグナがエプロンをつけるのを待って、俺たちは注文の紙に書いてあったケーキを籠の中に詰めた。何だかとんでもない量な気がするが、マグナ曰くこれが当たり前らしい。
俺とマグナがそれぞれ一つずつケーキの入った籠を持ち、店を出て配達に出発した。
「・・・・・次で、最後か・・・・」
「ええ。次で最後ですね」
「次で最後のわりに、籠の中のケーキの量は尋常じゃない気がするぞ・・・?」
日も傾き書けた頃。
俺とマグナは二人で、夕焼けに染まるファナンの道を歩いていた。今まで街中を走り回っていたため、足に限界がきている。かなりキツイ仕事だった。
そして、その仕事も終わりを告げようとしている。
・・・はずなのだが、まだ籠の中のケーキは軽く十個以上あった。
「間違いないですよ。注文票を見てくださいよ」
「・・・?」
マグナに言われたとおりに、俺は注文が書かれた紙を取り出して眺めた。
『ショート2、チョコ4、チーズ2、イチゴ3・・・・・』
「・・・・・分かった」
くしゃ、と注文票を握り、俺は深く溜息をついた。
確かにそれらは、一つの家へと配達するように書いてある。
・・・きっと大家族なのだろう。子供が沢山いるような学校なのかもしれない。
俺が気を取り直して歩いていると、隣のマグナが俺に話しかけてきた。
「・・・そう言えば、この街に来てからアメルには会いましたか?」
「アメル? ああ。銀砂の浜ってところで今日会った。かなり偶然にだけどな」
思い出される、あの浜での会話。
初めてかも知れなかった。俺が自分のことを、他人に話すなんてことは・・・。
「そうですか・・・何だか貴方と別れてからアメルの様子がおかしい気がしたんで、どうしたのかなと思ってたんですけど」
彼もアメルの様子のおかしさに気付いていたらしい。まあ一緒にいるのなら、気付かない方がどうかしてると俺は思うが。
俺は赤く染まった空を見上げながら言った。
「一人の俺のことを心配してくれてたんだ。優しい奴だよ、アメルは」
「・・・そうですね。アメルは優しいです」
暖かな夕日が、俺たちを優しく包み込んでいく。
「ところで、お前とアメルはどういった関係なんだ?」
俺は単純な興味本意で聞いてみた。俺が見た感じでは、二人は恋人同士に見えたからだ。
「えっ・・・俺とアメルですか?」
「そう」
「う〜ん・・・そうですね・・・・・」
マグナは考えているようだった。
何を考えているのだろうか。二人の関係はそんなに複雑な関係なのだろうか・・・?
まさか、あのハサハを入れて三角関係とか?
・・・あり得ないだろうな。
考えに行き着いたようで、マグナは顔を上げた。
「俺が、どんなことがあっても守りたいと思う人・・・それが、アメルです」
「守りたいと思う人?」
「ええ・・・俺たちは去年、今からでは想像もつかないほど過酷な戦いの中にいました。俺はそのとき誓ったんです。どんなことがあっても、アメルは俺が守るって」
マグナの瞳には、揺るぎない意志が秘められていた。
そう。それはまさしく『誓い』だと俺は思う。
これから先どんなことがあろうとも、マグナはアメルを守り続けるだろう。そう思わせる、瞳。
俺は思わず聞いた。
「・・・好きなのか?」
「ええっ!?」
驚きの声を上げるマグナ。質問はまさに単刀直入だったので、それも仕方がないだろう。
「好きなのか。アメルのことを」
俺はもう一度問う。
真剣な表情、真剣な口調で。
「え、えとっ・・・ですね・・・」
「正直に」
狼狽えるマグナに、俺はそう言った。
優しく見守るように。
微笑ましい光景だと思った。
「・・・はい」
小さな声でマグナはそう答えた。俺はマグナの肩を叩くと、口元に笑みを浮かべる。
「好きなら、大丈夫だ。お前はどんなことにも打ち勝っていける。アメルを、どんなことからでも守ることができる」
「・・・・・・・・・」
「俺はお前が羨ましいよ。守るべき者がいるんだからな・・・」
守るべき者がいない。
つまりそれは、孤独だということだった。
「貴方には・・・・・」
「ほら、もう少しで配達先の住所じゃないか?」
「え・・・あ、そうですね。この先の角を曲がったらもうすぐです」
先導するマグナの後ろを、俺は歩いていた。
俺は妙な感覚に襲われる。
目の前を歩くマグナ。
俺は、絶対にそこには辿り着けない。そんな気がした。
目の前にありながら・・・俺は一生、そこには行けない。
行くことができない。
ただ、遠くから見ているだけ。
・・・・・・。
強烈な孤独感が、俺を襲った。
そうだ。俺は、一人だったんだ。昔も、今も、そして、これからも―――。
言いようのない感情を振り払うかのように、俺は歩いた。
気がつけば角を曲がり、そして目的地の目の前まで来ていた。
「ここが、最後の配達場所です」
辿り着いたそこは、大きな道場のような場所だった。家の至る所が破損してはいるが、昔からある建物らしく、どこかしら威厳というものが感じられる。
マグナはその家の敷地に入り、呟いた。
「そして、俺のもう一つの家・・・」
「は?」
「こら〜っ! マグナ遅すぎるぞ〜っ!!」
大声が聞こえた。屋敷の中からだ。
明らかに、マグナのことを名指ししている。
屋敷の奥から姿を現したのは、長髪の少女だ。ずんずんとこちらに向かって歩いてくる。
怒っている・・・のか?
「あなたが帰ってこないから、いつまで経っても夕食が食べられないじゃないの! みんな待ってるんだからね!」
マグナの目の前に立ち、両手を自分の腰に当てて言う少女。やはり怒っているように見えるが、なにをそんなに怒っているのだろうか。
ケーキの配達の時間は、まだ過ぎていないはず・・・。
って、ちょっと待て。
いつまで経っても夕食が食べられない?
マグナが戻ってこいないから?
みんなが待っている?
・・・・・・・・・・。
「あ、うん。もうそんな時間なんだ。ごめんルウ」
「ルウひとりに謝ってもだめ。みんなに謝りなさいよ」
「ああ分かってる。でも俺もぶらぶらしてたわけじゃないんだよ。パッフェルさん・・・って言うか、この人の手伝いをしてたんだ」
「・・・? この人、誰?」
ルウと呼ばれた少女の目が、不審げに俺を捉えた。
俺は手に持つ籠を目の前に突き出しながら言う。
「街の美味しいケーキ屋さんだ」
・・・・・。
一瞬、かなり嫌な間が入った。
「け、ケーキ屋さんなの・・・この人・・・?」
「うん。正式な社員じゃなくて、バイトみたいだけどね」
苦笑しながらマグナがルウに言った。
ルウは複雑な表情を浮かべている。
ケーキ屋さんという爽やかで優しそうなイメージと、現実のギャップに苦しんでいるのだろう。
・・・そんなにまで俺は、ケーキ屋には見えないか・・・。
「た、確かにルウはケーキを注文したよ。みんなと食べようと思って、たくさん注文したと思ったけど・・・」
「ああ。この籠の中にはかなりたくさんのケーキが入ってる。受け渡しが済んだら、あとは煮るなり焼くなり潰すなり好きにしてくれ」
「ちゃんと普通に食べるよ〜っ」
「そうか。それは残念だな」
全然残念ではなかったのだが、一応そう答えておいた。
「じゃあルウ。商品を確認して、間違いなかったらこの紙にサインを書いてくれないか? それと代金もここで」
マグナのその言葉に従い、ルウは俺とマグナの手にあった籠の中のケーキを確認し始めた。かなりの量なのだが、どうやらルウはどのケーキを幾つ注文したのか完全に覚えているらしい。
物覚えはいいらしい・・・というか、ただ単にケーキが好きなだけかも知れないが。
「・・・うん。ちゃんと全部あるよ。ちょっとお金取ってくるから待っててね」
「早くしないと全部食うぞ」
「・・・・・」
「マグナが」
「食べないですよ!!」
ルウの冷めたような眼差しとマグナの声が、俺の胸に突き刺さった。
・・・冗談の通じない奴らだな。
俺はそれ以上口を開くのをやめようと心に決め、ルウの背中を見送った。
暫しの間。
空はだんだんと暗くなってきている。夕焼けも終わり、もうすぐ夜がやってくるだろう。
夜・・・。
俺と『闇』との戦いが始まる時間。
そして、満月の日は・・・いつも俺が負けている。
「なぁ、マグナ」
「なんですか?」
「今日って、満月だったか?」
「・・・ええ。多分そうですよ。俺、毎日月見てますから分かります」
「そうか・・・・・」
今日中にファナンから出よう。
今日の分のバイト代をもらったら・・・いささか旅費としては足りない気もするが、その金を元手に旅を続けよう。
とにかく、人のいない場所へ。
もう嫌だ。
意味もなく、人を殺めるのは・・・。
「・・・無駄なことだってことは、分かってるんだがな・・・」
「何がですか?」
思わず声に出してしまったらしい。
俺は冷静に務め、言った。
「いや・・・独り言だ。長い間一人旅を続けてると自然に増えてくるんだ」
「・・・旅を初めて、どれくらい経つんですか?」
遠慮がちに、マグナがそう聞いてきた。
減るものでもないので俺は話してやる。
「五年だ」
「五年ですか・・・長いですね・・・」
「・・・・・ああ、長い五年間だった」
俺は空に目をやる。
旅を初めて五年間、思い出されるのは、後悔と自噴の念だけ。
あとは何もない。
・・・・・。
俺は一体、何のために・・・・・。
「・・・マグナ」
「はい?」
「人は・・・どうして生きているんだろうな」
「え・・・・・?」
俺は、どうして生きているんだろう。
何を望んでいるのだろうか?
がしっ。
ふと、俺の身体が揺れた。
後ろ―――?
何かが背中にくっついている。
「あれ? どうしてここにいるんだい? ハサハ」
俺の隣で、マグナがそう言った。
・・・ハサハというと、あの街道の一件のとき、最初に俺と会った・・・。
まあマグナの仲間と言うことなら、この場にいてもおかしくはない。
って、まずはそれはどうでもいい。
問題なのは・・・。
「・・・何故に、俺の背中にしがみつく・・・?」
しかも突然だ。
「・・・こわれちゃうよ・・・」
小さな声だった。
「・・・このままじゃおにいちゃん、こわれちゃうよ・・・・・」
ハサハは俺の服に顔を埋めながら、そう呟いた。俺の服を掴む手に、さらに力が入る。
・・・壊れる?
俺が。
このハサハという少女・・・人の心を見ることができるのだろうか?
「感じたの・・・すごく、悲しい、寂しいこころ・・・・絶対、おにいちゃんだと思ったから・・・」
だから出てきたのか。
わざわざ。
他人だ。赤の他人なんだぞ? 俺は。
「・・・俺が知っている限りで、ハサハの言っていたことが間違ってたことは一度もありません」
真剣な表情で、マグナが俺を見た。
俺は目を逸らそうとするが、しかしだめだった。どこか人を引きつける魅力・・・そんなものが、マグナにあるような気がした。
「・・・・・話してもらえないでしょうか。貴方のことを」
「・・・・・・・・・・・・・・」
俺は黙っていた。
目の前に差し伸べられているはずの手を、ただ眺めるだけのように。
それに触れることを許されないことを、知っているかのように。
・・・いや。
俺は知っているはずだ。
その手に触れてはいけない。
救いを求めてはいけない。
あの夜・・・知ったはずだ。嫌と言うほど、思い知らされたはずだ。
そして、誓ったはずだ。
死ぬまでは、一人で生きていこうと。
「ごめんなさい〜! ちょっとお金探すのに手間取っちゃって・・・・・って、あれ?」
ルウの声が聞こえた。
ただならぬ雰囲気を察知したのか、声を途中で止める。
俺は背中のハサハを優しく引き離すと、頭に手を置いて、そして笑った。
ちゃんと笑えたかは、知らない。
手に持っていたケーキ入りの籠を、そのままハサハに手渡す・・・一定以上の量のケーキを買った客には、確か籠ごと渡してよかったはずだ。
「・・・戻るぞマグナ。代金の回収は任せた」
「え、でも・・・」
「いいから」
俺は先に踵を返して、そして歩き出した。
「おにいちゃんっ!」
ハサハの声がする。
俺は足を止め、そして首だけ振り返って言った。
「これ以上、俺に関わるな・・・俺は、一人が好きなんだよ」
自分でも、分かっていた。
それは嘘だということを。
ただの、強がりだということを。
・・・・・・・・・・。
もう少しで、空が漆黒に染まる。