街道で俺を襲ったのは、どうやらこの辺りを荒らし回っている盗賊団の一員の者だったらしい。
彼らのやり方は残忍で、見えない場所からボウガンで奇襲。相手の生死など関係なく金品を片っ端から奪い、そして颯爽と姿を消す。証拠となるものは一切残さず、彼らの襲われて無事だった者は数えるほどしかいないらしかった。
俺は、その数えるほどしかいない者たちの一人というわけだ。
まあ、誰かにこのことを話す気など毛頭ないのだが・・・。
俺は新しく新調した黒をベースにした服を着て、ファナンの町中にあった屋台に腰掛けていた。あの街道の一件から、早いものでもう三日だ。俺は無事にファナンに到着し、宿をとって今はのんびりとしている。
「お客さん、ご注文は？」
屋台の主人であるらしい男性が、俺を見て微笑みながらそう聞いてきた。
俺はメニューに目を通す。
「・・・・・？」
「どうしました？ お客さん」
「そば・・・って、何だ？」
メニューに書かれているのは、初めて見るものだった。
「お客さんは、蕎麦を食べたことがない」
「ああ・・・」
主人は穏和な笑みを浮かべる。
「なら、私がお勧めする蕎麦を食べていただきましょう。お代はいらないですよ」
そう言いながら、蕎麦なるものを作るために手を動かし始めた。
俺は驚きながら言う。
「代金くらい払うぞ」
「いいんですよ。今回は私の奢りです。狩漁祭も近いことですしね」
「狩漁祭？」
またまた初めて聞く名だった。
「お客さんも、ファナンの狩漁祭目当てに来た観光客ではないのですか？」
「・・・いや、俺は偶然この街に立ち寄っただけで・・・」
「なら、とてもいい時期にファナンを訪れましたね。今から一週間後に、年に一度の狩漁祭が行われるんですよ」
主人が蕎麦なるものを作る手を華麗に動かしながら、俺に説明してくれる。
「狩漁祭は名前の通り一年の豊漁を願う祭りで、毎年この時期になるとかなりの数の観光客が様々な場所から集まるんです。かく言う私も、その狩漁祭に便乗してここに屋台を開いたんですけどね」
みるみるうちに、主人の目の前に蕎麦なるものが姿を現していった。
俺はその手際に正直感心しながら、聞く。
「便乗して、ってことは、いつもは違う場所で商売してるのか？」
「ええ。元々私は、ゼラムでこの屋台を開いていまして・・・・・まあその前は、サイジェントという街で薬屋を営んでいたんですけどね」
サイジェント・・・確かキルカ織りというものが有名な、ここより少し離れた場所にある大きな街。俺は一度もそこに行ったことがないが、聞くところによるとその街では昔に大きな事件があったらしい。
確かその事件の名は・・・。
「サイジェントって、あの『無色の派閥の乱』があったところだろ？」
「・・・ほう？ よくご存知ですね」
主人の顔色が多少変化したことを、俺は見逃さなかった。
「俺は各地を旅してる身だからな。そういう噂はいろんな場所から入ってくるものなんだ」
「旅・・・？ お客さんは冒険者なのですか？」
「冒険者とは少し違うな。俺は・・・・・」
帰る場所がないから・・・留まることができないから、旅をしているだけだ。
冒険者のような、世界を楽しみながら旅をしている者たちとは違う。
俺は・・・・・。
―――そうか。
「俺は、探し物をしてるんだ」
「・・・探し物？」
「・・・・・・・・・・・・」
そう言って、俺は黙り込む。それ以上このことについて話す気はなかった。
主人もそれを察したのか、微笑みを浮かべながら蕎麦なるものを俺の前に差し出す。
「できましたよ。これが今回の私のお薦め、『天ぷら蕎麦』です」
「・・・天ぷら？」
またまたまた、聞いたこともない名だ。
「ほら、その上に乗っかっているものですよ。海老に衣をつけて揚げたものです。美味しいですから、食べてみてください」
俺はこくりと頷き、そして海老の天ぷらなるものを口に運んだ。ぱり、という小気味のいい音がする。
・・・・・・・・・・。
「・・・美味い」
冗談抜きで美味かった。
「そうですか。それは何より」
主人はそんな俺を見て微笑んでいた。
屋台の主人の言っていたとおり、ファナンの街は活気に満ち溢れいていた。狩漁祭が近いためかその辺に装飾品が飾られ、人の数も半端ではない。
夏の青空の下、俺はそんな人混みを離れて浜辺に来ていた。
銀砂の浜、というらしい。
波の音があたりに優しく響く。潮を含んだ風は俺の体を撫で、ファナンの街を吹き抜けていった。
いい場所だ、と俺は思った。
時間の経過を忘れさせてくれるような気がして、俺はその砂浜に腰を降ろした。
「・・・・・・・・」
無言で風を受ける。
遠くから、鳥の声が聞こえる。
これで夏の日差しが少しは落ち着けば、最高にいい場所なんだがな・・・。
夏の日差しは相変わらず鋭く、俺の身体を照りつけた。
暑い・・・。
「・・・なにやってるんですか？」
とす、と誰かが俺の隣に腰を下ろした。
俺はつい条件反射で素早く立ち上がり、腰の剣に手をやる。
「あ・・・」
しかしその手が柄を握ることはなかった。
驚いた顔で俺を見ているのは、あの街道であった少女だった。確か名前は、アメルといっただろうか。
俺は全身の緊張を解いた。
「・・・悪い、驚かせたようだな」
「私も、驚かせちゃったみたいですね」
アメルはそう言って笑う。俺は苦笑しながらアメルの隣に座り直し、絶え間なく変化し続ける海を眺めた。
風は、いつの間にか止んでいた。
「あれから、怪我の具合はどうですか？」
海に視線を投げながら、アメルが俺に聞く。俺も同じように海を眺めながら答えた。
「快調だ。本当、お前のおかげだな」
「そうですか。良かった・・・大丈夫かな？ って心配していたんですよ？」
俺は笑った。
「心配しなくてもいい。俺はこの通り元気だ」
「みたいですね。安心です」
・・・・・。
一時の沈黙。
アメルはなにか真剣な面もちで、じっと海を見ている。
それは、話すべきか話さぬべきか迷っているような、そんな感じだった。
だから俺は、先に口を開く。
「・・・言えよ」
「え？」
「言いたいことがあるんじゃないのか？ 俺に」
「あ、あの・・・はい・・・」
アメルはぎこちなく頷いた。俺は満足そうに笑い、両足を前に投げ出す。
「でも聞く前にこれだけは言っておく。お前の悩みとかをうち明けられても、聞くことはできても解決に協力はできないからな」
「あ、はい・・・その点は大丈夫です」
「なら言ってみるといい」
俺はアメルを見た。アメルは寂しそうな表情で、俯き加減に話し始める。
「私に『奇跡の力』があることは、もう貴方も知っていますよね・・・その奇跡の力を使うと、私は相手の記憶・・・感情を知ってしまうんです」
「・・・記憶や感情を知る・・・？」
「はい・・・そして三日前にあの街道で、私が貴方の傷を癒したとき・・・」
俺は、アメルが何を話したいのかが大体分かった。
そうか。彼女は見てしまったんだな。
「貴方の心の奥に、言いようのない哀しみや絶望と・・・そして、真っ黒な闇がありました。その闇は、貴方の心の中にある光を、今にも食い尽くしてしまいそうなほど巨大で・・・・・」
俺は溜息をついた。
あまり人には知られたくないことだったんだが、この少女の場合は不可抗力と言うことだろう。
知ったのではなく、あくまで知ってしまったのだから。
「・・・・・聞いてくれるか」
「・・・はい・・・私でよろしければ」
俺は、会って間もないこの少女に、全てを話してみようと思った。その結果、この少女が俺を軽蔑しようが恐れようが構わない。
ただ俺は、知って欲しかったのかも知れなかった。
俺の・・・果てしない孤独を。
「・・・・・・・・」
俺は、一呼吸置いた。
柄にもなく緊張していた。
「・・・・・お前の言ったとおり、俺の中には『闇』が存在する・・・一番最初にお前たちと会ったとき、俺はその『闇』に支配されていた」
真剣な表情で、アメルは俺を見ている。
その頭の中では、俺たちが初めて会ったときの光景が思い描かれているだろう。
「魂の狩猟者・・・『闇』は、自分のことをこう呼ぶ。そしてその『闇』は、満月の夜や俺の生命に危機が生じたときなどに俺を抑え付けてその姿を現し・・・そして、手当たり次第に魂を狩るんだ」
「・・・人を、殺めるんですね・・・」
「・・・・・ああ。『闇』にとって、殺人は芸術・・・そして、糧なんだ。今までも、何人もの人の命を狩ってきた」
・・・恐らくその数は、ゆうに１００人を越える。
俺は、その者らの顔を夢で見ることがある。
勿論、悪夢でだ。
「『闇』に支配された俺は、本当に誰でも殺す。家族も、親友も、恋人も・・・・・今、この場で『闇』が目覚めたら・・・お前を、殺してしまうだろう」
「・・・・・・・・」
アメルは黙っていた。
「俺は・・・・・何度死のうと思ったか分からない。人をたくさん殺して、自分だけ悠々と生きていたくなかった・・・だが俺が死のうとして自分の体を傷つけると、『闇』が目を覚ましてしまう。俺は、死ねなかった・・・」
それに・・・それに、俺にはもう一つ死ねない理由がある・・・。
約束したのだ。
俺はそれを守るため、ぎりぎりまで、生きなければならない。
そうして今、俺はここにいる・・・。
「俺が記憶がないことは、ハサハからは聞いたか？」
「・・・・・はい」
「別に、俺は記憶がないことを嘆いたことはない。俺は、今から五年前に名もない森の中で目を覚まして以来、ずっとひとりで旅をしてきた。忘れていることは自分に関していることだけで、生きていくために必要な方法は忘れていなかったから、さして苦労はしなかったよ・・・『闇』の一件を除いては・・・だがな」
「・・・・・・・・・・」
「記憶を失ってから初めて訪れた村を、俺は・・・一晩で滅ぼした。村の者・・・みんな、俺が殺した」
「・・・っ！？」
「俺の手を動かしているのは俺じゃないのに・・・俺の手には、あの感触があった・・・人を切り裂く感触・・・・・気が狂いそうだったよ・・・」
俺は自嘲的に笑った。
その笑みは、アメルにどう映っただろうか・・・。
「・・・俺は、人との関わりを極力持たないようにしてきた。今までもそうで、これからもそうなると思う・・・・・俺と一緒にいるなんて、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているようなものだからな」
「・・・でっ・・・でも！ でもそれじゃああまりに・・・っ！！」
アメルは優しいと、俺は感じた。
だから俺は、一緒にいるわけにはいかなかった。
俺は立ち上がる。ズボンに付いた砂を払い、大きく伸びをした。
「・・・俺はもう行く・・・話を聞いてくれて、ありがとう」
歩き出そうとする俺を、アメルが服を掴んで止める。
どうして・・・どうして無関係な俺に、そこまで優しくなれるんだ・・・。
「・・・だめです。それじゃあ、だめですよ・・・・」
「・・・・・・・・」
「私の仲間に、お祓いとかが得意な人がいるんです。今はファナンに寄ってくれていますから、その人に相談すれば・・・」
俺は振り返り、自分よりも明らかに背の低いアメルの頭に手を置いた。
アメルは言葉を止める。
「前に言っただろ？」
止まっていた風が、再び流れ出す。
アメルの頭から手を放し、踵を返して再び歩き出しながら、俺は言った。
「俺は、一人が好きなんだって・・・」
もうアメルが俺を止めることはなかった。
俺の後ろで、アメルはどんな顔をしていたのだろう。
風が、俺の背中を押した。