寝起きはいつでも最悪だ。
ここ数年、深い眠りについたことがあっただろうか？
・・・・・ない気がする。
俺はふらつく足をなんとか動かして、街道を歩いていた。
俺は無言のまま、街道を進む。太陽が天に昇り、燦々と輝いていた。
今日もいい天気になりそうである。
俺の気持ちは、曇ったままなんだろうが・・・。
俺が向かっているのは、港町ファナン。海に面した貿易の盛んな街で、港から出荷される品物の量は聖王都であるゼラムの上をいっている。
実質上は金の派閥が支配している、下町風の街だ。
ファナンまで、あとどのくらいだろう。
暖かな日差しに包まれている街道。
夏の朝。
夏の風。
俺は、本当にここにいて良いのだろうか・・・？
ふと立ち止まる。
空は青色が支配していた。
永遠に続くことを想像させるような、碧空。
思わず見入る。
・・・・。
くいくい。
・・・・・。
くいくいくい。
・・・・・・・・。
くいくいくいくい。
服の裾を引っ張られる感覚。
「・・・？」
俺は視線を空より落とし、俺の服を掴むそいつを見た。
そいつ・・・少女は俺と目が合うと、小さく微笑む。
誰だ・・・？
その少女は藍色の着物を着ていて、手には大事そうに水晶玉を持っていて・・・そして頭には大きな狐の耳があった。
黒髪の上にアクセサリーとして付けているのではないらしい。
・・・召喚獣か？
「・・・おにいちゃん、どこから来たの？」
少女が小さくそう聞いてきた。
素性の分からない少女の問い・・・いつもなら答えず無視するところだが、何故か今回はそんな気にはなれなかった。
しかし、答えることはできない。
何故なら・・・。
「・・・分からない。俺は自分がどこから来たのか覚えてないんだ」
嘘ではない。本当に俺は、自分の生まれた場所・・・故郷のことを全く覚えていなかった。微かな記憶もない。
「・・・・・覚えて、ないの・・・？」
「ああ」
悲しそうな表情をする少女。俺の記憶がないことを哀れんでくれているのだろうか。
しかし俺は、それほど深刻にこのことを考えてはいない。もし故郷を覚えていたとしても、俺は帰る気など起こらないだろうから。
「・・・ハサハはね、ゼラムから来たんだよ？」
「ゼラムって、聖王都ゼラムだよな」
こくり、と少女は頷いた。
俺は辺りを見渡す。
少女の他、誰の姿もない。
「・・・もしかして、お前一人か？」
「ちがうよ・・・？ おにいちゃんと、アメルおねえちゃんと一緒だよ」
ちなみに言葉のニュアンスからして、お兄ちゃんというのは俺のことではない。
この子の本当の兄が、付近にいるのだろうか。
「はぐれた、ってわけじゃないよな？」
「今ね、休憩中なの・・・」
「休憩中にしては、お前の連れの姿が見えないぞ？」
「向こうの丘の上にいるから・・・ここからじゃ見えないよ」
なるほど、と俺は手を叩いた。
少女もこくりと頷く。
「・・・で、お前は俺に何か用なのか？」
見た感じでは、少女はあまり積極的な性格をしているようには見えない。
そんなこの子がわざわざ俺に話しかけたということは、何か用事があってのことだろうと思った。
あそんで、とか言われたらどうしようと、一瞬本気で考える。
「おにいちゃん、召喚獣・・・だよね・・・？」
少女は俺に、そう聞いた。
俺は、鼓動が早くなるのを感じる。
「・・・どうしてだ？」
冷静を装い、俺はそう聞き返した。
ハサハは俺の目をじっと見つめ、言う。
「チカラを感じるから・・・おにいちゃんの中にある、おっきなチカラ・・・」
「・・・・・・・・」
何者だ・・・この少女は。
俺は少女を注意深く眺めた。
腰の剣にすぐにでも手を伸ばせるように、右手を忍ばせる。。
「・・・おにいちゃんの心のとびら、開いてないから・・・よく、わからないけど・・・」
「・・・・・・・・・・」
「でも、ハサハと同じ感じがしたから・・・」
ビュンッ！
風を切る音、
突然少女の後方から、一本の銀色が飛来した！
俺は咄嗟に少女を横に突き飛ばし、自分も横に飛ぼうとする。
しかし遅かった。
左腕に、痺れるような激痛。
俺の左腕に、矢が突き刺さっていた。服が赤く染まっていく。
「だっ・・・だいじょうぶ・・・！？」
立ち上がったハサハが俺に駆け寄ってきた。俺は激痛に耐えつつなんとか笑みを浮かべ、右手を上げて無事を宣言する。
そして俺は、全神経を集中させて辺りを見回した。
どこかに、弓矢を放った誰かが身を潜めているはずだ。今も鏃を撓らせて、俺たちを狙っているのかも知れない。
「・・・いいか・・・俺の傍を離れるな。分かったか？」
俺は隣にいる少女の頭に手を置き、そう言った。こくりと頷く少女。
この街道は木などの身を隠すようなものはないが、しかし凹凸が激しい地面だ。丘になっている場所の向こう側やくぼみの中に隠れられたら、こちらからは見つけようがない。
俺は、相手がもう一度仕掛けてくるのを待った。
こちらから動けない今、それしか方法がない。
ぎゅっ、と俺の服を掴む少女。
・・・たとえ俺が死んだとしても、この少女だけは助けてやりたい。俺はそう感じた。
寧ろ俺が死んだだけでこの少女が助かるというのであれば、俺は喜んでこの命を差し出すだろう。
『俺』が、目覚める前に。
これ以上・・・あんな光景を再現させないために・・・。
何かが、太陽の光に反射して光った。
いた・・・！
「そこのくぼみの中に隠れてろ！！ いいか！！ いいと言うまで絶対に顔を出すなよ！」
少女の返事も待たずに、俺は駆け出していた。
向こうも俺に気付かれたことを察したようで、動きが生まれる。
相手の獲物は黒光りするボウガンだった。真っ直ぐと俺に向けられているそれには、もう矢が装填されている。
一度だ。
その一度を避けることができたら、俺の勝ち。
急所にその一撃を受けたら、俺の負け。
俺と相手の距離が、どんどん縮まる。
近づけば近づくほど、俺は矢が避けにくくなる・・・向こうも勝負に出る気だ。
まさに生きるか死ぬか。
ビュンッ！！
相手の放った矢が、風を切った。
目で捉えるのがやっとのスピード。
頭で分かっていても、体が反応しない。矢は、確実に俺にめがけて飛んでくる。
駄目だ・・・！ 間に合わないっ・・・！！
そう覚悟した瞬間だった。
ドクンッ・・・。
「！！？」
ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ！
時間が止まって感じた。
俺に向かって飛んでくる矢の速度が、急激に落ちたように感じた。
体の奥底から、力が沸き上がってくることを感じた。
俺は右手で長剣を振るう。
矢の刃に刀身を当て、弾き飛ばした。
相手は驚愕の表情を浮かべる。当たり前だ。高速で飛んでくる矢を剣で弾くなど、人間業ではない。
俺は加速した。体が軽く感じられ、相手の目の前まで来るのに数秒とかからない。
「死ね・・・」
走りながらそう呟き、俺は長剣を相手に向かって振り下ろした。
ガッ・・・！！
「ぐっ！？」
しかし血を流したのは、俺。
油断した。
敵は一人だと思っていたが、そうではないようだった。
俺の背中に突き刺さる矢がそれを物語っていた。
違う場所から俺を狙っていたのだろう。
俺がよろめいた瞬間、目の前の敵は素早くボウガンに新たな矢を装填し、放つ。
ビュンッ！！
至近距離だ。避けられるはずもない。
ガッ！！
矢は俺の胸に深々と突き刺さった。俺は後ろに大きくよろめき、倒れる。
激痛が俺を襲う・・・が、そのうちに何も感じなくなるだろう。
死ぬんだな・・・・・俺は・・・・。
あの子を守れなかったことが心残りだが・・・でも・・・これで・・・。
これで、よかったんだ・・・。
ドクンッ！！
―――脈動。
俺の体を、激しく揺らす。
ドクンッ！！ ドクンッ！！
消えていく痛み。
そして・・・・・。
そして、解放感。
『俺』は、目覚めた。
『俺』はゆっくりと起き上がった。
驚きの形相を作る、目の前の人間。
『俺』は、笑った。
これから起こる、血の惨劇を想像して。
この顔が、恐怖と絶望に歪められることを想像して。
「っ！！」
人間は、手に持った黒光りするものを『俺』に向けた。ボウガンか。矢は装填されてあるようだ。
撃つか。この『俺』を。
「やってみるがいい。だが、それで俺を仕留められなかったら・・・お前は、死ぬ」
『俺』は両手を広げた・・・どうも左手の反応が鈍い気がした。
見てみると、矢が突き刺さっていた。赤い血が流れ出ている。
・・・どうと言うこともない。
『俺』は視線を人間に戻した。
「う・・・うわあああああああああっ！！！！」
五月蠅い声を上げながら、人間は矢を放つ。
ビュンッ！
しかしその矢は、俺の横を掠めて飛んでいった。
この至近距離で外すとは・・・。
「馬鹿め」
『俺』は長剣を横に振るう。
距離的には、男には届いていない。
―――が。
男の首から上が、胴体より分離された。
吹き出す赤い噴水。
今ひとつ、小さな命が失われた。
『俺』は笑う。
歓喜に打ち震える。
・・・後方に人の気配がした。
振り返ってみると、ここより少し離れた場所から『俺』を狙っている者がいる。
手に持っているのは、先程死んだ人間と同じくボウガンだ。
新たな獲物の発見に、『俺』は思わず笑みを浮かべる。
ビュンッ！！
風を切って『俺』に迫る、矢。
『俺』はそれを、右手で打ち払った。
「！！？」
動きを止める、人間。
『俺』は飛んだ。
そのひと飛びで、人間との距離を一気に詰めた。
人間とは比べものにならないほどの跳躍力だ。
「あ・・・あああ・・・・・・」
ガタガタと震える人間。
なんと、弱い生き物よ・・・。
『俺』は長剣を突きだし、人間の脳天を刺し貫いた。
ビクン！ と体を揺らし、ビクビク痙攣を繰り返して・・・そして動かなくなる。
『俺』は長剣を引き抜き、そして人間の亡骸を蹴り飛ばした。血を撒き散らしながら、ごろりと転がる人間。
・・・・・・・・・。
まだ、足りない。
「大丈夫かっ！？ ハサハ！！」
そのとき、『俺』の後ろで声がした。
振り返ってみると、人間の男女が一人の少女に駆け寄っていた。
一人は、腰に剣を下げた黒髪の男。そしてもう一人は、茶色の髪を腰あたりまで伸ばした女だった。その二人が、くぼみの中でうずくまっている小さな女の元へ走っている。
三人か・・・足りない気もするがしょうがない。
『俺』は再び飛んだ。
軽く数十メートルは飛んでいる。
ドシン、と音を立てながら、『俺』は二人と一人の間に立った。
「！？」
足を止める二人の人間。
「そ、空から降ってきた・・・！？」
女の方が口に手を押さえながら言う。男の方は、『俺』の持つ赤い血に染まった剣を見て油断無く身構えていた。
「・・・お前は、誰だ！？」
叫ぶ男。
『俺』は・・・笑う。
「俺か・・・？ 俺は、魂の狩猟者」
「魂の・・・狩猟者・・・！？」
『俺』は、長剣を二人に突きつけた。
「お前たちの命は、どんな華を咲かせてくれるだろうな・・・」
「マグナっ！！」
「アメル！ 君はハサハを頼んだ！！」
マグナと呼ばれた男が剣を抜刀し、『俺』に斬りかかってきた。
『俺』はその場を動かない。
今まで抑えていた力を、ほんの少しだけ解放する。
『俺』の瞳の色が、黒色から深紅の赤へと変化した。
「一撃だ・・・」
『俺』は剣を両手で構える。左腕の動きが相変わらず鈍いが、この際しょうがない。
瞬時にして散る命の炎・・・それが見られるなら、どうでもいい。
『俺』は剣を握る手に力を込めた。
風が吹く。『俺』の周りをまとわりつくように、風が吹く。
「なっ・・・！？」
目の前まで来たマグナという人間は、風で一瞬動きを止めた。
散れ・・・儚き炎よ・・・。
「だめえええええっ！！！」
後ろより。
小さな・・・ほんの小さな衝撃と共に聞こえた叫び声。
ドクンッ！！
「ハサハちゃんっ！！？」
アメルと呼ばれた人間の女の声が、遠くから聞こえた。
と言うことは、今『俺』の背中にしがみついているのは・・・。
「ふたりともやめて・・・！！ たたかう理由なんて、ないからぁ・・・ッ！！」
『俺』は構わず、剣を振るおうとした。
しかし、体が動かない。
・・・この『俺』の背中にしがみつく女が、何か術のようなものを『俺』にかけたとは思えなかった。
ならば・・・何故・・・？
ドクンッ！！ ドクンッ！！
闇が生まれた。
・・・また、あそこに戻るのか・・・。
ふ・・・まあ良いだろう。
もう、時間の問題なのだから。
目の前に獲物を残したまま戻るというのが、残念でならなかったが・・・。
『俺』の意識は、そこで途切れた。
「・・・一緒に行くことはできない」
俺はそう言った。
当たり前である。俺と一緒に行動することがどれだけ危険なことかは、この三人は身をもって知ったはずだ。
俺はずっとひとりで旅してきた。一人でなければならなかったから。
寂しいと思ったことはない。それが、当たり前になっていたからだ。
だから、そう言った。
「目的地が同じなわけだし・・・いいじゃないですか。ハサハの命を救ってくれた恩人なら、やっぱりお礼をしたいし・・・」
マグナがそう言うと、隣のアメルもこくりと頷く。
「私も、貴方にはお礼がしたいです。このまま別れるなんて・・・」
「気持ちは嬉しいが・・・もう礼は充分してもらった。お前のその『奇跡の力』のおかげで、体も楽になったからな」
アメルの持つその『奇跡の力』で、俺の傷はもうほとんど塞がっていた。多少の痛みは残っているが、さして大きな問題でもない。
問題なのは、服に染みてしまっている赤い血なのだが・・・これはもうどうしようもない。諦めた。
「・・・それに、俺は一人が好きなんだ」
そう言っておく。そうでもしないと、いつまで経ってもこの三人は俺と一緒に行くことを望むだろう。
優しい奴らなのだ。
そんな奴らを、俺は殺したくない。
歩き出そうとする俺の服を、ハサハがぎゅっ、と掴んだ。
「・・・だめだよ・・・ひとりは・・・だめ」
寂しさを知った者がする瞳で、俺をじっと見ていた。
・・・だから俺は、視線を逸らした。
「・・・・・・またな」
ぽん、とハサハの頭に手を置いてそう言うと、俺は三人が歩もうとしている道とは違う道を歩き出した。
振り返ることはしなかった。
三人は、どんな瞳で俺の姿を見ていただろう。
ホッとしているだろうか・・・俺のような危険な奴に関わらずに済んで。
・・・いっそのことそう思ってくれた方が、俺も気が楽だ。
だが・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
もう、いいだろう。
どうせ、二度と会う気はない。
会ってはいけない。
俺は、歩みを早くした。
目指すは港町ファナン。そこで食料調達をしなければ、俺は飢えて死ぬ。
・・・・・・・・・・。
それもいいかと、一瞬本気で考えた。
しかし駄目だ。
俺が死にそうになると、ヤツが現れる。
・・・・・。
今日もまた、死ねなかった・・・。