気がついたティアは、もう自力で立ち上がれるほど回復していた。今はしっかりと、自分の両足で立ち、グラを見ている。

　服に、彼女の赤い血の跡が見られた。胸から下の服は、痛々しく深紅に染まっている。

　ティアは、泣いていた。

「・・・・ティ、ティア。どうし・・・」

「我の名は、フィート。この少女の中に眠りし、もう一つの力」

　目に涙を溜めながら、ティアの口からそんな言葉が発せられる。グラは戸惑いながらも、ティアの言葉に耳を傾けた。

「この少女が望むこと。それは、終わらせること」

　声は、ティアのままである。しかしその言葉の主は、どうやらその、フィートという者らしい。

「我は、この少女の代わりに、終わらせる」

　グラは、信じられないものを見た。

　ティアの背中に、人間にはあるはずのないものが現れていた。

　白く、汚れなき・・・。

　純白の、翼。

「こ・・・これは・・・・・『聖・ゲイボリオス』！？」

「汝に滅びを」

　ティアは、否、フィートはフレイム・ランスを投げ捨て、両手を前に掲げる。白い閃光が辺りを支配し、その次の瞬間にフィートの手には、光の刀身の剣が握られていた。

「・・・『聖剣・ヴァーランジア』」

　グラは全てを理解した。

　恐らくティアは、人間と、人間ともダーク・ハーフとも違う第三の種族、聖・ゲイボリオスとの混血。普段は人間としての血が聖・ゲイボリオスの血を抑え付けてはいるが、ティアの生命活動が著しく低下、あるいは精神的に気弱になったときなどにその血はティアの人格を抑え付け、こうして姿を現すのだ。

　グラの推測が正しければ、今本当のティアは、深層意識の奥深くで眠っているはずだ。

「・・・・・僕は貴方に、用はありません」

　その結論に至ったグラは、聖剣を手に持つフィートを睨みつけて言った。

「ティアを・・・解放しなさい」

「・・・断る。我は、久々に外に出た。このまま器の少女の人格を食らいつくし、我がこの器の主人となる」

　フィートはそう言って笑った。これをいい機会に、ティアの身体を乗っ取るつもりだ。

　グラが一層厳しい表情で、言う。

「・・・・・解放しなさい」

「我に命令するな。たかがダーク・ハーフごときが」

　聖・ゲイボリオスはダーク・ハーフとは異なり、白い天使の翼を持った者たちだ。その姿から一部の人間からは、『神の使い』として信仰されているらしいが、その性格は共通して封鎖的考え方をするもので、聖・ゲイボリオスは自分の種族以外の存在を認めていない。その分、ダーク・ハーフよりもたちが悪いかもしれない。

　聖・ゲイボリオスはその数が非常に少ない。しかし一人一人が持つ能力はずばぬけており、実際彼らは人が生まれるずっと前から少数でダーク・ハーフと戦い、互角の戦いを繰り広げてきた。

　どういう経路かは知らないが、ティアの身体にはその聖・ゲイボリオスの血が流れているらしい。ダーク・ハーフとは違い聖・ゲイボリオスは人の前に姿を現すことは滅多になく、しかも自分の血を人間に与えることなど、どんな理由があろうともしない。彼らのプライドが、それを許さないようだ。

　しかしここに、人間と聖・ゲイボリオスの混血の少女がいる。

　世界に、一人しかいないであろう、白い翼を持った人間の少女。

　グラは、ティアの言葉を思い出していた。

『違う！・・・・・・けど・・・そう言うことに・・・なっちゃうのかな・・・・・』

　そう言うことですか。

　ダーク・ハーフと聖・ゲイボリオスは、決して相容れることのできない種族。

　グラはフィートに向け、デリートを構えた。

「・・・僕の、誇りに懸けて・・・『フィート』、貴方を殺します」

「ふん、面白い。見せてもらおうではないか。貴様の力というものを」

　ヴァーランジアが、その輝きを増した。

　闇と光が、互いを呑み込もうとせめぎ合う。

　フィートの持つ、聖剣ヴァーランジア。あれは厄介な剣だ。あれは、物質を斬る剣ではない。根本から、その存在そのものを『消し去る』剣だ。触れることは、すなわち消し去られることを意味する。

　グラは目で捉えるのがやっとなほどのスピードでフィートに向かって飛び、振り出されたヴァーランジアを見切って回避した。そのまま懐に入るが、フィートは左手を前に出して、炎を出現させる。

「獄炎！」

　炎属性、テラ・フレイム級の威力を持った火炎が、グラを襲いかかった。グラは咄嗟に後ろに下がって、キャパシティの結界を張る。火炎はグラを包み込むが、結界によりダメージはない。

　炎が消え去った瞬間、目の前に迫ってきていたフィートが振り下ろしたヴァーランジアを、グラは紙一重でかわした。

　ヴァーランジアは地面に突き刺さる。すると地面は白い光に包まれて、そして丸くえぐり取られたように消滅した。

　グラの額に汗が浮かぶ。一瞬でも気を抜いてヴァーランジアでの一撃を受けたら、たとえデリートで受け止めたとしても、一瞬にして彼は消滅するであろう。ヴァーランジアを防ぐ手段は、彼にはなかった。とにかく、かわし続けるしか道はない。

　それも、どこまでもつかどうか。

　深層意識の中で眠っているティア。彼女を起こす方法が、一つだけある。しかしそれは、同時に彼女を、これから一生傷つけ続けることとなるだろう。

　しかしグラの決意は、決まっていた。

　ティアには、生きていてもらいたい。

　グラはその場から、突然かき消えた。

　そう、文字通り、消えた。

　これには、さすがにフィートも驚きを隠せない。姿どころか、気配すら完全に消えている。あの隠しようのない膨大なキャパシティも、今は感じない。

「どこだ！ ダーク・ハーフ！！」

　フィートの叫び声が、シルベイマウンテンの山頂に響き渡る。

「うあっ・・・！？」

　彼女は、首筋に痛みを感じた。

　フィートの後ろには、グラの姿があった。

「き、貴様・・・！ どうやって・・・！？」

　グラはその問いに答えない。答えられない。

　彼は、彼女の首の血管に牙を突き立てていた。それは、この世界の空想の生物ヴァンパイヤが、人の血を吸う図に酷似している。

　しかしこれは、吸っているのではない。彼は血を『送って』いるのだ。

「うっ・・・くあっ・・・あぅっ・・・！」

　グラの血が、彼女の身体を駆けめぐる。彼女は身体を自由をなくし、後ろのグラに寄りかかった。

「やっ・・・やめろ！！ くっ、うああっ！！」

　彼女の身体の中で、三つの血が入り交じる。

　人間と、聖・ゲイボリオスと、そしてダーク・ハーフ・クローム。

　彼女の純白の翼に、変化が起こった。

　汚れなき翼が、漆黒へと染まっていく。








　夢を、見たような気がする。

　あれは確か、まだ五歳だったとき。

　ティアは、やけに自分の身体が冷たいことに気がついた。

（あれ・・・身体が動かない・・・）

　手を動かそうとしても、足を動かそうとしても、瞼を開こうとしても、何も反応しない。ただ冷たさだけが、ティアを支配する。

（ああ、ボク、刺されたんだっけ・・・）

　村を襲った奴らの、一番偉そうな男に、胸を貫かれたのだ。

（力が、入らないや・・・・・死ぬのかな）

　ティアは漠然と、そう思った。恐怖はない。ただ自然に、自分が死ぬことを感じた。

『・・・思い出せ』

（・・・・・・？）

『思い出せ・・・ティア＝ノル』

　頭に、直接声が聞こえた。

（・・・誰？）

『お前には、秘められた力がある。思い出せ。そして・・・』

　しばらく間をあけて、声が言った。

『そして、殺せ！！』

　ティアは不意に、目を開いた。今まで開こうとしても開けなかった目が、自然と開かれた感じがした。

　誰かに、抱かれてる・・・？

　ティアは、誰かに守られていた。

　ポタン、とティアの額に、赤い雫が落ちる。

　ティアは顔を上げた。

　そこには、頭から血を流しながらにっこりと微笑みを浮かべる、顔見知りの老人がいた。

　ティアはその老人とは仲が良く、彼女はいつもその老人の家に遊びに行っては、昔話やこの世界の伝説などを聞かせてもらっていた。

　この村の村長でもある、老人だ。

「あ、そん・・・・・」

　ティアの言葉が、途中で止まった。

　彼は、横から突き出された槍に顔を貫かれた。ティアの抱え、微笑みを浮かべながら、老人は倒れる。

　彼が動き出すことは、もはやない。即死だ。

　ティアは一瞬わけが分からず、呆気にとられていた。

　身体全体に彼の血を浴びたティアは、体中を赤く染めたまま老人の手から放れ、ゆっくりと立ち上がった。

「お、おい・・・あの子供、生きてるぞ・・・」

　誰かがそう言った。胸を貫かれたティアだったが、今はもう傷は少しも残っていない。

　ティアは振り返り、顔を貫かれて倒れている老人を見た。

　彼の背中には、剣や槍が、無惨にもいくつも突き刺さっていた。

　彼女は、やっと理解した。

　もう、老人は動かない。話さない。笑わない。

　父親のいなかったティアにとって、少し老けてはいるが、父のような存在だった老人。

　もう・・・いない。

「うあああああああああああああああああああ！！！！」

　ドクンッ！

　ティアの絶叫が、村全体に響き渡る。

「た、隊長！ あ、あ、あの子供、生きてます！！」

「・・・な、何故・・・生きているのだ・・・？」

　確かに、胸を貫いた筈だった。

「かっ、構わん！ 殺せ！！」

　隊長の声に、今まで唖然としていた兵士が我に返った。それぞれ自分の手にしている武器で、子供のティアに一斉に襲いかかる。

『・・・馬鹿め！！』

　ティアの背中に、純白の、あの翼が現れた。

　それが、初めてティアが覚醒した日だった。

　いくつもの槍と剣に身体を貫かれ、ティアは赤い血を撒き散らす。

　しかしティアは、微笑んでいた。

「燃えよ」

　その一言で、その場にいた兵士全員が火炎に包まれ、一瞬で燃え尽きた。ティアは身体に突き刺さっているものを、邪魔そうに一本ずつ抜いていく。

「・・・て・・・てん・・・しの・・・翼・・・・」

　隊長は怯えた目でティアを見て、がちがちの身体で後ずさった。

　ティアはその全てを抜き終わった後、怯える男を見て、悪魔のような笑みを浮かべる。

　・・・・・その後は、覚えていない。

　気がついたら、兵士達の死体が自分の周りに沢山転がっていた。

「・・・こんな事が、あったんですね・・・」

　周囲がいきなり真っ暗になり、そこに立っていたグラがそう言った。

　ティアは苦笑を浮かべる。

「あーあ、ばれちゃったか・・・」

　この事実を知っているのは、ティアの他に、元相棒のティルアしかいなかった。

　誰にも、話す気はなかった。

「ボクは、人間と聖・ゲイボリオスの混血。小さい頃は気づいてなかったけど・・・」

　ティアは苦笑いを浮かべながら、さらりとそう言う。

「・・・ティア」

「時々、自分が怖くなるよ・・・ボクの中に、もう一人のボクがいる。全部を憎んで、全部を壊そうと願う、もう一人のボクが・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

　ティアは、涙を流していた。

　言葉もなく、ただティアを見つめるグラ。

「ボクなんて、いない方がいいんだよね。いつ、もう一人のボクが目覚めるか分からない・・・大切な人を、この手で殺しちゃうかもしれない・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「でも、ボクは・・・・・ボクは・・・・・・・・・・」

　死にたくないよ。

　その言葉は、発せられなかった。

　グラは無言のままティアに近づき、いきなり抱きしめたのだ。

「・・・・・グラ・・・」

「ティア、貴方は、ここで死んではいけません。貴方を必要としている人が、貴方を待っている人が、この大陸に沢山いるはずです」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・貴方の中にいるもう一人の貴方は、僕が抑え付けましょう。二度と、目覚めることの無いように」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「だから貴方は、生きて下さい」

　グラには、後悔はなかった。

　愛するもののために。全ては、ティアのために。

　グラはティアを放した。ティアは目の涙を必死に拭いながら、無理に笑う。

「・・・グラ」

「ティア。僕は貴方が聖・ゲイボリオスとの混血でも、構いませんでしたよ」

「え・・・？」

「僕は、貴方を愛していた。ダーク・ハーフとか、人間とか、そのようなものは関係ありません」

「・・・・・・・・・・・・・ごめん」

「・・・分かってましたよ。貴方の心に、僕はありません」

「・・・・・ごめんね・・・グラ」

「謝る必要はありません。むしろ、僕が謝らなければならない」

「・・・・・・・・じゃあ、おあいこ・・・」

「・・・・・ええ。そうですね」

　ティアとグラは、微笑み合った。








　ティアの身体に、光が集まってきた。

　これは、キャパシティそのもの。

　これは、人の想いそのもの。

　これは、悲しみの涙そのもの。

　これは、未来への希望そのもの。

　その光の中に、グラは溶け込んでいった。

（・・・人を愛するというのは、いいことですね・・・）

　グラの身体は、徐々に光に呑み込まれていく。

　薄れゆく意識の中、グラは思う。

（ティア、生きて下さい。そして、幸せを―――――――）

　グラの意識が、途切れた。

　ティアは、ゆっくりと上昇する。

　光は果てしなく収束する。

　そして、その光は弾け飛んだ。

　全方向、大陸中に飛び散る、光。





「・・・ん？」

　彼は、不意に空を見上げた。

　そこには、上空を走るいくつもの光の線が見られる。

「・・・何だ？」

　彼は首をひねった。

　しかしすぐに、考えることをやめる。無駄な行動は、極力避けるのが彼だ。

　彼はズィヴラ国のアルヴァス支部に向かい、ゆっくりとした足取りで歩いていく。





「はい、これで１０セイムね」

「ありがと」

　商品の保存用食料を受け取り、少女は微笑んだ。

　これから、オートに行こうと思う。

　あそこに行くのは初めてだ。

　新しい街への期待が、どんどん高まっていく。

「・・・あれ・・・？」

　空に、光が走っている。

「な、何あれ・・・」

　少女はしばらく、その幻想的とも言える光に見入っていた。





　彼は、恋人と穏やかなひとときを過ごしていた。

　恋人は幼なじみ。ドジで、おっちょこちょいで、どこか抜けていて・・・。

　彼が愛している、世界で一人の彼女と一緒に。

「ねぇ・・・あれ、何？」

　その彼女が、彼の裾を引っ張って言う。

　彼は顔を上げた。

　そこには、無数のまばゆい光が流れていた。

「・・・・・何だ？」

　彼は立ち上がった。しかし急に立ち上がったので、彼の肩に自分の肩を預けていた彼女は寄りかかるものをなくして、倒れそうになる。

　彼はそれを受け止め、バーカと言って彼女の頭を軽く叩いた。





　少年は、勉強中だった。

　いつもならすらすらと解いていく問題なのだが、今日はどうも調子が悪い。

　問題に詰まってしまい、苛ついた彼はペンを投げ出した。

　ふと、窓から外を見る。

　何も変わりない街並み。正直、見飽きた。

　しかし、いつもと違う光景があった。

　空に流れる、光。

「何だあれは」

　少年は立ち上がり、もっとよく見るためにベランダへと歩いていった。





（確か、この街にいるんだったな。彼女）

　男は、オートの街を歩く。今日この街に着いたばかりなので、見るもの全てが新鮮だ。

（彼女に会うには、まずアルヴァスに行って・・・）

　彼は足を止めた。

　顔を落とし、大きなため息をついて呟く。

「なにやってんだ・・・俺」

　彼女は彼女であり、あいつではない。

（分かってるはずなんだけどな・・・）

「おい、あれ見ろよ！」

「何だ何だ？」

　不意に、街が騒がしくなった。

　彼はある男が指さしたところ、空を見上げる。

（・・・・・光）

　光が、いくつもの光が、天を駆け抜けていく。








　シルベイマウンテンから、魔物の気配が完全に消えた。

　どうやらこの山の魔物たちは、グラのために作られた剣『デリート』の負のキャパシティから生まれ出たものだったらしく、その行動は、デリートのある山頂に近づこうとするものを消すだけに集中していたようだった。だから山から下りてくることはなく、山の中でその数を増やしていったのだ。

　そのデリートが持ち主と共に消えたことによりシルベイマウンテンに魔物が存在する意味がなくなってしまい、消えたのである。

「・・・終わったのか？」

「うん、終わった」

　手を広げて地面に寝っ転がるティアに、血だらけで今にも倒れそうなティルアが近づいてきた。ティルアの腹にはグラによって付けられた大きな切り傷があるが、術により治療したのか出血は止まり、傷口は塞がりつつある。

　グラは、ティルアを殺すことはできなかったようだ。

「で、どうなったんだ？」

　ティアの横に腰を下ろして、ティアをのぞき込みながらティルアはそう聞く。

「・・・・・グラは、ここにいるよ」

　そう言って、ティアは自分の胸を指した。

　ティルアはわけが分からず、「は？」と聞き返す。

「とりあえず、もう心配ないよ。魔物の気配も消えたし」

　ティアは何があったのか説明することを避け、そう言って微笑んだ。

「おい・・・・・って、まあいいか・・・」

　ティルアもそのことに関して、突っ込んで聞くことをやめる。

　眠るように目をつぶったティアは、静かな声で言った。

「・・・ごめんね。巻き込んじゃったね」

「阿呆。忘れたのか？ 俺は仕事で、ここにいるんだぜ？」

「あ、そーだっけ？」

　そう言えばティルア曰く、彼はオートのアルヴァスより依頼を受けて、ティアの手助けに来たのだった。その依頼主というのはよく分からないらしいのだが。

　ティアは苦笑した。

「なんだ。謝って損した」

　そう言って、大きくため息をつくティア。

「・・・ボクは大丈夫だから、あっちのミリアの手当てしてやって。情けないけど、ボク身体が思うように動かないんだ」

「・・・・・分かった。任せておけ」

　ティルアはそう言って頷くと、ゆっくりと立ち上がった。辺りを見渡して、倒れているミリアの姿を発見する。

　傷口が開かないように注意しながら、ティルアはミリアに向かって歩いていった。

　ミリアは、どこかで見たことのあるような巨大な剣をしっかりと握りしめながら、気を失っていた。よく見てみると右肩の骨が折れているようで、左手で支えるようにしている。

「おーい、ミリア。死んでないなー？」

　縁起でもないことを口走りながら、ティルアがミリアの前にかがんだ。そしてまずは右肩に優しく手を当て、樹属性の術、オール・クリアのキャパシティ・ワードを早口で紡ぐ。

　緑色の光が、ミリアの肩に集まっていった。時間はかかるが、折れた骨はこれで完全に元通りになる。

「・・・・・全く、コイツも頑張ったな・・・」

　そう言いながら、ティルアはあいている手でミリアの頭を撫でた。体中は自分に負けないほど傷だらけになり、しかも肩の骨は折れてまで、ミリアは戦った。

　とても八歳の子供とは思えない。

　ティルアは苦笑した。もしかして自分は、将来自分たちを越えるかもしれない子供を前にしているのかもしれないと思ったからだ。

「・・・・・強くなるな、コイツ」

　誰かの返答を期待して呟いた言葉ではなかった。

　しかし答えが、意外なところから聞こえてくる。

（当たり前だ。ミリアは我が初めて主と認めた者だからな）

「ああ、お前自分の目は狂ってないって言いたいんだな。よく分かってるよ」

（分かっているなら別にいい。それよりも、我が主の治療に専念しろ）

「何だお前は。エラソーに・・・・・」

　何気なく、頭に響くように聞こえてきた声と会話をしていたが・・・・・。

　ティルアは自分の異常に気づき、頭を振った。

「やばいやばい、幻聴が聞こえてきてたぜ」

（幻聴ではない）

「しかもそれに普通に答えてたよ俺。実は結構危ねぇんじゃないか？」

（話を聞け、人間）

「・・・・・・・・・・・・・・・・俺は何も聞こえない。俺は何も聞こえない」

（諦めろ、これが現実だ）

「・・・ああああ、もうこれ以上厄介なことをふやさないでくれ・・・・・」

　心底疲れ果てた声で、ティルアが呟いた。

　ミリアの持っている剣を見た瞬間、だいたい予想はついていた。

　これは間違いなく、魔剣ヴネスだ。意志を持つと噂されている、呪われた剣。

　今の声は、恐らくそのヴネスの言葉。

「・・・お前、ミリアをマスターに選んだのか？」

　諦めたような口調で、ティルアがヴネスに話しかけた。

（何だ。何か言いたいことでもあるのか？）

　ヴネスは不機嫌そうなそうでもないような声で、答える。

「魔剣って言うからには、もっとごつい男をマスターにしてるのを想像するんだよなぁ。お前とミリアってあってるのか？」

（精神波長が同調したからこそ、我はミリアを主に選んだ）

　ティルアはヴネスの言っている意味が分からずに、片言な言葉で聞く。

「セ、セイシンハチョウ？」

（汝にはどんな説明をしても理解してもらえるとは思えない）

　多少嘲りを含んだような声が聞こえてきた。

「・・・お前、はっきり言うやつだな」

（発言したいことを心に留めておく気はない）

　これからのミリアの苦難が、ティルアには見えたような気がした。

　とりあえず、ティルアはヴネスが言ったとおりに傷の治療に専念することにした。

　少し離れて寝ているティアは、何とか動く手をぎこちなく動かし、回収した『ＣＤＣ』を手に取った。ＣＤＣとは、正式名称『シーディ・キャパシティ』、簡単に言えばキャパシティの結晶体だ。直径十二センチほどの円盤状の形をしていて、キャパシティを一定以上持つ者が死ぬと、その場に忽然と現れる。何故現れるのか、どのような使い方があるのかなどは、現代の技術では全く分かっていない。

　ティアが手に持っているのはグラ＝バレーのＣＤＣである。グラほどのキャパシティを持った者のＣＤＣなら、さぞもの凄い量のデータがこのＣＤＣには凝縮されていることだろう。

　ティアはそのＣＤＣを黙って眺めていたが、ふと微笑んで、呟いた。

「ありがとう・・・グラ」

　その小さな呟きは、誰にも聞かれることはなかった。








「お姉ちゃーんっ！ さっさと起きないと遅刻するよー！」

　隣の部屋から、ミリアの声が聞こえてくる。

　まだ、眠い。

　昨日は、つい深夜まで機械いじりに夢中になってしまった。今日の朝起きるのがきついことは覚悟していたのだが、実際この状況になるととても起きる気になどなれない。

　しかし、何か大切なことを忘れているような気がしないでもなかった。

　一体それは何だったか・・・。

　仕事・・・は無かったはず。買い出し・・・は昨日行って来た。

　ベットの中で悩んでいたティアだったが、それは唐突に思い出された。

「ああぁーっ！！」

　思わず叫びながら起き上がるティア。

　そう言えば、今日はオートのアルヴァス支部長であるナルフに会う日だ。話があると言うことだが、恐らくそれはこの前の仕事のことだろう。

　どんな理由があろうとも、ティアがクライアントを殺してしまったことには変わりはない。信頼が命のアルヴァスにとって、これは致命的だ。

　これはランクダウンを覚悟した方が良さそうである。

　とまあ、それはいいとして。

　このままだと、間違いなく遅刻だ。

　こんな大切な話しに遅刻などしようものなら・・・解雇なんて事も・・・。

　そんな不吉な考えが、頭をよぎる。

　とりあえずティアは着ていた服を乱暴に脱ぎ捨て、畳んでおいた着替えに袖を通した。今日は仕事のときに着る赤をベースにした服ではなく、白と黒とを合わせた普段着である。

　着替えを済ませると、すぐ隣の部屋に移動した。そこでは居候の身のミリアが、朝ご飯を準備して待っていた。現在ティアとミリアは、同じアパートの同じ部屋で一緒に生活している。朝食の準備はミリアが担当だ。

　エプロンを付けたミリアが、起きたばかりらしいティアを見て苦笑する。

「おはよう。遅いよお姉ちゃん。このままだと・・・」

「おはよ！ 食べながら行く！ ミリア、後よろしくね！」

　ティアはテーブルの上に乗っかっていたトーストに手を伸ばし、口にくわえて走り出した。とにかく一刻の猶予もない。のんびり朝食などしてはいられない。

　ミリアは部屋を飛び出して行ったティアを見て、クスクスと笑った。



　アパートを飛び出すように出たティアは、アルヴァス支部に向かって見慣れた道を走り出した。走ってぎりぎりか、それとも遅刻か、そんな切羽詰まった状況だ。

（あー！ 昨日とっとと寝れば良かったああぁ！）

　そんなことを考えるが、今となってはもはや後の祭りである。

　とにかく必死で走っていたティアだったが、ふと腕を掴まれる感覚を感じ、引き寄せられて動きを止められた。ティアに気配を察知されずに後ろに近づくとは、相当な手慣れだ。

　まあ今回は、ティアに自分の後ろを気にするほどの余裕はなかったが。

　しかしティアには、顔を見ないまでもその男が誰だか分かったらしい。

「放せ！ 遅れる！」

「なーに急いでんだ？ もっと落ち着こうぜ」

「何オマエが余裕こいてんだ！！ ティルアも支部長に呼ばれてるだろー！？」

　そう。ティアの動きを止めたのは、彼女の元相棒、ティルアだ。グラによって瀕死の重傷を負わされた彼だったが、この二週間で身体の方はほぼ完全に回復していた。

　あの現場にいた彼もティアと同じく支部長から呼び出しを受けていたはず。しかし彼は至って余裕で、のんびりとしていた。

「ああ、呼ばれてるけどな。別に遅れても構わねぇだろ」

「このノーテンキ男！ 構わないわけないだろ！！」

「まあまあ、もっと楽に行こうぜ」

　楽観主義も、ここまでくると呆れて言葉もない。

「・・・・・調子狂う・・・」

　いつもの事ながら、疲れたようにため息をつくティア。

　ティルアは口元も笑みを浮かべると、ここでやっとティアの腕を解放した。

　そして唐突に、こう聞く。

「ティア、俺との約束、覚えてるか？」

「忘れた」

　ティアは考えもせず、速攻でそう答えてやった。

　しかしティルアはそれでめげずに、ティアの頭に手を乗せて言う。

「・・・・・俺と一日、付き合ってくれるってやつだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

　自分の頭の上にティルアの手の温かさを感じながら、ティアは黙っていた。

「約束は守ってもらうぜ」

　ティアを見下ろして、ニヤッ、と笑うティルア。

　大きくため息をついて、ティアは苦笑した。

「・・・・・しょうがないなぁ・・・・・いいよ」

　ティアはそう言って、微笑む。

　そして二人は、いつものように言い争いをしながらアルヴァス支部へと走って行った。

　誰も気づかなかったが、ティアのポーチの中に大切にしまわれているグラのＣＤＣが、まばゆく光り輝いていた。

　風が流れる。

　空には、全てを包み込む、碧空。










　その日ティアとティルアがナルフに呼び出された理由は、事実確認と、ティアの昇格を伝えるためであった。

　この時より、ティアはＡランクとなった。

　本編より、約一年前の話である



















０１番外編　第二章

　汚れた翼の少女　終了

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