暗い、暗い、なにもない空間。
深く、深く、沈んでいく――――――。
突如明るくなり、ある一場面が浮かぶ。
（あれは・・・・・わたしのむら）
滅んだ村、ザーク。
そう、あれは、ミリアが滅ぼした。
ダーク・ハーフに血を送られ、意識を失ったミリアが、村人を捕食した。
仲の良かった友達。優しくしてくれた老夫婦。よく釣りを教えてくれた、隣の若者。
（ぱぱ・・・・・）
みんなの顔が浮かび、そして消えていく。
儚く。脆く。
「そう、こうなる原因を作ったのは、私」
やけにはっきりした声が、沈んでいくミリアの耳に届く。
どこかで聞いたことのある声。
（わたしの・・・こえ）
それは、ミリア＝アースロンの声。
「私がいなかったら、こうはならなかった」
（わたしがいなかったら・・・）
「私さえ、存在しなければ」
（わたしさえ、そんざいしなければ・・・）
ミリアの目に、涙が浮かんだ。
自分さえいなければ、みんな死なずにすんだ。
（わたしの・・・せいだ）
「そう、私のせい・・・」
自分がもし、この世にいなかったら・・・・・。
「だから私は、私を殺す」
沈み続けるミリアの目の前に、黒い羽を背中に持ち、魔剣ヴネスをもった『ミリア』が、その姿を現した。
「私は、死ぬべきなのよ」
（しぬべき・・・）
「たくさんの命を奪った。そして今も、奪おうとしてる」
（たくさん・・・ころした）
そして今も───。
「私は、この世に必要とされていない・・・死んだ方が、楽なの」
（ひつようとされていない・・・）
もう一人のミリアが、魔剣を構えた。
ミリアは、ただただ暗闇の奥底へ沈んでいく。
「・・・死のう。ミリア」
もう一人のミリアが、自然落下しているミリアに向かって魔剣を突きだした。
易々と、ミリアの心臓の辺りに、赤い魔剣が突き刺さる。
痛みは、感じない。
ただ、崩れていく感じがした。
自分が、誰にも必要とされていないなら、死んでもいいとミリアは思った。
冷たい世界へと、引き込まれていく。
どこまでも、どこまでも、深く。
不意に、ミリアは身体が暖かくなっていくのを感じた。
どこからか聞こえてくる、優しい声。
『ミリア、この仕事終わったらさ、ボクと一緒にオートに来ない？』
『ミリアは、やっぱりボクに似てる』
『気負わなくていいよ。誰もミリアのこと、足引っぱってるなんて思ってないから』
『これから先どんなことがあっても、ボクはミリアの味方だよ』
自然と、涙が溢れてきた。拭っても拭っても、止まらない。
『一緒に、帰ろう。ミリア』
そう言って優しく微笑むティアの姿が見えた、ような気がした。
気持ちのいい暖かさが、ミリアを包み込む。
（わたし・・・）
ピシッ、と、暗闇の空間に亀裂が走る。
（わたし・・・きめた）
その亀裂が、さらに大きくなる。
もう一人のミリアは、ヴネスをミリアの胸に突き刺したまま、動かない。
（わたし、いきる。ぜんぶ、うけいれる）
ミリアは、目の前にいるもう一人のミリアに手を伸ばした。
（もうひとりのわたし。あなたも、わたしじしんだったんだね）
「・・・・・・・・・・・・・」
（ごめんね・・・いままでひとりにさせて・・・）
「・・・・・・・・・・・・・」
（きて。いっしょにいきよう。もうわたしは、あなたをきょぜつしたりしない）
「・・・・・・・・・・・・・」
もう一人のミリアが、涙を浮かべた顔で、微笑んだ。
二人は一つに重なり、もう一人のミリアは溶け消えるようにしてミリアの中に入っていく。
空間の亀裂は、さらに大きくなった。外からは明るい光が、暖かく射し込んでくる。
「魔剣ヴネス」
ミリアの言葉に応えるようにして、ヴネスはミリアの胸からその刀身を引き抜いた。
ヴネスの刺さっていた胸の傷は、あっという間に消えてなくなる。
「あなたも、私と一緒に来る？」
「・・・・・・・・・・・」
「あなたは、自分の意志を持っている魔剣。私の言葉が、聞こえているはずだよ」
「・・・・・・ああ、聞こえている」
ヴネスは、簡潔にそう答えた。
ミリアは、寂しい微笑みを浮かべる。
「多くの血を吸ってきた剣。あなたも、私と同じ」
「・・・我が、たかが人間の汝と同じだというのか」
「あなたは、誰かに救われることを望んでいる」
「・・・・・馬鹿な」
「・・・私は、あなたを、絶対に一人にしないわ」
「・・・・・・・・・・」
沈黙が、この場を支配した。揺るぎない瞳をたたえるミリアと、鋭く光る赤色の刀身をもつ魔剣。
魔剣は、かつて捨てられた剣であった。
剣の怨念が、怒りが・・・悲しみが、魔剣ヴネスを創った。
「ミリア＝アースロン」
魔剣ヴネスは、ミリアの前に直立して浮かんだ。
「我は、汝のために、この身を振るおう。我は汝が憎むべきものを滅ぼし、汝が守護するものを守ろう。これは、我が生まれてから最初にする、誓いだ」
「じゃあ、私も誓う。ヴネス、私はこれから先、あなたの相棒でいる。ずっと」
ミリアは、ヴネスを手に取った。
「・・・・・ゆくぞ。我が主よ」
「うん」
暗闇のその空間は、粉々に砕け散った。
正気に戻ったミリアは、自分を優しく抱きしめているティアの胸に、赤い血を滴らせて突き刺さっていたヴネスを急いで引き抜いた。鮮血を撒き散らしながら力無く倒れるティアを、ミリアは何とか受け止める。
「ライフ・リカバリー！」
ミリアの頭に、この状況に適した情報が流れ込んできた。ヴネスからの情報である。
ヴネスに教えてもらった『命』属性の傷回復の術を、キャパシティ・ワード無しで放つミリア。ミリアの背中には黒い羽があるままなので、キャパシティの量も普段からは考えられないくらい増大している。今のミリアに、キャパシティ・ワードなど必要のないものなのだ。
暖かな輝く光が、地面に寝るティアの傷口に集まっていく。
「お姉ちゃん・・・お姉ちゃん・・・！」
「・・・・・・・・・ミリア・・・よかった・・・・・」
うっすらと目を開けて、弱々しい声でティアが言った。彼女の命の灯火は、今にも消えようとしている。
「ごめんね・・・お姉ちゃん・・・私、私・・・・・」
涙を流しながら、ミリア。
ティアはそんなミリアを見て微笑むと、ゆっくりと右手を上げた。その手で、ミリアの頬を優しく撫でる。
「あ・・・うああ・・・・・おねえちゃあぁぁん・・・・・」
ミリアは泣きながら、命の術を発動し続けた。そのキャパシティの限界まで、術のレベルを上げる。
さらに輝きを増した光は、ティアの傷を徐々に塞いでいった。命属性の術は、主に回復系の力を発動させることができる属性だ。樹の属性でも傷を塞ぐ事はできるが、やはり命属性の効果の高さに勝つことはできない。
その二つの根本的な違いは、樹の属性はその者本人がもつ自然治癒力を活性化させるものなのだが、命属性は根本的に傷を治してしまう力だと言うところだ。そんな理由もあり、樹の術で傷を治すことはあまり効率の良いものではない。傷は確かに塞がるが、それと同時に体力も大量に消費してしまうのだ。実践的ではない。
しかしそんな命の術を受けても、何故かティアの傷の治りは遅かった。傷口からは、赤い血がまだ痛々しく流れ出ている。
（我に貫かれたからだ。我の刀身は呪いの刃。光の力である命属性とは相性が悪い）
ミリアの頭の中に、そんなヴネスの言葉が流れ込んできた。
「・・・相性が良かろうが、悪かろうが・・・私はお姉ちゃんを・・・・・」
（ミリア、我を構えて振り返れ）
突然、ヴネスがそうミリアに訴えた。ミリアは背中に強烈な悪寒を感じ、言われたとおりにヴネスを構えて急いで振り返る。
狂気に支配されたグラは、目の前まで迫っていた。
デリートの斬撃を、巨大なヴネスで受け止めるミリア。
「・・・ミリア、貴方・・・・・受け入れたのですね」
「・・・・・・・・・・・・・・私は、私だから・・・ 」
多少驚いたように言うグラと、目に涙を浮かべているミリアが、睨み合った。
風が、ゆっくりと流れていく。
その風に逆らって、突風が突き抜ける。
グラが舌打ちして、ミリアの前から後ろに飛んだ。その直後、ティルアのファランク・ソードと、グラのデリートが音を立てて重なる。
ティルアはそのままファランク・ソードを押し出して、グラを後退させた。
「ミリア！！ ティア、頼んだぜ！！」
「あ・・・・・う、うん！！」
グラは見た感じ無傷なのに対して、ティルアは体中に傷を負っていた。アルヴァスＡランクのティルアと言えど、クロームの相手をするのは厳しいらしい。
ミリアは急いで倒れているティアに近づくと、治療を再開した。
「貴方は、邪魔なんですよ。僕とティアの前から消えて下さい」
「・・・・・イヤだね」
常人ではとらえるのがやっとな程のスピードで、二人は激しい戦いを繰り広げた。
状況は、ティルアが圧倒的に不利。
「貴方に拒否する権利はないのです。ただ僕の言うとおり、消えるしかないんですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
剣と剣とがぶつかる音。
それに伴い生まれる、衝撃。
剣を振るうたびに、これまでグラに付けられた傷から血が飛び散った。
ティルアが仕掛ける。身を低くしてグラに突撃し、目にも留まらぬスピードでグラに斬りかかった。しかしグラはそれをいとも簡単に避け、お返しとばかりにティルアの顔面に蹴りを入れる。吹っ飛ばされたティルアは、数メートル転がった後にやっと止まった。
「・・・諦めなさい。貴方では、僕に勝てない」
ゆっくりとティルアの前まで来て、グラが諭すように言う。
確かに、この状況を打破することは、限りなく不可能に近いことだ。
ティアは傷を負っているし、ミリアはその治療中。と言っても他に援軍なんかは期待できないし、奥の手、など言うものも存在しない。
しかしティルアは、よろよろと立ち上がった。
諦めるわけには、いかなかった。
まだやる気のティルアを見て、グラは哀れみの表情を浮かべてため息をついた。
「・・・まだ、諦められませんか」
「・・・・・俺は、まだ、剣を持てるぜ・・・」
ティルアは剣を持つ手に力を込めた。
彼の瞳には、まだ燃え上がるほどの闘志がある。
「・・・さあ、さっさと来いよ」
グラは一瞬、彼のその姿を見て怯んだ。恐ろしい男を、自分は目の前にしている感じがした。
「・・・・・なら、望み通りに・・・」
そんな気持ちを押しつぶすように、グラがティルアに向かって飛ぶ。その速度は並ではない。もし普通の人間だったら、そのスピードに対応できずに、ただ何もできず死ぬことになるだろう。
ティルアははっきりと、自分に向かってデリートを振りかざすグラの姿を、見た。
いや、見えたというのが正しいかもしれない。今回見切れたのは、運が良かっただけだ。
振り下ろされたデリートを間一髪でかわし、横からファランク・ソードを突き出すティルア。
だが。
「・・・甘いですよ」
グラは左手を、ティルアに向かって突き出す。
「ヴァレアスト・ウィンドゥ！」
キャパシティ・ワード無しに、グラは得意の風属性の術を放った。
突風により吹っ飛ばされ、ティルアは後方に転がる。
「コールド・ランス！」
間髪入れず、グラは氷属性の術を放った。凍えるような冷たい突風が、何とか立ち上がったティルアを襲う。それと共に、鋭く尖った幾つもの小さな氷の刃が、ティルアを引き裂かんともの凄い勢いで飛んできた。
それをファランク・ソードで何とか叩き落とすが、何本かは防ぎきれずに、ティルアの右肩と、腹の辺りと、右足の膝に氷の剣が突き刺さる。
衝撃で、後ろに倒れるティルア。ファランク・ソードを取り落としそうになるが、きつく握りしめて、手放してしまうことは防いだ。
そんなティルアに向かって、グラが斬りかかってきた。ティルアは肩に突き刺さっている氷を引き抜き、続けて足の氷も抜く。
激痛がティルアを襲うが、今はそんなことに構っている場合ではない。
「我は今ここに願う。全てを無に還す地獄の火炎にて、全てを滅ぼさんことを・・・」
ティルアは炎属性の中で最大級の破壊力を持つ、テラ・フレイムを放つつもりだ。勿論手加減などしない。クローム相手に手加減なんてしようものなら、命がいくつあっても足りはしない。
「テラ・フレイム！！」
真っ赤な業火が、グラに向かって突き進む。
鋼をも一瞬で溶かす高熱の炎。
グラはデリートを、軽く振った。
炎が、斬られた。
「な・・・！？」
「・・・この程度で、僕を滅ぼすことなどできないですよ・・・」
炎と炎の間から、悪魔のような、否、悪魔そのものの笑みを浮かべて、グラがそう言った。
グラは、ゆっくりとティルアに近づいていく。
「・・・貴方は、確かに強い。しかしそれは、『人間の中で見れば』、です」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「僕には、遠く及ばない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
それは正しい事だった。
基本的な能力が、人間とダーク・ハーフ・クロームでは違いすぎる。
言葉もないのか、ティルアはずっと黙っていた。
「残念です。僕は貴方が、決して嫌いなわけではなかった。ただ貴方は、僕とティアとの間を邪魔する者。ここで、滅ぼさせてもらいます」
デリートを、ティルアの首に突きつけるグラ。
勝敗は、ついた。
ティルアは、もはや動くことすらままならない。右足は使い物にならないし、右肩もさっきから全然動かない。
大量に血を失ったせいか、身体に力が入らない。
勝ち目はない。
彼は、そう感じた。
自分がどんなベストなコンディションでも、どんなに強い武器を持とうと、自分は、この男には勝てない。
強い者だからこそ分かってしまう。その絶望的なほどの力の差。
・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・れねぇ・・・」
だが、彼は。
「・・・ずれねぇ」
この男は。
「ゆずれねぇ・・・」
死は、怖くない。彼は、ずっと、死を覚悟して生きてきた。
それよりも怖いのは。
彼の中のこの気持ちが、ねじ曲げられること。
「ゆずれねぇ！！」
ティルアのキャパシティに、大地が震えた。
彼を動かすもの。
それは、想い。
誰であろうと、たとえ神であろうとも、彼のこの想いを曲げることは不可能。
「これだけは・・・死んでもゆずれねぇ！！」
「・・・ほう。たかが人間がこれほどのキャパシティを・・・」
正直グラは、驚きを隠せないでいた。
自分にはまだ劣るとはいえ、それでもこのキャパシティの量は、基準を大きく上回る。
どこに、こんな力が隠されていたのだろうか。
グラは立ち上がったティルアを見て、微笑んだ。
「・・・いいでしょう。貴方の力に敬意を賞して、僕の最大の力で、貴方を滅ぼして差し上げます」
グラは一度デリートを引くと、ティルアとの距離をとって流れるような造作で身構える。
「死になさい」
グラはもう、その場にはいなかった。
次の瞬間は、ティルアの後ろに、グラが立っていた。
何が起こったか、分からなかった。
遅れて、鮮血。
ティルアは、力無く崩れ落ちた。
反応すら、できなかった。
やはり力の差は、歴然だった。
（主よ、仲間の活動が停止したぞ。奴はこちらに向かってくる）
「・・・ティルア・・・！」
ヴネスのその言葉に、唇を噛むミリア。
ティアは、先程からずっと気を失ったままだ。治療を続けてはいるものの、意識を取り戻す様子はない。
（こうなれば、この女の事は後回しだ・・・クロームを撃退する）
「・・・・・・・・・・・・・」
ミリアは無言のまま立ち上がり、くるりと後ろを振り返った。
その先には、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる、『悪魔』がいた。
「・・・ねぇ、ヴネス」
（何だ？）
「・・・・・私たち、勝てるかな・・・？」
震えた声。
ミリアは、怯えていた。
ティルアですら足下にも及ばなかった実力を持つ、グラ＝バレー。
そんな彼に、彼女は勝つ自信はない。
手の震えが、止まらない。
（・・・・・・・・・・・）
ヴネスは黙っていた。勝敗は分かりきっている。いくらダーク・ハーフの血が半分流れているために戦闘能力が上昇していようとも、キャパシティの量が膨れあがっていようとも、ミリアは、まだ八歳の子供だ。
勝ち目など、初めからあるわけがない。
しかしヴネスは、みすみすミリアを殺される気はなかった。
彼女が助かる道があるのなら、誰を犠牲にしようと、どんな汚い手を使おうと、彼はその道を選択するであろう。
（・・・主よ）
「・・・・・何？」
（奴の目的は、この女か）
「・・・うん」
（主よ、汝はこの女を、命を懸けて守る気はあるか）
ヴネスの問いに、ミリアは力強く、こくりと頷いた。
（・・・・・・我の力は、汝と共にある）
赤き稲妻が、ヴネスと、ミリアの周りに迸った。その稲妻は、ミリアを守るようにして、彼女の小さな身体に纏わりつく。
（・・・我の力は、汝のものだ）
「・・・・・ありがと。ヴネス」
ミリアは手にしている魔剣ヴネスを見て、小さく微笑んだ。
悪魔は、もうミリアのすぐ目の前。
背中に黒き羽を持った者が、ここに対峙した。
「・・・ミリア、貴方も、邪魔するんですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
無言のまま、グラを睨みつけるミリア。赤い稲妻がいっそうその激しさを増す。
「何故ですか。僕は、ただティアを愛しているだけです。殺そうとしているわけではないのですよ！
別に人間に危害を加えるつもりもありません。ただ、ティアと一緒に・・・」
「・・・一方的な愛情は、迷惑なだけなんだよ？」
吐き出すような声で、ミリアが言った。
「本当にお姉ちゃんのことが好きなら・・・もう少し、お姉ちゃんの気持ちも分かってあげなよ・・・！」
ヴネスが、ミリアの言葉に呼応した。
「グラ、あなたを、ここから先には行かせない・・・！！」
ミリアが、黒い羽を大きく開いてグラに飛びかかった。グラは、その場に立ったままだ。動く気配はない。
動く意味がないのだ。
「・・・前にも、言いましたね」
グラが、自分に斬りかかろうとして向かってくるミリアを見て、小さく言う。
「僕にはどんな理由があろうと、貴方を殺さない」
身体に走る衝撃と共に、ミリアの動きが空中で止まった。グラは何も仕掛けていない。ただ彼の、計り知れないキャパシティがミリアの自由を奪っているのだ。
押しつぶされる感覚。
「く・・・ぅ・・・・・」
ミリアから、弱々しい声が漏れる。
「・・・貴方では、僕に触れることすらできませんよ。黙って、そこで見ていて下さい」
「だ、だめ！ お姉ちゃん！！」
倒れているティアに向かって歩き出したグラを見て、ミリアは必死にそう呼びかけた。しかしティアは全く反応しない。先程までの治療で、胸の傷はだいたい塞がった。しかしティアの体力までは、完全には戻っていない。
いくら命属性の術といえど、限界はあるのだ。
グラは、起きないティアに近づいていく。
「ヴネス！」
空中で身動きがとれないミリアが、相棒にそう呼びかけた。
しかしヴネスは、何も答えない。
「・・・ヴネス・・・？」
（・・・・・愚か・・・）
ミリアは、ヴネスに集まってくる大量のキャパシティを、体中に感じた。
（・・・愚かなり！！ クローム！！）
ふと、ミリアの身体が自由になった。
キャパシティが、満ち溢れていく。
「ヴネス！？」
わけが分からず、ミリアは自分の手にしているヴネスを見た。
（主よ！ 行くぞ！）
赤き稲妻。その名の如く、ミリアは稲妻を纏いながらグラに向かって突進した。
グラは驚いたように振り返り、自分の首を斬り飛ばそうとしていたヴネスを、デリートで受け止める。
グラも驚いていたが、斬りつけたミリア本人も驚いていた。
身体が、勝手に動いた。
動かしたのは、多分。
相棒。
「ミリア・・・！？」
グラはミリアを見て、何とも言い表せない違和感を感じた。今の攻撃は、ミリアのものであって、ミリアのものではない。
（クロームよ・・・・・汝は我を、我らを過小評価しすぎた！ その身をもって、我らの力を知るがいい！！）
「この声・・・魔剣ですか！？」
ミリアは一度剣を引くと、すぐさま羽を使って上昇、そして急降下してグラに迫った。グラはデリートを構え、子供の力とは思えない力で振り下ろされたヴネスを受け止める。その力のあまりの大きさに、グラは一歩後ずさった。
ヴネスが、赤く発光する。
次の瞬間、手のひらほどのサイズの黒い球体がミリアの周りにいくつも現れた。その黒い球体はまるで弾かれたかのように加速し、ミリアの剣を受け止めているグラに直撃する。
赤い稲妻を発しながらその黒い球体は徐々に大きくなり、グラの身体を包み込んだ。
ミリアはグラから離れ、空中で静止する。
「・・・ヴネス。あれは？」
わけが分からず、ミリアがそう聞いた。グラはまだ、黒い球体に呑み込まれたままだ。
（あれは、『ホールド』だ。奴のキャパシティを、我の力でできるだけ抑え付ける）
あの黒い球体は、相手のキャパシティを抑え込む効果のあるものらしい。
（しかしキャパシティを抑えることができても、その戦闘能力は抑えることはできない。後は、主の腕次第だ）
「・・・・・私の、腕」
（我が奴のキャパシティを抑えられるのは、少しの時間だけだ。急げ）
ヴネスのその言葉が終わると同時に、グラを包んでいた黒が溶けるように消えた。グラは空中に浮かぶミリアを発見し、忌々しそうにヴネスを見る。
「・・・僕に、よほど壊されたいようですね・・・・・」
羽を使い、ゆっくりと浮かび上がるグラ。ミリアは油断無くヴネスを構えて、グラを凝視した。
「ミリア、僕はその魔剣を破壊します。持っていると、危ないですよ」
「・・・・・ヴネスは、壊させないよ。私の相棒だから」
「その剣が、相棒？ ミリア、貴方は闇に心を奪われたのですか？」
ミリアはその言葉を聞いて、意味ありげな笑みを浮かべた。
かもね、と誰にも聞こえないほどの声で呟き、ミリアは空中で加速する。グラはそれを迎え撃とうと、デリートを両手で構えた。
グラとの間合いに入った、と思った瞬間、ミリアはいきなり急降下し、瞬時にしてグラの後ろへと回り込んだ。グラの背中に、ヴネスを突き出す。しかしそれをグラは身をよじってかわし、お返しとばかりに振り返りざまに回し蹴りを放った。ミリアはそれを腕でガードするが、力負けして数メートル吹っ飛ばされる。
ミリアはすぐさま体勢を直した。しかしそのまま突っ込んできていたグラの、上から振り下ろされた容赦のない蹴りを右肩に喰らい、地上に叩きつけられる。今の蹴りで、肩の骨が折れた。しかも落下して叩きつけられる際に思い切り右肩を打ち付けてしまい、激痛がミリアを襲う。
しかし、ここで終わるわけにはいかない。
ミリアは激痛をこらえながら起き上がり、ヴネスを左手に持ち替えて、空中からこちらを見下ろしているグラへと突進した。
グラは大きなため息をつく。
「・・・ミリア。もっと痛くしますよ」
グラはミリアの斬撃をことごとく避けた。ただでさえ力の差があるというのに、ミリアは利き手ではない左手にヴネスを持って戦っている。グラに、そんな攻撃が通用するはずがない。
大きく突き出されたヴネスをデリートで弾き、隙ができたところでグラはミリアに横からの蹴りを入れた。今度はガードすることもできずに、横腹にグラの足がまともに直撃する。
ミリアはその衝撃に吹っ飛ばされ、再び地面に激突した。
そしてまた、ミリアは立ち上がる。
再び斬りかかり、同じように蹴りを受け、地面に激突。
斬りかかり、蹴りを受け、激突。
そんなことを、何度も何度も繰り返す。
しかし、ミリアは立ち上がった。右肩が、まるで何かの間違いのように変な方向に折れ曲がっている。口にも、血の跡が見られる。服はボロボロになり、体中には地面に叩きつけられた際にできた傷が無数にあった。
「ミリア。もうやめて下さい。このままでは、僕は貴方を・・・・・」
そのミリアの姿を見て、耐えかねてグラが言った。
しかしミリアの瞳には、何の揺るぎもない。
「・・・・・グラ、私を、殺す気でやりなさいよ・・・私は、貴方を、殺す気でやってるんだ・・・」
「だから何度も言ってるでしょう。僕に貴方は・・・」
ミリアはグラの言葉の途中、そのボロボロの身体からは考えられない加速力で、グラの目の前に上昇した。そして赤く発光しているヴネスを、目にも留まらぬ速度で下から斬り上げる。
グラの右腕が、肩から吹っ飛ばされた。右手と一緒に、その手に握られていたデリートも飛んでいく。
黒い血飛沫が、グラの右肩から迸った。
「・・・あまり人をなめないでよ」
小さく、ミリアが言う。
グラは血を吹き出す自分の右肩を一瞥し、微笑んだ。
「貴方は、立派な戦士になりますよ」
そう言いながら、グラは素早く左手でミリアの首を捕らえる。そしてミリアをぐっと引き寄せると、再び微笑んだ。
（主よ！ 我の力ではもう、限界だ！）
最悪のタイミングで、ヴネスの声が聞こえてくる。
「ア・ライトニング・デルタ」
そう言って術を発動させ、グラはミリアを放り投げた。そのミリアの周りに、三つの稲妻を凝縮した球体が現れる。それはミリアを中心にして三角形を作り、くるくると回転した。
その、次の瞬間。
何もない空間がいきなり歪み、、いきなり青白い稲妻が姿を現す。それは瞬時にしてミリアに直撃し、ミリアは体中を駆け抜ける電撃に身体をびくんと震わせた。
普通なら、間違いなく死ぬほどの電撃である。しかし彼女はクォーター・ダークであり、しかも身体をヴネスの赤い稲妻に守られていた。死ぬことはないだろう。
やはりグラには、ミリアは殺せなかった。
力をなくして地上に落下していくミリア。彼は地上に先回りし、ミリアの身体を空中で受け止めた。左手だけで、なるべくミリアの身体に衝撃がないように、細心の注意を払って。
グラはミリアの身体を近くの大きな岩に横たわらせる。ミリアは稲妻により気絶してしまっていて、起きる気配は全くない。
ヴネスによるホールドが解けた今、グラのキャパシティを抑え付ける者はいない。
凄まじい再生能力により早くも出血の止まっているグラの右肩に、キャパシティが収束していった。その光は腕のような形を取り、そしてその輝きを失っていく。
その後には、何事もなかったかのように、グラの右腕から先が再生していた。彼だからできる、芸当だ。
彼は右手を上げる。すると斬り飛ばされた腕と一緒に地上に落下していたデリートが光の中から現れ、グラはそれをしっかりと握った。
そして顔を上げて、ティアを見た瞬間。
彼は凍りついたように、その動きを止めた。