ティアとグラとが出会ってから、早くも六日目。
山頂に向かう山道で、ティアたち四人は立ち往生していた。もう少し歩けば、シルベイマウンテンの樹海を出て開けた場所に出る。問題は、そこにひしめく魔物の数だ。今までとは比べものにならない。村一つ簡単に滅ぼせそうな数の、魔物の群がそこにいた。
「・・・・・どーする？ ・・・この状況」
ティアが木陰に隠れながら、そう聞く。闇雲に突っ込んでいったのでは、時間と体力を無駄に消費するだけだ。作戦を考えた後に行動した方が効率が良さそうである。
グラが、魔物の群を眺めて言った。
「この数は本当に異常ですね。さて、困りました」
「困りました、じゃなくて、作戦を考えてくれよ。俺らはそれに従う」
腰に下げていた愛用の剣、『ファランク・ソード』を抜き放ち、ティルア。彼はこの魔物の数を見ても全く戦意を喪失していない。彼ほどの腕前と、自分の腕に自信がないとできないことだ。
少し心配そうに、ミリアも言う。
「私も、精一杯頑張るから。作戦、どーぞ？」
「・・・・・これは、責任重大ですね」
腕を組んで、グラが大きく深呼吸した。
「それでは、こういうのはいかがですか？ まず僕とティルアであの群の中に斬り込み、活路を開きます。その後ろから、ミリアを守りながらティアがついてくる。それで、前の僕かティルアか、とにかく傷を負ったもの、又は疲れたものは後方の者と後退し、この場を一気に抜けるというのは？」
グラのその提案に、ティアはこくりと頷く。
「・・・まあ、他に最善の策はなさそうだからね」
「俺は異論はない」
ティルアもそう答え、その案に賛成した。
もともとアルヴァスは、仕事の期間中はクライアントの命令を絶対に聞かなければならない。例外はいくつかあるが、とりあえずグラの提案を拒否する権利は、今のティアに本来はない。
「・・・ごめんね。私がもっと強かったら、足手まといなんかにならないのに・・・・・ただでさえ、みんなに迷惑懸けてるのに・・・・・」
ミリアは目を落とした。先日、あんなことがあったばかりだ。もう気にするなとティアがいくらミリアに言ったが、彼女はまだ気にしているらしい。
そんなミリアの肩に、ティアが優しく手を乗せる。
「気にしない。ミリアはこれから強くなればいいんだよ」
だいたい、今までろくに戦闘訓練も受けていない、まだ八歳のミリアにここで多くを期待する方が間違っている。普通なら彼女ぐらいの歳では、まだ近所の友達と平和な街の中で遊び回っているものなのだ。
まあ、ティアの場合は、もう八歳の時点でアルヴァスという職業に就いていたのだが。
「さてと。じゃあ行こうぜ」
そのティルアの言葉に、グラが無言で頷きを返した。
「二人とも、しっかりやってよね。グラとティルアにかかってるんだから！」
「任せてください」
「俺の真の実力、たっぷりと見せてやるよ」
グラとティルアはそう言い、不敵な笑みを浮かべる。
最初にティルア、次にグラが魔物の群の中に突撃していった。その少し後ろを、ティアとミリアが続く。
ティルアはファランク・ソードを振るい、近くにいた魔物一匹の首を一撃で斬り飛ばした。その魔物はおびただしい血を流しながら、力無く倒れる。起き上がることは二度とないであろう。
魔物たちがティルアたちの存在に気がつき、咆哮をあげる。久しぶりの獲物を前にした、歓喜の咆哮だ。
数えたらキリがないような魔物の群は、一斉にティルアとグラに襲いかかった。たとえ腕の立つ者と言っても、この数の魔物相手にどこまでもつか疑問だ。
ティアたちにも数匹の魔物が迫ってくるが、その全てをティアはフレイム・ランスで葬る。ミリアもウィング・リングを起動させて、油断無く魔物たちを眺めていた。
ティルアのいた方向で、爆発。
この数に腹立ったティルアが、遠慮なしの炎の術を放ったらしい。ティルアにたかっていた魔物のほとんどが爆風に吹っ飛ばされ、炎に包まれて燃え尽きた。しかしそれでも、魔物の群は怯むことなく襲いかかってくる。
ミリアはそんな光景を心配そうに眺め、そしてティアの服の裾を引っ張った。
「・・・お姉ちゃん、私と、リンク・アタックしてみない？」
「え？ ミリアと？」
視線は魔物の群に向けながら、ティアが聞く。
「うん。やってみる価値はあると思うんだ。前のグラとお姉ちゃんのリンク・アタック、凄かったから・・・」
「でも、あれは邪魔が入ったら終わりだし・・・この魔物の群の中で・・・ッと」
そう言いながら、ティアは飛びかかってきた魔物の攻撃をかわした。その魔物にミリアが放ったウィング・リングの真空の刃が襲いかかり、魔物は身体を真っ二つに切断され、血だまりの上に倒れる。
「この攻撃の中でするの、難しいんじゃないかな」
「・・・・・でも」
「何か役に立ちたいって、思ってるんでしょ？」
ティアの言葉に、ミリアはこくりと頷いた。
微笑んで、ティアはミリアの頭に左手を置く。
「・・・ミリアは、やっぱりボクに似てる」
「え・・・？」
「気負わなくていいよ。誰もミリアのこと、足引っぱってるなんて思ってないから」
「・・・・・・・・うん」
ミリアは頷いた。
「お姉ちゃん」
「んー？」
「・・・ありがとう」
ミリアのその言葉に、ティアは笑みを浮かべて応えた。
そこで、また爆発音。
「ティルア、派手にやってるなー」
立ち上る黒煙を見て、ティアが呟くように言った。
ティルアは片っ端から、襲いかかってくる魔物を切り倒していた。一匹一匹ではティルアの足下にも及ばないような魔物たちだが、こう群をなしてくるとさすがに厳しいものがある。長時間の連続戦闘は集中力を鈍らせ、隙を生んでしまうことになるのだ。そしてその隙に付け入られたら最後、魔物の群に体中を切り裂かれ、貫かれ、命はないであろう。
ティルアは苛つく自分の気持ちを抑えつつ、一匹の魔物の前足を斬り飛ばし、首を貫いてその命を奪った。魔物の首に突き刺さったファランク・ソードを引き抜き、もう息はない魔物を蹴り飛ばして違う魔物にぶつける。
「我は今ここに願う。全てを燃やし尽くす、燃え盛る赤の火炎を・・・」
早口で紡いだ、炎属性のキャパシティ・ワード。それに対応して、ティルアの周りに赤い光が収束した。
「レッドリーズ・フレイム！」
巨大な炎の柱が生まれ、その柱の中にいた魔物の全てが一瞬で灰になる。高温の炎の柱を出現させる高レベルの術、『レットリーズ・フレイム』だ。
数十匹の魔物が消えたが、それでもまだ攻撃は衰えない。いや、むしろ同族を殺されて怒ったのか、激しくなった気もする。
キリがない。
このままでは、ここを突破するのは難しいのではないだろうか。
そんなことを考えていたティルアに、隙が生まれてしまった。突き出された爪を回避したその次の瞬間、腹に重い衝撃と激痛が迸る。ティルアは衝撃で地面を転がり、口から吐血した。
「ちっ・・・・・」
思わず舌打ちする。我ながら、こんなところで傷を負うとは情けない。
ティルアに強烈な蹴りを放った魔物『オーガ』は、倒れるティルアに追撃を掛けようと走ってきた。ティルアはしばらく地面に転がったまま動かなかったが、オーガが自分の近くまで接近したことを確認していきなり起き上がり、そのときに下から斬り上げたファランク・ソードでオーガの巨大な体を一撃で真っ二つにする。オーガはかなりの量の血を流しながら転がり、動かなくなった。
ティルアは口の中にある血を吐き出し、再び魔物の群の中に突っ込んでいった。
鳥型の魔物の羽を斬り落とし、獣のような魔物の首を軽々しく斬り飛ばし、大きな竜族の魔物の頭にファランク・ソードを突き立てる。
いい加減疲れてきた。地面に降り立ったティルアがそろそろティアと交代でもするかと考えたとき、ティルアの目の前にいた魔物たちに、横からの黒い突風が襲いかかった。
グラだ。彼はアイアン・ソードを自在に操り、無駄のない動きで魔物を屠っている。
妙に、ティルアに闘争心が芽生えてきた。
ここでティアと交代したら、グラに負けたことになるような気がする。だいたいグラは、見たところによるとまだ一撃も攻撃を受けていない。自分は一撃を受けてしまっているのに、だ。
負けらんねぇ、とティルアはファランク・ソードを握り、グラと魔物たちが争う場所に突っ込んでいった。
「ねぇ、作戦の内容、忘れてたの・・・？」
「・・・・・・・・・・」
「なんで、あんなムキになって・・・」
「・・・・・男として」
「は？」
「俺は男として、負けられないと思っただけだ・・・」
ティルアは疲れ切った身体を休めながら、ティアの質問に答えた。ティアは首を傾げるが、ティルアはその後、先程の戦闘中に一度もティアと交代しなかった理由を明かそうとはしなかった。
ティルアと同じく、一度もティアと交代しなかったグラは、涼しい顔で頂上方面を眺めている。
結局先程の魔物の群との戦闘で、ティルアとグラの二人は一度もティアと交代しなかったのだ。グラは交代する必要がなかっただけのようだが、ティルアは単なるやせ我慢である。足はふらふらになり、腕も重くなり、動きが鈍くなっても、彼はティアと交代しようとはしなかった。それは彼の意地であり、プライドでもあった。
肩で息をするティルアを眺め、ティアがしょうがないなぁ、とため息をつく。
「グラ、もう少しここで休んでいこう？」
「・・・構いませんよ。ここまでくれば、目的地は目の前ですし」
グラは疲れ果てているティルアを見て苦笑しながら、そう言った。
ティアはごめんとグラに謝り、ティルアを見た。
「馬鹿ティルア。ここで少しは頭冷やせ」
「うーん、俺のために休憩をとるよう頼んでくれるなんて、お前はなんて優しいんだ」
「・・・・・グラ、もうしゅっぱ――――」
「あああああ！ もう少し休ませてくれ！ きつい、しんどい！」
そんな二人のやり取りを見て、グラとミリアは忍び笑いを漏らした。
笑みを浮かべながら、グラは頂上を眺める。
目的のモノが、もう少しで手に入る。
「グラは、目的のモノが手に入ったら、どうするの？」
不意に、グラの隣まで歩いてきたミリアが話しかけた。
「僕ですか？」
「うん。また、Ｆ・Ｗハントとして旅を続けるの？」
「・・・・・そうでしょうね」
グラは微笑みながら、こくりと頷く。
「でも僕の場合、Ｆ・Ｗを探すということは旅をする口実でしかありません。この世界には、Ｆ・Ｗなどよりもっと興味深いものがたくさんあります。僕は、それをこの目で見たいんです」
「そっか・・・そのために、グラは旅を続けてるんだね」
顔に笑みを浮かべながら、グラは頷いた。
「興味のあるものがあるのなら、僕はどこへだって行きますよ。たとえそれが、この大陸の外であってもね」
「大陸の外？」
ミリアが首を傾げる。
ミリアはずっとあのザークで生活していたため、このようなことは全く知らないらしい。
「大陸の外って、このエレソイル大陸の外ってこと？」
「ええ、そうですよ」
「・・・この大陸の外って・・・あるの？」
真剣な表情で、ミリアが聞く。
グラはその問いに、思わず苦笑してしまった。
「もちろんありますよ。まあ、謎に包まれていますけどね」
「謎に包まれてる？」
ミリアがこの話に乗ってきたので、グラは嬉しそうに目を細めた。
「この僕たちが存在している大陸、それがエレソイル大陸。文献によれば、この星にはこのエレソイル大陸の他に、二つほど巨大な大陸があると聞きます」
「え？ ホシって？」
ミリアはそう聞いた。ずっとこの大陸で生活していたまだ八歳の少女に、『星』という概念は存在していない。彼女にとって世界はこの大陸であり、この大陸が世界の全てだ。
グラはしばらく考えて、そしてなるべくわかりやすいように答えた。
「『星』というのは、その二つの大陸と、このエレソイル大陸、全てを合わせたときの総称です。簡単に言うと、ですけど」
「？？？」
ミリアはいまいち理解できないようで、首を傾げている。
「まあとにかくは、この大陸の他に二つ、大陸があるんです」
グラは詳しい説明をするのを諦めた。
「今ミリアが右手に付けている、そのロストウェポン。それも、その二つの大陸のどちらかで造られたのでは、という説もあるんですよ」
「そうなの？ 知らなかった」
ミリアはウィング・リングを見た。確かにこんな兵器は、このエレソイル大陸の科学力では作り出せそうにない。
感心したように、ミリアはグラを見た。
「物知りだね。グラ」
「いえいえ、好きだから覚えただけです」
グラはそう言って笑う。
ミリアはそんなグラを見て微笑み、そして空を見上げた。
「・・・グラ、私ね、この仕事が終わったら、お姉ちゃんと一緒にオートに行こうって約束したんだ。一緒に住もうって、言ってくれたんだ」
「ええ、知っていますよ」
「だからさ、グラも旅の途中にオートに寄ることがあったら、会いに来てよ。私の手料理、ごちそうするから」
「え？ ミリアって、料理できるんですか？」
聞こえようによっては失礼なことを、グラは驚いた表情で言う。
ミリアは苦笑いした。
「私、ママがいなかったから。いっつもパパと私の分のご飯、作ってたんだ」
「・・・・・すみません」
「何謝ってるの？ 私が自分から話したんだよ？」
ミリアはそう言って、おかしそうにクスクスと笑う。
そんなミリアを見て、グラは苦笑しながら彼女の頭に手を乗せた。
「僕がオートに寄ることがあったら、是非お邪魔しますよ。ミリアの手料理、期待しましょう」
「うん」
ミリアは嬉しそうに微笑んだ。
彼女にとって、グラは命の恩人だ。彼がいたからこそ今彼女がここにいるのであり、彼がもしいなかったら、彼女は今ここにいない。
「グラ、私、本当に感謝してるんだよ」
「何をですか？」
「私を、止めてくれたこと」
その場を、しばらくの間沈黙が支配した。そこに、少し遠くからティアとティルアが言い争う声が聞こえてくる。
堅いこと言うなよ、俺とお前の仲じゃないか。とティルア。
どんな仲だ！ と声を大きくして、ティア。
そりゃあ、ひ――――。
黙れーっ！！
ティアの一喝で、ティルアの言葉の後半がかき消された。
「・・・ひ？」
「ひ・・・何でしょうね」
ミリアはグラは顔を見合わせ、そして苦笑した。
シルベイマウンテンの頂上にあったもの。それは、地面に突き刺さり、黒い稲妻を辺りに放っていた、黒い剣だった。
「何・・・？ この感じ・・・・・」
その剣を目の前にして、ティアの鼓動が急に高くなった。その高鳴る鼓動は、ティアの身体の外に聞こえそうなほどだ。
急に悪寒を感じ、ティアは数歩後ずさる。
「・・・？ ティア？ どうしたんだ」
怯えるティアを見て、不思議そうにティルアが言った。彼女がこのように怯える姿など、長いつき合いの彼でも数えるほどしか見たことがない。
この剣はかなりやばいものらしいこと、ティルアには簡単にが想像できた。
「私・・・感じる・・・・・この剣・・・」
震えた声で、ミリアが言う。
「この剣・・・・・待ってた・・・」
「待ってたって・・・何を・・・？」
グラはゆっくりと、剣に近づいていく。その表情は、目的ものを目の前にしたにしてはあまりにも無表情。
ティルアは何かに押しつぶされるような感覚に襲われた。全方向から圧迫されているような、威圧的な力。このような感じを、ティルアは前に経
験したことがある。
この感じは、強大なキャパシティを持った者を前にしたときに感じる、恐怖そのものだ。
グラは、黒い剣の前に悠然と立った。
「皆さん。ダーク・ハーフ・クロームというのを、ご存知ですか？」
三人に背を向けたまま、グラが言う。
「ダーク・ハーフよりも、全てにおいて優れている完全なる存在。それがクロームです」
「・・・・・・・グラ・・・お前・・・」
ティルアは無意識のうちにファランク・ソードを抜いていた。ティルアの長年の経験が、彼は危険だと警告している。
「・・・ようやくここで、僕が欲しているものが手に入ります・・・・・。今日は記念すべき日ですね」
グラは、目の前の黒い剣に手を伸ばした。迸っていた稲妻はその姿を消し、その黒い剣は彼を受け入れる。
彼から感じられるキャパシティの量が、一瞬にして信じられないほど増大した。
「・・・グラ」
ティアが弱々しく呟く。
「もう、分かったでしょう？ 僕は、ダーク・ハーフ・クローム。グラ＝バレーです」
三人に背中を向けながら、グラがそう、まるで宣告するように言った。
そう。彼は、ただのＦ・Ｗハントなどではない。
身体に黒き血を持つ、悪魔の翼を持つ種族。ダーク・ハーフの血を受け継ぎし者。
「・・・やっぱり。普通の人間じゃないって、予感はしてたよ・・・」
ティアはグラの背中を眺めながら、そう言った。その言葉を聞いてグラは興味深そうな表情を浮かべ、振り返る。
「なぜ、そう思ったんですか？」
「・・・・・アイアン・ソードなんかで、ザークで戦ったダーク・ハーフの首、あんなにきれいに斬り飛ばしたんだもん。おかしいと思って・・・当然だよ」
一般に、どこにでも売られているアイアン・ソード。切れ味や重さを考えても、そんなに優れた剣ではない。
しかしそのアイアン・ソードで、グラはダーク・ハーフの首を斬った。普通に考えれば、アイアン・ソードなんかでダーク・ハーフに傷を付けようとすれば、逆にこちらの刀身がボロボロになってしまうだろう。
「いくら腕が立つって言っても、ものには限度ってものがある。グラの場合、その限度を通り越してた・・・」
「・・・・・もっと、いい剣を仕入れておくべきでしたね」
笑いながら、グラがそう言う。
「アイアン・ソードには、僕のキャパシティをコーティングしていました。それで、ダーク・ハーフの首が斬れたわけです」
「・・・・・・・・・・・」
ティアは無言だった。
そのティアの前に立ち、ファランク・ソードを油断無く構えたティルアが、グラを睨みながら聞く。
「・・・俺はその場にいなかったからよくわかんねぇけど・・・そんなことしてよかったのかよ？
ダーク・ハーフは、同族殺しは御法度じゃなかったか？」
「ああ、その辺は問題ありません。僕は、ダーク・ハーフの規律からはずれた存在・・・誰も僕を縛ることはできません」
グラは不敵な笑みを浮かべた。彼はダーク・ハーフという同族が作り出した『法律』から縛られない、自由な生活を選んだダーク・ハーフだった。それは『裏切り者』として同族から命を狙われることとなる道だったが、彼は真の自由を求めて、今の道を選んだ。
「・・・・・グラ、お前は、ここにその剣を取りに来たわけじゃないんだろ？
何が目的なんだ」
「心配する必要はありません。僕は貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
グラはティルアに向かってそう言った。いつものように、あの笑みを浮かべて。
ティルアは表情を堅くして、グラを睨む。
「・・・『貴方に』ってことは、俺以外には危害を加えるって言うのか」
「僕は、ティアに用があるんですよ」
グラの目的は、最初からティア一人だったのだ。
ティルアからティアに視線を移し、グラが言う。
「ティア、この六日間、失礼を承知で僕は貴方を試させてもらいました」
「・・・・・・・・・・・・・」
ティアはまだ、無言。
グラは言葉を続ける。
「貴方は人間でありながら、素晴らしい力を持っています。現在はまだ貴方よりも強い方が人間の中にもいますが、すぐに貴方はその方たちに追いつき、そして追い越していくことでしょう」
「・・・・・・・・・・・・・」
「それに僕は、貴方の生き方、考え方に惹かれました。噂以上に、貴方は魅力的な方だ」
「・・・・・・・・・・・・・」
ティアはずっと、何を言われても一言も話さなかった。
グラはそんなティアを見て微笑み、両手を広げる。
「ティア、お願いがあります。僕の、人生の伴侶になっていただけませんか？ この通り僕はダーク・ハーフで貴方は人間ですが、僕の血を受け取っていただければ、貴方は私と同じく、長い時を生きることができます」
「・・・・・・・・・・・・・」
「僕は、本気ですよ。ティア、貴方を愛している」
「・・・・・・・・・・・・・」
ティアの目が、潤んでいるように見えた。
「・・・お姉ちゃん？」
ミリアが黙ったままのティアを見て、心配そうに呼びかける。
ティルアはグラを睨みつけた。
「お前、ふざけんなよ。たかだか会って六日程度で、ティアの何が分かったて言うんだよ」
「・・・僕は、貴方と違って長くを生き、多くのものを見てきました。でもその中で、こんなにも他人を愛したのは初めてなんです」
グラのあまりにも真剣な表情に、ティルアは次の言葉に詰まった。
「・・・ティルア、貴方も、彼女と昔共に仕事をしていたことがあったんでしょう？ なら貴方にも、僕の気持ちが分かるはずです」
「・・・・・・・」
分かる。痛いほど分かるために、ティルアは何も言うことができない。
「・・・ティア。貴方の、答えを聞かせて下さい」
グラは、緊張した面もちでそう言った。いくら長い時間を生きていると言っても、彼が誰かに自分の気持ちを告白したのは、初めてのことであった。
多少の、しかし途方もなく長く感じられる、沈黙。
「・・・・・ごめん・・・ごめんなさい・・・・・・」
その沈黙の後。
いつものティアからは想像もつかないような、か弱い、今にも消えそうな声で、ティアがそう言った。
「・・・なぜですか？ 僕が、ダーク・ハーフだから・・・ですか？」
「違う！・・・・・・けど・・・そう言うことに・・・なっちゃうのかな・・・・・」
「・・・・・どういうことです・・・？」
「・・・ボクは・・・・・ボクは・・・・・」
何かを言おうとするティアの顔の前に、ティルアの手が差し出された。
黙れ、の合図。
「自分がふられた理由を聞き出すって言うのは、野暮なんじゃないか？」
「・・・なんでですか。ティア。答えて下さい」
グラはそんなティルアの声が聞こえていないようで、ティアにわけを話すように迫る。
ティルアは口調を強めて、グラに向かって言った。
「グラ、他人に話したくないことは、誰にでもあるものなんだよ。それをティアに話させる気か！？」
「黙って下さい！！」
黒い稲妻が、ティルアの目の前に迸った。
「ティア！ 僕のどこが不満なんですか！？ 嫌なところがあるのなら言って下さい！
貴方のためなら、何でも、何でも直しますから・・・！」
「・・・グラ・・・・・」
彼は、本気でティアを愛していた。確かに六日間という短い付き合いだったが、その中でも彼はティアに恋をし、彼女を本心から愛した。
長い、長い彼の人生の中で、初めて愛した女性。
「・・・・・グラ・・・それは・・・・・違うよ・・・」
ティアは、ゆっくりと口を開いた。
「自分の『何か』を直して・・・誰かに好きになってもらおうとするのは、違うよ・・・」
「何が・・・・・何が違うんですか！？」
必死の形相で、グラ。
「ありのままの自分を好きになってもらう・・・自分を偽ってまで愛されても、嬉しくなんてないよ・・・・・『自分』を、好きになってもらうんだ」
「・・・自分・・・を？」
「・・・ホントはボク、こんなこと言えた立場じゃないんだけど・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
グラは、ティアの言葉を聞いて黙り込んでしまった。
「お姉ちゃん・・・・・グラ・・・・・」
静かなその場に、ミリアの呟きがやけに大きく聞こえた。
静かに、風が流れる。
「・・・グラ。もう、気は済んだか？」
ティルアが、立ち尽くすグラを見てそう聞いた。
「自分の気持ちを伝えた結果だ。後悔はないだろ？」
「・・・・・・・・・・・・・」
「おい、グラ」
「・・・・・そうですね。貴方が、邪魔なんですね」
「！！？」
圧迫感が、彼の身体と精神を襲う。今まで感じなかったグラの敵意が、ひしひしとティルアに伝わってきた。
彼の感情の制御が、完全にできなくなっている。
「貴方が・・・貴方さえいなければ・・・！！」
グラの背中に、特徴的な、漆黒の悪魔の羽が現れた。
凄まじい威圧感。グラは、ティアたちとはけた外れのキャパシティを持っている。気を抜くと、それだけで押しつぶされそうになるほどだ。
「やめて・・・ダメ！ グラ！！」
ミリアが必死でそう訴えかけた。しかし今の彼は聞く耳を持たない。彼はミリアを見て、にっこりと、冷たい笑みを浮かべた。
「ミリア、貴方がどうして夜に、ダーク・ハーフの血に覚醒しなくなったか、分かりますか？」
「え・・・・・？」
「僕が抑えてあげていたんですよ。貴方が覚醒しなように」
「くあっ・・・！？」
グラは、ミリアに向かってゆっくりと右手を上げる。それと同時に、ミリアは苦しそうに声を上げ、地面に膝をついた。
「だから、こういう事もできるんです」
「あああっ、ああああぁぁっ！！」
ミリアの絶叫が辺りにこだまする。グラによって、身体に流れるダーク・ハーフの血を強引に覚醒させられているのだ。
「ミリアッ！！」
ティアが駆け寄ろうとするが、そのときは手遅れだった。
ミリアの背中に、グラと同じく、黒い羽がその姿を現す。
「ミリアには少しの間、僕の手伝いをしてもらいましょう。こちらへ来てください。ミリア＝アースロン」
ミリアは立ち上がった。その瞳には、かつての輝きは微塵も残っていない。ミリアはゆっくりと、グラの元へ歩いて行った。
「・・・ひどい・・・ことを・・・・・」
その姿を眺めつつ、かすれた声でティアが言う。無理矢理押さえ込んでいた血を覚醒させると、その者に多大な負荷がかかる。肉体的な苦痛だけではなく、精神的なダメージも避けきれない。
下手をすれば、精神が崩壊してしまうことにもなる。
「安心してください、ティア。ミリアは、ことが終われば解放してあげます。勿論、その血が二度と覚醒しないように、僕のキャパシティで押さえ込んで差し上げますよ」
「・・・・・ミリアは、グラのことを信頼してたんだよ・・・」
ティアが、フレイム・ランスを強く握りしめ、俯きながらそう言った。
「・・・グラのことを、『パパみたい』って・・・そう言ってたんだよ・・・・・」
「ミリアが、そんなことを・・・？」
「この子の気持ち、裏切ったな」
フレイム・ランスの矛先にまとわりつくように、燃え上がる火炎がその姿を現した。その紅い火炎は、全てを燃やし尽くす、まさに地獄の業火。
「グラ・・・キミの気持ちは嬉しいけど、その気持ちに応えることはできない」
ティアは顔を上げた。決意のこもったその眼差しを見て、グラが多少たじろぐ。
「ティルアやミリアを傷つけるって言うなら・・・・・ボクが相手になってやる」
火炎は、その大きさを増した。
その火炎は、ティアのフレイム・ランスに全て吸い込まれるようにして吸収される。その結果ますます赤みを帯びたその槍は、まさしく『紅い槍』の名にふさわしい。
グラは、思わず一歩後ずさる。ティアの後ろに、巨大な炎の魔人を見たような、そんな錯覚を覚えた。
これが、ティア＝ノル。
本気で敵と対峙するときの、彼女。
グラは、自分がティアのフレイム・ランスで心臓を貫かれ、絶命しているビジョンを、一瞬だが、はっきりと見た。
長く生きていたグラが、初めて体験するもう一つのこと。
それは、身も凍るような、『恐怖』。
グラは頭を振った。自分は、一体何に恐怖しているのか。自分はクロームで、相手は腕が立つと言っても『人間』の少女だ。
「・・・ティア。貴方の気持ち、よく分かりました。残念です」
「・・・・・・・・・・・」
「こうなれば、貴方に僕の高貴なる血を送って、僕に服従してもらうしかありませんね」
もはや、後戻りはできない。
グラは黒い剣、『デリート』を構えた。彼の周りに、黒い稲妻がまとわりつく。
「・・・ティア。どうする気だ？ 相手はあの、クロームだぞ」
「ボクは、ミリアを助ける」
ティアは強く、そう言った。揺るぎない意志が、その口調から感じ取れる。
「じゃあ俺は、グラさんの相手でもしようかね・・・」
ティルアは苦笑し、そしてグラを睨みつけた。クロームであるグラ相手に自分が何分もつかは疑問だったが、時間稼ぎぐらいにはなるだろう。
「・・・ごめん。なんか、巻き込んじゃったみたいだね・・・」
「この仕事終わったら、俺に一日付き合え」
突然、ティルアがそんなことを言った。
「え・・・？」
「それでチャラにしてやる。クロームの相手するんだ。それぐらいが当然だろ？」
「・・・・・・分かった。いいよ」
ティアはこくりと頷き、小さくそう答えた。
満足げな笑みを浮かべ、ティルアはグラに向かって怒鳴った。
「グラ！ ティアを自分のものにしたいって言うなら、俺を倒せ！ 俺はこの命に代えても、ティアを守るぜ！！」
「・・・やはり、貴方が邪魔なんですか！！」
ティルアの挑発に、グラが乗ってきた。デリートを振りかざし、背中の黒い羽を使って、ティルアに向かってもの凄いスピードで飛んでくる。
「ティア！ ミリアを救ってやれよ！！」
「了解！！」
ティアの力強い返事をきいたティルアは、口元に笑みを浮かべつつファランク・ソードでグラを迎撃した。
その間、ティアはミリアに向かって全力で走る。一刻一秒を争う。早くしないと、ティルアがグラに殺されてしまう。
ミリアは自分に向かって走ってくるティアを見て、楽しそうに微笑んだ。
「お姉ちゃん、私と、遊んでくれるの？」
ミリアは右手を上にかざした。
キャパシティの流れを感じる。何かが、ミリアに向かって飛んできていることが分かった。
Ｓ・Ｓの中に眠っていた、全ての負の感情を司る魔剣。破壊するのは後回しにして、Ｓ・Ｓの前に置いてきたはずの、巨大な剣。
回転しながら飛んできたそれを、ミリアは難なく受け止めた。
「・・・魔剣ヴネス・・・・・」
「ねぇ、遊んでくれるんでしょ・・・？」
ミリアはそう言いながら、一気にティアとの間合いを詰めてきた。ティアはフレイム・ランスで振り下ろされたヴネスを受け止め、横に受け流す。
「我は今ここに願う。儚き炎よ。ここにその姿を現せ・・・」
早口でキャパシティ・ワードを紡ぎながら、ティアはミリアの懐に飛び込んだ。
「プチ・フレイム！」
炎の術の中でも一番威力のないプチ・フレイムを、ティアはミリアの目の前で発動させる。いくら威力がないといっても仮にも炎の術を目の前で発動され、ミリアは衝撃で後ろに吹っ飛ばされた。ティアはそのミリアを追撃する。
空中を後ろ向きに飛ばされたミリアだったが、すぐに羽を使って体制を立て直し、空中に静止した。そしてティアに向かって突っ込もうとして、止まる。
彼女の姿が見えない。先程までいたところに、ティアの影も形もなくなっている。
戸惑うミリアの後ろから、一陣の風が吹いた。
ミリアは咄嗟に振り返り、ヴネスを横に振るう。しかし後ろには誰もいなかった。ヴネスはむなしく空を斬っただけに終わる。
地上に足をつけたミリアは、注意深く辺りを見渡した。少し遠くでグラとティルアが激しい戦いを繰り広げているが、今のミリアには関係のないことだ。玩具をなくしてしまった子供のように、必死になってティアの姿を探すミリア。
不意に、ミリアは背中に暖かいものを感じた。
いつの間にかミリアの背後に回っていたティアが、後ろの肩の上から優しく抱きしめたのだ。ティアはフレイム・ランスを手にしていない。丸腰だ。
「・・・ミリア、一度送られた血を消し去ることはできない。だから、受け入れて・・・」
「・・・・・・・・・・」
「ミリア、これから先どんなことがあっても、ボクはミリアの味方だよ・・・・・」
「・・・よかった。戻ってきてくれたんだね」
ミリアはティアの手を払うと、くるりと振り返った。
ヴネスの刀身が、鋭く光る。
この至近距離、ティアに避けることはできない。
ミリアによって突き出されたヴネスにその胸を貫かれ、ティアは口から吐血した。ヴネスはティアの身体を完全に貫通し、根本まで突き刺さっている。
赤い、暖かな血が、ティアの足下に広がっていく。ミリアはその血を顔面に浴び、気持ちよさそうに微笑んだ。
「・・・・・また、壊れちゃった」
まだ八歳の声。本当に玩具を壊してしまったような感じで、ミリアは呟く。
「・・・・・・・ミリア」
自分の名を呼んだ、今自分が壊した玩具を、ミリアは驚いたように見た。
胸を貫かれ、激痛で気を失ってもおかしくないティアが、血に汚れた顔に微笑みを浮かべていた。
それは全てを包み込むような、優しい微笑み。
ティアは胸を貫かれた状態のまま、前から、背中の黒い羽ごとミリアを抱きしめた。
ミリアの顔に、初めて動揺が浮かぶ。
このひとを、ころしちゃだめ・・・・・。