その魔物の数は、相変わらずだった。
獣の姿をしたもの、固定した形を持っていないもの、空を自由に飛び回っているもの、様々の種類の魔物が、間断なく襲いかかってくる。その全てをティアが一撃で黙らせ、地に沈めていた。
「グラ！ なにやってるの！？」
空中から突撃してきた、鳥を巨大化させて凶暴化させたような魔物を愛用のフレイム・ランスで貫き、払いながらティアが叫んだ。その間にも魔物はティアに牙を剥いて襲いかかってきているが、ティアの横になぎ払われたフレイム・ランスの餌食となり、倒される。
グラはというと、シルベイマウンテンのＳ・Ｓであり、薄い茶色で台形の形をした建物の入り口の前で立ち往生していた。入り口付近から通路の見える範囲まで、全てに大小様々の魔物の姿が見て取れる。一匹一匹の相手をしているほどの余裕はないが、その魔物の群をどうにかしないと建物の中に入れそうにない。
ザークの一件より二日。現在、ティアとグラ、そして新たにメンバーに加わったミリアの三人は、シルベイマウンテンの中腹辺り、Ｓ・Ｓの目の前まで来ていた。
ここまで来る途中に数え切れないほどの魔物と戦い、死を与えてきたティアはさすがに疲れてしまったようで、いつものように動きに切れはなく、一撃一撃も軽い。しかしそれでも魔物にとってはティアの力は驚異で、先程からずっと魔物の相手をしているティアに、魔物はかすり傷一つつけられないでいた。
このままでは埒があかないと思ったのか、ティアは攻撃の手をいったん休め、キャパシティ・ワードを口の中で紡いだ。
「我は今ここに願う。汝が全ての力において、全てを焼き尽くす灼熱の業火を・・・」
ティアの周囲に赤い光が集まってきた。術の発動するまでの時間はキャパシティ・ワードを言葉にしてから多少のタイム・ラグがあるため、今のティアは無防備状態だ。魔物はそのことを知っているのか、はたまたただ単に動きを止めたティアを見てチャンスを見いだしたのか、一斉にティアに襲いかかってくる。
突如、魔物たちの正面からの突風。
ティアに飛びかかろうとしていた魔物たちは、その正面からの衝撃に吹っ飛ばされ、地面に転がった。運が悪いものは地面の激突したときに骨を折ったようで、まともに立ち上がれないものもいる。
その風を発生させたのはウィング・リングを右手につけているミリアだ。右手を左手で支えるようにして前に構えて、ティアの少し後ろに立っている。そのウィング・リングは護身用として、ティアがミリアに預けたものだ。ミリアはその体に流れている忌まわしき黒い血のせいか、常人よりもキャパシティの量が圧倒的に多い。キャパシティを消費して攻撃を放つウィング・リングをこれほどまで使いこなせるのが、その証拠だ。普通の人間なら、そよ風、いや、まともな風すら発生させることができないだろう。
ティアの術が、完成する。
「ブラスト・フレイム！」
燃え盛る火炎がその姿を現し、魔物の群の中に突っ込んでいった。その炎は魔物の群の中をしばらく突き進み、そしていきなり爆発する。その場にいた魔物はその爆発に巻き込まれ、原形をとどめず焼失した。
「ミリア、ありがと！」
ティアはそう言いながら、ミリアと、ミリアの後ろで魔物との睨み合いを続けているグラに近づいた。おかしなことに、魔物はその建物から出てこようとはしない。あくまで自分たちの縄張りに進入してきた場合、攻撃を加えるつもりだ。
「・・・あー・・・これは、凄いな」
グラの隣で、Ｓ・Ｓの通路に埋め尽くされている魔物の大群を眺め、ティアが呟く。これほどの数、いちいち相手をしているわけにはいかない。もしそんなことをしたら、それこそ休む暇もない。
グラは隣のティアを見て場違いな笑みを浮かべると、ティアに左手を差し出した。
ティアはその意図を察し、あからさまに嫌そうな表情を作る。
「・・・あれやるの？」
「それがこの状況を打破する一番の近道ではないでしょうか」
「グラが一人であの中に突っ込んで行くってのは？」
「僕に死ねと言ってるんですか」
「・・・・・あの程度じゃ死なないでしょ」
にこにこと微笑んでいるグラと、げんなりしているティア。どうもティアにとって、グラがやろうとしていることはあまり好ましいものではないらしい。
「ねえ、お姉ちゃん。早く何とかしないとまた魔物の群が来ちゃうよ」
少し焦ったように、ミリア。確かにミリアの言うとおり、今こそは通路を塞ぐ他に魔物の姿はないが、すぐにまた数十、数百匹の魔物がこの山への侵入者を消し去ろうと襲いかかってくるだろう。
好き嫌いを言っている暇は、なさそうだ。
ティアは多少ためらいながらも、グラの左手の上に自分の右手を置いた。
「・・・言っとくけど、今回は時別だからね」
「僕と『これ』をするのが、そんなに嫌ですか？」
「うん」
「・・・・・はっきり言いますね・・・」
ティアの言葉を聞いてグラは苦笑し、そして眼を閉じる。ミリアはこれから二人が何をするのかを知り、少し離れた。
「我、獄炎の炎ここに召還す。その冷血なる紅にて、あがなう者を焼き尽くせ」
ティアの目の前に、赤い光が収束し、その大きさを増していく。
「我、疾風の刃ここに召還す。貪欲なる思いを断ち切り、全てを切り裂け」
同じくグラの前にも、緑色の光が集まった。
「我の炎、彼の者に・・・」
「我の風、彼の者に・・・」
その光が二人の間で融合し、一つとなった。
ティアとグラの二人が、ゆっくりと眼を開く。
「フレア・ストーム！！」
二人の声が見事なほどに重なった。その声に反応し、融合した光が弾け、辺り一面に広がる。
魔物たちに対して突然の突風と共に、凄まじい切れ味の真空刃が襲いかかった。腕、足、首、体のあちこちをその風の刃に切断され、魔物たちは苦痛のうめき声を上げる。その直後に、渦巻く炎が疾風のごとく魔物たちを呑み込み、通路にいたほとんどの魔物を燃やし尽くした。
『炎』と『風』の術の合成。一般的には『リンク・アタック』と呼ばれていることを、ティアとグラは行った。
二人のキャパシティを合成することによりその威力を高め、攻撃範囲も広くすることができるリンク・アタック。一見するといいこと尽くしのようだが、実際リンク・アタックの発動条件には大きな欠点があった。
それは、合成する者同士の体のどこかが、必ず相手に触れていなければならないという条件である。
正直、戦いのさなかにそんな暇はあまり存在しない。
それに加えて、相性の悪い属性同士の合成はできないという条件もあった。たとえば、『炎』と『水』の属性。この二つの属性は、どんなことがあろうとも絶対に合成することはできない。それと同じようにいくつか相性の悪い属性が存在しているため、誰とでもリンク・アタックできるというわけではなかった。
そして最大の欠点は、キャパシティ・ワードを紡いでから発動までの時間がかかりすぎることだ。その時間は、強敵を相手にしたときには致命的だ。
リンク・アタックが終わると同時に、ティアはグラの左手の上に乗せていた自分の右手を急いで引っ込めた。グラはそんなティアを見て笑い、言う。
「僕の手、そんなに汚くありませんよ」
しかしティアはそんなグラの言葉を無視して、そっぽを向いていた。グラはますます笑みを深めるが、これ以上このことを突っ込もうとはしない。
「さて、それじゃあ行きましょう。ティア、ミリアを頼みますよ」
「・・・言われなくても」
アイアン・ソードを鞘から抜き放ち、右手で構えながらグラは建物の中に突入した。そのすぐ後ろに、ティアと、ティアに手を引かれたミリアが続く。先程のリンク・アタックで死にきれなかった魔物にグラがアイアン・ソードでとどめを刺し、順調に先に進んだ。
Ｓ・Ｓの建物内は、侵入者が入ってきても簡単には逃がさないように複雑に造られている。しかしグラにはあの見取り図があるので、迷うことはない。一度も道を間違えることなく進み、程なくしてグラが立ち止まった。
グラの目の前には、今は全機能を失っているレストフレール発掘場へと・・・闇に支配された地下へと、真っ直ぐ伸びる通路があった。
一度そこに足を踏み入れたら、二度と戻ってこれないような、そんな予感を覚える。何ともいえない恐怖を感じたミリアが、ティアにしがみつきながら聞いた。
「ここの奥に、行くの？」
「この見取り図には、地下にＦ・Ｗがあると記されています。行くしかないでしょう」
ランタンを準備しながら、グラが答える。この先の通路は真っ暗で、光がないと一歩先も見えなくなる状況だ。あらかじめそのことを予測していたグラは、小型のランタンを持ってきていたのだ。
ティアはにんまりと笑みを浮かべて、ミリアの前に顔を持ってきた。
「・・・怖い？」
ミリアは恐怖心を隠すように、慌てて首を振る。ティアはそんなミリアを見て微笑み、優しく肩に手をかけた。
「安心して。ボクがついてる」
「だから、怖くないって！」
そう言うミリアの声にもどこか覇気がない。無理をして声を出した、そんな感じだ。
ホントは怖いくせに、とティアは口には出さずに笑った。
昔の自分も、こんなだった。
ミリアを見ていると、まるで昔の自分を見ているような錯覚に陥ることがある。そのせいかティアは妙にミリアに親近感を感じ、この子は自分が守ってやらないと、と思う。
行きますよ、とグラが先陣を切ってその地下へと続く通路を歩き出した。ミリアはティアにぴったりとくっつき、ティアはフレイム・ランスを油断無く構えながら前へと進む。
「・・・おかしいですね・・・魔物の気配が無い・・・」
今まではあれほどいた魔物の姿が、今では全く見えなくなった。おかしいことに違いはないが、この状況は嬉しい状況だ。グラの呟きにも、ティアは「そうだね」と答えるだけで、そのときは深く考えようとはしなかった。
しばらく真っ直ぐ進むと、三人は開けたホールのような所に到着した。そのホールの天井はコンクリートで固められ、落盤事故を防ぐ構造となっている。しかしそのコンクリートも今では劣化して至る所に亀裂が走り、いつ崩壊するか分からない状態だ。
どうやらここは、レストフレール発掘場の最深部。そこは物音一つなく、静寂に支配された空間だった。暗闇は全てを飲み込むがごとく広がり、グラの持つランタンの光がやけに小さく、儚く見える。
空気が重い。この空間は空気の循環がうまくいってないようで、長くこの場所にとどまると酸欠状態になりそうだ。ここでのレストフレールの発掘は、さぞ大変だったことだろう。
「・・・で、どっち？」
暗闇の中に、ティアの声が響いた。グラはあの見取り図を取り出し、ランタンの光で照らして、注意深く見ながら答える。
「右、ですね。行ってみましょう」
グラがランタンの光を頼りに、踏み固められた土の上を歩いた。ティアとミリアもそのグラからなるべく離れないようにして、後ろに続く。
程なくして、三人は目的の場所に到着した。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・剣だ」
「・・・・・・・・・・・？？？」
その場所には、やや大きめの剣が突き刺さっていた。その剣は暗闇の中でも、その特徴的な赤い刀身から光を鋭く放っている。
その光を見てミリアは怯えたように震え、ティアにきつくしがみついた。
「感じる・・・憎悪、妬み、嫉妬・・・ぜんぶの負の感情・・・・・」
「・・・グラ、この剣は・・・・・」
ティアはミリアの肩を抱きながら、グラを見た。グラはティアの視線に気がつき、言いたいことを察してこくりと頷く。
「ええ・・・この剣はＦ・Ｗではありませんね・・・セイクリッド・ソードがこんなに禍々しい『気』を発するわけがありませんから」
グラは顔に汗を浮かべながら、その剣を凝視した。その赤い刀身はまるで人を斬ったときについた、深紅の返り血のようだ。
『呪われた剣』。Ｆ・Ｗとはかけ離れた剣が、その場所にあった。
「・・・やっぱり、間違いの情報だったね」
ティアがグラに言う。グラはずっと手にしていたアイアン・ソードを鞘にしまいながら、困ったように苦笑した。
「まあ最初から、こんな予感はしてたんですけどね。でもこれでよかったんですよ。もしここにＦ・Ｗがあったとしたら、僕の旅の目的が無くなってしまいますから」
「Ｆ・Ｗハントらしからぬ言動だね。この大陸で必死になってＦ・Ｗ探してる人が、今のグラの言葉聞いたら泣くぞ」
「・・・正直、伝説の剣など興味ないんですよ。僕は」
グラはそう言い、目の前にある呪われた剣を見た。その剣はグラたちがここに来てからその輝きを増している。グラに、その剣の気持ちが伝
わったような気がした。
もっと血を吸わせろ、と。
グラは体の奥底から沸き上がってくるその感情を押さえつけた。この剣を手に取り、破壊の限りを尽くしたいという、突如現れた欲望を。
「・・・この剣、凄まじい負のエネルギー・・・・・心を惑わすまで力をつけましたか」
この剣はここで破壊しておかないと、後々厄介なことになりかねない。グラは右手を掲げ、キャパシティ・ワードを口にした。
「我は今ここに願う。母なる大地の力をここに。全てのものに等しき裁きを・・・」
ティアはミリアの背中に庇い、数歩後ろに下がった。
グラの手の上に、黄色の光が収束していく。
「グレイヴ・ストーン！」
光が弾けた。
その次の瞬間、呪われた剣の上に、円錐の形をした巨大な岩石が現れた。その円錐の岩石は角の部分を下にして、重力に引かれるようにして地面に落下していく。
グラが使える術の属性の二つのうちの一つ、『地』属性の術であるグレイヴ・ストーン。目標の上空に巨大な円錐の形をした岩石を出現させ、地面と岩石で押しつぶす術だ。その岩石は地面に突き刺さり、まるで術を受けた者の墓のような状態になる。
この岩石に押しつぶされては、いくら屈強な肉体を持っていようが圧死するしかない。直撃を受けて生き残ることは、はっきり言って不可能だ。
衝撃音と共に、岩石がその剣ごと地面に衝突した。それと同時に振動が床に響き、天井からはぱらぱらとコンクリートが落ちてくる。
普通の剣ならば、間違いなく粉々に砕け散っただろう。
驚いたことに、その剣は自身を包み込む結界を張って岩石を完全に防ぎ、逆にのしかかってきた岩石を粉々にうち砕いた。それにはグラもティアも言葉もなく、ただその剣をしばし眺める。
「・・・どうしようか」
結界を解き、まるで何事もなかったかのように佇む剣を眺めながら、ティア。
「この剣、破壊しておきたいところですが・・・これは骨が折れそうですね」
真剣な表情でグラが言った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ミリアは無言のまま、俯いている。気分が悪いのか、顔が真っ青だ。
「ミリア・・・？」
その様子のおかしさに、後ろを振り返ったティアが気づいた。グラもそのことに気がついたようで、ティアとミリアの近くに歩み寄ってくる。
「ミリア、大丈夫？」
ドクンッ、ミリアの鼓動が小さな体の中で鳴り響く。
ミリアは両手で自分の体を抱きしめながら、その場にしゃがみ、膝をついた。
ドクンッ、先程よりも大きな鼓動。
「・・・ミリア、ミリア！！」
「・・・・・だ・・・・め・・・ティアお姉ちゃん・・・グラ・・・・・」
逃げて、という言葉は口からでなかった。
ミリアの背中に、悪魔の翼がその姿を現す。
「くっ・・・あの剣の負のキャパシティの干渉を受けましたか・・・！」
ミリアと出会ってから二日経ったわけだが、これまで夜もミリアのダーク・ハーフの血が覚醒することはなかった。
ティアやグラとのふれあいにより精神的に安定したため、ダーク・ハーフの血をミリアの人間の血が抑制できているのでは、とグラは予測したが、真偽は明らかではない。
とにかくティアたちと共にするようになってからこれまで一度も、ミリアのダーク・ハーフの血が覚醒したことはなかった。
恐らく今回は、この呪われた剣から発せられている強烈なほどの負のキャパシティを体に感じ、ミリアの中で抑えられていたダーク・ハーフの血が活発化したのだろう。
翼を持ち、理性を失ったミリアはティアたちがいる場所から空中に飛び上がった。そして呪われた剣まで一気に飛び、その柄を両手で掴む。
「ミリアッ！！」
「正気に戻ってください！ ミリア！」
ティアとグラの声が響くが、ミリアはその声が聞こえていないように全く反応を示さなかった。無表情のまま、ミリアは呪われた剣を地面より引き抜く。
赤い閃光と稲妻が、剣を抜いた瞬間に発生した。それはまるで再び血を吸えることに対しての、剣の歓喜の声のようだ。ミリアは赤い稲妻を纏うその剣を軽く二、三度振り、感触を確かめている。
ティアとグラはその間、体をミリアの方向に向けつつ上へと続く通路にゆっくりと向かっていた。ここは暗闇に支配されているため、ミリアが襲いかかってきた場合の対処がまともにできそうにない。ミリアをどうするにしても、とにかくそれは地上に出てからの話だ。
じりじりと後退する二人に、ミリアが気がついた。羽を動かし、ゆっくりとティアたちに接近してくる。
ティアとグラは互いの顔を見て頷き、グラは口を開いた。
「三・・・二・・・一・・・０！！」
グラの言葉に合わせ、ティアとグラは一斉に走り出す。ミリアはその獲物を追いかけ、空を飛んで追跡した。
追いかけてくるミリアを背に地上への通路を駆け上がるティアとグラだったが、その道を塞ぐ者が現れる。それは、何故か今まで姿を消していた魔物の群だった。どうやら魔物たちは、あの剣の強力なエネルギーのために、あのホールには足を踏み入れることはできなかったらしい。その剣の封印が解かれた今、魔物たちは何の傷害もなく、地下のホールまで行くことができるようになったようだ。
「邪魔っ！」
ティアはそう叫ぶと、何の躊躇もなく行く手を遮る魔物の群の中に突撃した。その中でフレイム・ランスを自在に操り、魔物たちの急所を的確に狙い、一撃で仕留めていく。
「我は今ここに願う。全てを無に還す地獄の火炎にて、全てを滅ぼさんことを・・・」
キャパシティ・ワードを紡ぎながら、ティアは一瞬で魔物の群の中から飛び出し、後ろに下がった。
光が収束し、ティアの目の前に集まる。
「テラ・フレイム！！」
収束した光が膨張していき、弾ける。
その瞬間、全てを燃やし尽くす紅蓮の炎が出現し、魔物たちの大群に襲いかかった。炎は魔物の群の中でその大きさを増し、全てを呑み込むがごとく膨張する。
轟炎の後に残されたのは、運良く術の直撃を免れたものと、もはや動くことすらままならない程の重傷を負ったものだけだった。
テラ・フレイムを受けても生き残った魔物は完全に無視して、ティアとグラは地上へと急ぐ。そのすぐ後ろには、無邪気ともいえる笑みを浮かべているミリアがすぐそこまで迫っていた。
魔物を蹴散らして一階まで戻ってきた二人は、グラを先頭にしてＳ・Ｓの出入り口へと向かった。見取り図は完全に頭に叩き込んだグラは、迷うことなく複雑に入り組んだ通路を進み、ティアを先導する。
そしてようやくＳ・Ｓの外まで走り出たティアとグラを迎えたのは、やはり魔物の大群だった。
ここまでくると、さすがに嫌になってくる。
「・・・休む暇なしですか・・・・・」
アイアン・ソードを鞘から抜いたグラが、慣れた手つきでその剣を魔物たちに向け構えた。ティアはそんなグラと背中合わせに立ち、口元に笑みを浮かべる。
「ツイてないなぁ・・・」
ティアの目の前には、あの赤い刀身の呪われた剣を手にしたミリアが、悠然と空中に浮かんでいた。
駄目でもともと。ティアはダーク・ハーフの血が暴走して正気を失っている、ミリアの説得を試みてみる。
「ミリア、戻ってきなよ。この仕事終わったら一緒にオートに行くって約束したでしょ？」
「・・・・でよ・・・」
ティアの呼びかけは、やはり今のミリアには届かないようだ。ミリアはティアの言葉には答えず、ただ笑みを浮かべて、ティアの前までゆっくりと移動する。
「ねぇ、遊んでよ・・・楽しいこと、しよう？」
呪われた剣、『ヴネス』をティアに突きつけ、ミリアが微笑んだ。
やるしか、なさそうだ。
「グラ・・・そっちは任せた」
ティアはフレイム・ランスを片手に、宙に浮かぶミリアに向かって跳んだ。ミリアは遊び相手ができたことの歓喜に身体を震わせ、自分よりも大きいような魔剣ヴネスを両手で持ち、上から振り下ろされたフレイム・ランスを難なく受け止める。
ミリアを傷つけたくはない。狙うはやはり、魔剣ヴネスの破壊だ。
ティアは一度ミリアから距離をあけると、再び疾風の如く突進する。ミリアは楽しそうに場違いな笑い声を上げながら、ヴネスでティアを迎え撃った。ティアの脳天めがけて振り下ろされたヴネスを、ティアがフレイム・ランスで右に弾く。
ティアは渾身の力を込め、フレイム・ランスを振り下ろした。その事態の元凶、魔剣ヴネスの刀身をめがけて。
しかしヴネスの刀身はそのフレイム・ランスを弾き返す。その深紅の刀身には、傷一つすらできていなかった。これがもし普通の剣だったら間違いなく刀身が砕かれ、使い物にならなくなっていただろう。
ティアは舌打ちして、一端ミリアから距離をとった。ミリアは相変わらず笑いながら、自分の遊び相手のティアを見つめている。これまでの『遊び相手』は、すぐ壊れてしまった。しかし、今回は違う。
ミリアは歓喜の絶頂だった。
「・・・楽しい・・・・・楽しい・・・」
ミリアはその言葉を何度も呟いた。ヴネスを左手だけで持ち、右手を前に差し出す。
ティアから預かっていたウィング・リングで、風の刃を放つつもりだ。それも、ダーク・ハーフの血が覚醒して、キャパシティ量が前とは比べものにならないほど上昇した、今のミリアが。
緑色の光が、ミリアの右手の手のひらに収束していく。
突然、風が流れた。
嫌な予感を感じる。ティアが一刻も早くその場から逃れようと右に跳ぶが、そのときはもはや手遅れだった。
圧縮された空気の見えない刃が、ティアの左腹を深く切り裂いていた。鮮血と共にティアの身体がぐらりと傾き、地面に身体の右側を下にして叩きつけられる。
「ティア！！」
グラが魔物の一匹にアイアン・ソードを突き刺しながら、そう叫んだ。助けに行きたいのはやまやまだが、この魔物の群がそれを許してくれそうにない。ティアとグラとの間に入り込んだ魔物の顔面を切り裂きながら、思わずグラは舌打ちした。
大量の血を流しながら横たわるティアを見て、ミリアの表情が曇った。
また、壊れた。
壊れた玩具に用はない。ミリアはヴネスを片手にティアの目の前まで移動し、空中から倒れるティアを見下ろした。
そして無言のまま、両手で持ったヴネスを振り下ろす。ティアは傷の激痛により、まともに動くこともできない。倒れたまま何とかフレイム・ランスを持ち直し、ヴネスを防ごうとする。
しかしこの状況だ。ティアは今までの人生の中で、一体何回したことか覚えていない、『覚悟』を決めた。
再び、ティアは風を感じた。
その風には、覚えがある。
「・・・全く、腕が落ちたか？ この程度の相手に苦戦してるなんてよ」
懐かしい、声。
何故彼がここにいるかは分からないが、今はそんなことはどうでもよかった。
ティアとミリアの間に入った男は、ティアに死を与えんと迫るヴネスを、片手で持った剣で受け止めていた。彼はティアと同じく赤い髪に赤い瞳で、アルヴァスから支給されている制服を着ている。手に持った剣は小型の剣だが、それでも巨大なヴネスの刀身を易々と受け止めた。それが普通の剣ではないことは、明白だ。
ティアは安心感を感じた。この男がいるのなら、後は彼に任せればいい。
「・・・・・うるさい」
しかしティアの口からでたのは、そんな言葉だった。
「こっちの事情も・・・知らないで・・・・・」
「ああ、知らん。知ってるわけがないだろ？」
男は今ここに来たばかりなのだ。ティアたちの事情など知るはずもない。
男は、手に持った剣でヴネスを力強く弾き飛ばした。ミリアは驚いたように後ろに跳び、宙に静止する。
「じゃあ・・・まあ、とりあえず・・・これだけ理解して・・・・・あの子を、殺しちゃダメ・・・剣を破壊すれば、多分・・・元に戻るから・・・」
「・・・ああ、分かった。後は俺に任せて、寝とけ」
苦しそうに話すティアの頭を、男の手が撫でた。ティアはムッとした表情を作り、男を睨んで言う。
「・・・やめろ。子供扱いするな」
「何言ってやがる。まだ十四のガキが・・・」
彼は意地の悪い笑みを浮かべると、前方で空中に浮かんでいるミリアを凝視した。
ミリアは新しい遊び相手を発見し、嬉しそうに微笑んでいる。
「アナタ、私と遊んでくれるの？」
「・・・俺でいいなら、いつでも遊んでやるぜ」
男は小型の剣を構えた。ミリアもヴネスを両手で持ち、今度の遊び相手の男を見つめる。
男が疾走した。そのスピードはティアを上回る。一瞬その場から消えたような錯覚を覚えさせる、それほどのスピードで男はミリアに迫った。
ミリアがその男をめがけてヴネスを振るうが、それはむなしく空を切る。男はその空を切ったヴネスの刀身に狙いを定めて、勢いをつけた剣を振り下ろした。
金属音が重なる。
やはり先程と同じように、ヴネスは相手の武器を弾き返した。その異常なまでの刀身の堅さは、正直厄介だ。この剣を破壊するなら、その切れ味で他の剣に負けることはないと言われている最強の剣『スティルズ』や、そのスティルズのコピーとして十三本造られ、今はルバイスの聖騎士団十三人が一人一本ずつ所有している『スティル・ブレイド』。または、今やこの大陸で生きる者全てがその存在を知っている伝説の剣、Ｆ・Ｗを持ってくるしかないだろう。
男はあっさりと、その剣の破壊を諦めた。
剣を引き，一度地面に足をつける。そしてすぐに跳躍し、空中に浮かぶミリアの背に回った。ミリアはその男の動きに反応し、振り返る。
何故か、その男の姿はそこにはなかった。
上空より、男の声。
「でも、そろそろ、昼寝の時間だろ？」
ミリアは愕然とした。その男が空中に浮かんでいるミリアの、さらに上まで跳ぶとは思ってもみなかった。
ミリアの首の後ろに衝撃。
上空から襲いかかってきた男から首に手刀を入れられ、ミリアは空中で力をなくし、重力に引かれて落下していった。男はミリアが地面に激突する寸前に地上に降りて、両手で受け止める。
ミリアの手から放れたヴネスが、音を立てて地面に突き刺さった。
「まあ、こんなもんか」
ミリアを抱いた男が、先程から『樹』の術を使い、腹の傷を癒しているティアの所に戻ってきた。ティアはその男を見て苦笑する。
「相変わらず、だね」
「・・・俺は情けないぞ。お前の元相棒としてな」
男は黒き羽が消失したミリアを近くにあった樹の近くにゆっくりおろして寝かせると、治療をしているティアの手をどかして腹の傷の上に自分の手を置いた。そして、傷の回復を促す『樹』の術であるオール・クリアのキャパシティ・ワードを早口で紡ぎ、発動させる。
暖かな緑色の光が、ティアの傷口付近を包み込んだ。
彼からこうして傷の治療を受けるのは、何年ぶりだろう。
治療を受けながら、ティアが口を開いた。
「・・・で、どうしてここにいるの？」
「お前の危機を感じて、ルバイスから飛んで来たのさ」
男が笑みを浮かべた。ティアは呆れたようにため息をつき、一言だけ返してやる。
「ぼけ」
「あ、信じてないな。人を信じられなくなったら人生お終いだぞ」
「・・・どうしてここにいるの？」
笑って言う男の言葉を無視して、ティアが再び聞いた。
男は観念したように苦笑し、口を開く。
「・・・前の仕事でオートにきてた俺に、新しい仕事が入った。シルベイマウンテンに行ったティア＝ノルを守れって、な」
男の言葉を聞いて、ティアが首を傾げた。
「何それ？ 誰からの依頼？」
「さあ？」
男はにやにやと笑みを浮かべる。ティアはそんな男を睨みつけた。
「分かんないわけないじゃん。まさかクライアントの情報も知らずにここまで来たわけ？」
「そう言うことだ」
男がきっぱりと言い放った。ティアは呆れて言葉もなく、疲れたようにため息をつく。
ここまでくると、もう何も言うことはない。
「大丈夫ですか！？ ティア！！」
その場に、あらかた魔物を片づけたグラが走ってきた。グラはティアが大丈夫なことを知ると、ほっと胸を撫で下ろす。
グラはティアの傷の治療を続けている男を見て、ティアに聞いた。
「それで、この方は誰ですか？」
「おい、こいつ誰だ」
グラと男の声が見事に重なる。ティアは苦笑して、静かにその場に倒れた。
「勝手に自己紹介して・・・」
その男の名前は、ティルアといった。
ティルアは何年か前まで、ティアと組んで仕事をしていたＡランクアルヴァスだ。ふざけた性格だがその腕は確かで、ティアも彼の腕には信頼をよせている。
彼は、外見から、操れる術の属性から、名前から、性格以外の全てにおいてティアに似ていた。
しかし彼とティアには血の繋がりはなく、生き別れの兄姉、というわけでは絶対にない。他人のそら似、そう言うしかない。
二人で組んで仕事をしていたとき、よく人から、兄妹でアルヴァスをしているのかと聞かれたものだ。
「・・・というわけで、ここからは俺も同行させてもらう。よろしく」
「何がどういうわけか、貴方の説明ではいまいち分かりませんが・・・・・まあいいでしょう。戦力は多いに越したことはありませんからね」
ティルアとグラは互いに右手を差し出して、固く握手をした。この大陸では利き手で握手を事は、すなわち相手を信頼することに繋がっている。とりあえずこの二人は、何の蟠りもなくうち解けれたらしい。
「それで、今からどうするつもりだ？ もうＳ・Ｓには入ったのか？」
ティルアがＳ・Ｓの建物を眺め、グラに聞いた。グラはＳ・Ｓを一瞥して頷くと、上へと続く道を眺め、笑みを浮かべて答える。
「今からこの山の頂上に向かいます。そこに僕が求めるモノがありますから」
「・・・了解した・・・・・が」
ティルアはそう言い、近くにある樹にもたれかかって、互いに肩を寄せ合って寝ているティアとミリアを眺めた。
その寝顔は穏やかで、幸せそうだ。
ティルアは苦笑して、言う。
「これじゃ、今すぐ出発は無理だな・・・」
「・・・・・そうですね」
グラもティアとミリアを愛おしげに眺めて、そう呟いた。
ティアとの契約期限切れまで、後三日・・・・・。
０１番外編 第一部 第一章
アルヴァスの槍使い 終了