次の日の朝早く出発したティアとグラの二人は、その日の昼過ぎ頃にザークに到着した。
やはりグラが予想したように、オートからザークまで徒歩で約半日かかった。昨日、ティアがグラの待つ宿屋についたのが夕食前ぐらいだったので、もしそのまま出発していたら間違いなく深夜、もしくは早朝にザークに到着し、今頃はまだ死んだように眠っていただろう。彼の判断は正しかったのかも知れない。
ザークはシルベイマウンテンの近くにある小さな村で、昔はそれなりに栄えていたところだ。しかしシルベイマウンテンに魔物が住み着き、レストフレールが採れなくなってからというもの急激に廃れ、今では住民も数十人しかいない、本当に小さな村である。
確かに人も少ないし新しい物は何もないところだが、のどかな雰囲気でいいところだ。仕事ではなくこの村に来れば、ゆっくりと疲れを癒すことも可能であろう。
「さて、どうしようか」
ティアは槍を杖がわりにして立ちながら、そうグラに聞いた。ここからシルベイマウンテンまでは後少しだ。行こうと思えば、今日中に山の中にはいることは容易い。
「急いては事を仕損じる、と言いますからね。ここまで歩きだったわけですし、今日はこの村でゆっくり休んで、明日出発しましょう。それまでは自由行動とします」
「自由行動ね・・・了解」
ティアは頷くと、まっすぐこの村に唯一ある宿屋に向かって歩き出した。
理由は単純明快、寝るためである。
正直言って体力にはあまり自信のないティアは、ここまでの道中で疲れてしまった。どうも動き回る気にはならない。
そんなときは、寝て過ごすに限る。
「グラ、ボク寝るから。何かあったら宿屋に来てね」
「分かりました。それでは、良い夢を・・・」
歩き出したティアだったが、不意に一人の金色の髪の少女がティアの目の前に飛び出してきた。
そして悠然と、ティアの行く手を塞ぐ。
「・・・・・・・・・・」
しかしティアはその少女を完全に無視して、横を通り抜けて歩いて行った。
無視された少女はめげずにティアの目の前に再び立ちふさがり、ティアを指さす。
「ちょ、ちょっと！ 無視するなーっ！」
村中に響き渡る声で、少女がそう叫んだ。ティアはその少女を見て面倒くさそうに髪を掻き上げる。
「・・・何？ ボクになんか用？」
「私はミリア＝アースロン。今年で七歳。あなたティアでしょ？ あの有名なアルヴァスの槍使い」
ミリアはティアの持っている長い槍を見ながら言った。
赤い髪で、自分の身長の二倍はあろうかという槍を自在に操る凄腕の少女。
ティアはそんな肩書きで有名なため、槍は大きな目印になるのだ。
「・・・そうだけど？」
欠伸をかみ殺しながら、ティアが言う。
「あのさ、頼みたい仕事あるんだけど」
ミリアは真剣な表情でそう言う。しかしティアはやる気がないように大きく背伸びをして、グラを指さした。
「残念だけど、今ボクあの人に雇われてるの。それと、依頼はアルヴァス支部、または本部まで・・・よろしく」
言い終わると同時に、ティアはゆっくりと歩き出した。
そのやり取りを見ていたグラはやれやれと言った感じで苦笑し、ティアとは違う方向に体を向ける。
そんなグラの後ろに、ミリアが小走りでついてきた。そして隣に並ぶと、自分より遙かに背の高いグラを見上げながら話しかける。
「ねぇ、ティア一日・・・あ、別に半日でも一時間でもいいけど、借りていいかな？」
「借りるって、ティアを物みたいに・・・」
グラは苦笑いしながらミリアを見た。
「僕がどうこう言っても、ティアが嫌と言うのならばどうすることもできませんよ。それに正式に依頼を出さないと、多少のことではアルヴァスは動いてくれませんよ？」
「・・・・・でも・・・」
ミリアは暗い表情になった。グラは慌てたようにして、言葉を付け足す。
「その、頼みたい仕事というモノ、内容によっては僕がやって差し上げますよ。あくまで、僕ができるものであるのなら、ですが」
「ホント！ ホントにやってくれるの！？」
「ですから、その仕事の内容、教えていただけませんか？」
「うん！ じゃあここじゃ何だから、私の家に来て」
ミリアは嬉しそうにグラの手を掴み、走り始めた。
グラは苦笑しながら、自分はなんてお人好しなんだろうと考えていた。
（まあ、いいでしょう。どうせ子供の頼む依頼なんて、たかが知れてるでしょうから）
ミリアから手を引かれて走り出してから数分もしないうちに、ミリアの家の前に二人は到着した。
「ここが、私の家だよ」
ミリアの家は、他の家とはどこかが違う。大きさは普通の家に比べれば二倍以上はあるし、外装も豪華で、敷地面積も広かった。
普通に考えて、ここはこの村の長、村長の家だ。
「こ、ここが貴方の家ですか・・・？ と言うことは貴方はこの村の村長の・・・？」
「そうだよ。私はここの村長の一人娘・・・入って」
ミリアに促されて、グラはその大きな家に足を踏み入れた。家の中も結構豪華で、昔のこの村の繁栄の名残を残している。
グラはミリアに導かれて、二階への階段を上り、一つの部屋の中に入った。
その部屋には、可愛らしいぬいぐるみや子供が読む絵本などが置かれている。どうやらこの部屋は、ミリアの部屋のようだった。
ついさっき会ったばかりの大人を自分の部屋に入れるとは、この少女、いつ騙されるか分かったものではない。
人を疑うことを知らないことは、いいことなのかも知れないが・・・。
「ここならのんびり話できるね。さて・・・・・と、早速本題に入っていいかな？」
自分専用の小さな椅子に座ったミリアが、立ち尽くしているグラを見てそう聞いた。グラは苦笑しながら、こくりと頷く。
ミリアは嬉しそうに、それでいて悲しそうに笑うと、俯きながら口を開いた。
「あのね・・・・・私を・・・・・」
「・・・・・・・・・？ 貴方を、どうするんですか？」
途中で言葉を切ったまま黙り込んだミリアを見て、グラが先を促した。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・どうしたんですか？ 黙っていては分かりませんよ」
意を決したように、ミリアが顔を上げて言った。
「あのね、私を、殺して欲しいの」
一瞬、グラの動きが止まった。
しばらく思考が完全に停止し、何も考えることができなくなる。
しばしの沈黙の後、グラがようやく口を開いた。
「なっ・・・何を馬鹿なことを言ってるんですか？ 冗談でしょう？」
こんな小さな子供から、まさか殺しを依頼されるとは。
それも、自分を殺してくれという依頼を。
しかしミリアは本気だった。
「冗談じゃないよ。私を、殺してもらいたいんだ。できるだけ早く」
「そんなことできません。僕には貴方を殺す理由もなければ、勇気もありません」
グラは強い口調でそう言った。そしてミリアの目の前にしゃがみ、同じ高さから目を見て話す。
「一体、どうして貴方のような小さな子供が死を望むのですか？ 理由を、教えてもらえませんか？」
「・・・・・理由を言ったら、殺してくれる？」
グラは首を横に振った。
ミリアはそっぽを向いて、言う。
「なら、教えない。殺してくれるって言うまで、教えない」
「・・・・・そう言うのなら、教えてくださらなくても結構ですよ。どんなことが起きようとも、僕は貴方は殺せません」
グラは立ち上がった。そして部屋のドアの前まで歩き、立ち止まった。
「それが頼みたい仕事だと言うのなら、僕は帰らせてもらいますよ。それと、そんな依頼をティアに出しても無意味だと思います。彼女も、何を言われても貴方を殺しませんよ」
「お願い・・・・・もうあんまり、時間がないの」
弱々しいミリアの声が、部屋に響いた。グラは扉のノブに伸ばしていた手を止め、ミリアを見る。
ミリアは、目に涙を浮かべていた。
「この村に入ってから、誰とも会わなかったでしょ？」
「・・・・・ええ、そう言えば誰の姿も見てませんね」
今考えれば、それはおかしいことだ。たとえ小さな村で人の数が少ないと言っても、誰の姿も見なかったとは。
ミリアは自分の肩を両手で抱き、震えながら言う。
「私が、殺したの。食べたの」
「―――――！？」
グラは驚きのあまり言葉もなかった。
この少女が、ミリアが、村人を、『食べた』？
「夜になると、体がおかしくなるの・・・熱くなって、頭がぼうっとして、考えることができなくなって・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「朝になるといつも、血まみれで倒れてる人と、血まみれの私がいるの・・・」
グラは黙ってミリアの話を聞いていた。ミリアは感情が高ぶってきたのか、大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らした。
グラはミリアが自分を殺してと言った理由を理解した。
自分を自分で殺す勇気など、まだ子供の彼女には存在しないだろう。
だから他人の手で・・・つまりちょうどよくこの村にやって来た有名なアルヴァス、ティアに仕事を依頼しようとしたのだ。彼女ほどの腕の持ち主なら、間違いなく自分を殺してくれるだろうと思って・・・。
こんな小さな少女が、どんな思いで自分を殺してくれと言ったのか。
「貴方がそうなる原因は、分かっているのですか？」
グラの問いに、ミリアは身を震わせた。そして絞り出すような声で、小さく言う。
「・・・・・亜魔人（ダーク・ハーフ）」
「・・・やはり、そうですか」
『ダーク・ハーフ』。
人の姿をしながらも、背中に黒い悪魔の翼を持つ種族。
その者らは人間を遙かに凌駕する力を持ち、『術』と呼ばれる能力を使いこなす、人間に仇なす種族だ。普通の人間なら、ダーク・ハーフに狙われたのなら死を覚悟するしかない。その異常なまでの再生能力は少しの傷なら瞬く間に塞ぎ、滅ぼすのなら首を飛ばすか、灰も残らず焼き尽くすかしかないのだ。
戦い慣れしていない人間が、勝てるわけもない。
「ダーク・ハーフに、血を送られたのですね？」
グラの問いに、ミリアは力無く、こくりと頷いた。
ダーク・ハーフに血を送られた人間は、人とダーク・ハーフの両方の血を併せ持つ存在、『クォーター・ダーク』と呼ばれていた。クォーター・ダークの中には、力を欲し自分から望んで血を送られた者と、そうでない者とが存在する。ミリアは間違いなく後者だ。
その証拠に、ミリアの体の中では今でも人間の血とダーク・ハーフの血が同化していない。なので今は人間の状態、夜になるとダーク・ハーフの血が目覚め、殺戮者へと姿を変えるのだろう。
元に戻す方法は、存在していない。
「だから・・・だから、私を殺して・・・お願い・・・もう耐えられないの」
そう言うミリアは、あまりに弱々しく、虚ろだった。
最初に会ったときのあの元気は、恐らく無理に作っていたものなのだろう。
グラは無言のまま、腰に下げている剣、アイアン・ソードを鞘から抜いた。そして険しい表情を浮かべながら、ミリアに向けて構える。
ミリアは目の涙を拭おうともせず椅子から立ち上がり、グラを、グラの構えるアイアン・ソードを凝視した。
「今、この状態なら、僕は間違いなく貴方を殺せます」
今この状態とは、ミリアがダーク・ハーフの血に覚醒していない今なら、という意味だ。
「・・・・・うん」
ミリアは無理に笑顔を作って、頷く。
「最後に、もう一度だけ聞きます。本当にいいんですね？」
「・・・・・・・・・うん」
「分かりました」
グラは眼を鋭くした。戦いの時に、相手に見せる眼だ。
ミリアは唾を飲み込む。足が震え、瞬きの回数も少ない。
グラからミリアまでの距離、約五メートル。一瞬で詰めれる距離だ。
これはグラにとっても、一種の賭だった。
「大丈夫、一瞬で済みます」
グラはアイアン・ソードを振りかざし、ミリアに向かって走った。
間合いはすぐに縮まり、グラはミリアの目の前に迫る。
アイアン・ソードの刀身が、鋭く光った。
それは、簡単に相手の命を奪うことのできるもの。
これまでも、たくさんの血を吸ってきた、剣。
死を、与えるもの・・・。
それを見た瞬間、ミリアの中で、今まで必死に抑えていた感情が爆発した。
「やっ、やだ・・・！ やだああああっ！！」
頭を両手で庇いながら、ミリアはそう叫ぶ。
グラは振り下ろしたアイアン・ソードを、ミリアの頭のすぐ上でピタリと静止させた。
グラは、危険な賭に勝った。
「・・・いやいや・・・・・・・そう言ってくれなかったらどうしようかと思ってましたよ」
アイアン・ソードを鞘に納めて、ほっと息をつきながらグラがミリアに言う。
ミリアは恐る恐る目を開けて、目の前で微笑んでいるグラを見た。
「最初に言ったでしょう。どんなことが起きようとも。僕は貴方を殺せないって」
「うっ、うううう・・・・・」
床に座り込んで泣くミリアを、グラは優しく抱き上げた。
「どんな困難なことにも、必ず解決法はあるものです。死のうなんて思ってはいけませんよ。ミリア」
初めてグラが、ミリアの名を呼んだ。お互い自己紹介はしていないのだが、ティアとのやり取りを聞いていたので、名前は初めから知っていたのだ。
ミリアはグラに抱かれながら、しばしの間その胸を借りて泣いた。
「これは・・・・・酷いな・・・・・」
宿屋の建物の中に転がっていた数名の死体を見ながら、ティアが思わず呟いた。
その死体は、体の所々が消失している。手がなかったり、足がなかったり、腹がなかったり、首から上がなかったり・・・・・
見るに耐えない光景だ。
（魔物・・・じゃない。これは・・・）
「・・・そこにいるのは分かってる。出て来なよ」
ティアが、血を流して死んでいる者を見ながら、そう言った。
「人間よ。貴様も運がない」
突然、ティアの背後から男の声が聞こえた。振り返ってみると、そこにはいつの間にか現れた黒髪の男が、顔に笑みを浮かべながらこちらを見て立っている。
「俺がこの村に来ているときに、この村に入ってくるなんてな」
「・・・・・・・・・・」
男から感じられるこのキャパシティの量。あの漆黒の翼こそはまだ現れていないが、間違いなくこの男はダーク・ハーフであろう。
ティアは無言のまま、油断泣く槍を構えて男に聞いた。
「これは・・・この有り様はキミがやったの？」
「いや、これは俺の可愛い奴隷がやったことさ」
「奴隷・・・？ まさか、人間に・・・！？」
ティアの言葉を聞き、男は満足そうに頷いて言った。
「そう。この村の子供一人に、俺の高貴なる血を分け与えてやった。その子供は夜になると本性を現し、人の生き血を啜り、肉を貪り食う、俺のペットとなる」
ティアは無言のまま男を睨みつけた。
望みもしない者にダーク・ハーフの血を送ることは、その者にとって苦痛でしかないことを知っていたから。
槍を持つ手に力が籠もる。
「人間よ。そんな武器で俺の相手をするつもりか？」
男はティアを見て嘲りの笑みを浮かべながら、馬鹿にするように言った。
それに対して、ティアも意地の悪い笑みを浮かべる。
「キミなんかには、これはもったいない程だよ。『フレイム・ランス』って聞いたことぐらいあるでしょ？」
「・・・！！ 別名、『紅い槍』と呼ばれているあの・・・ということは貴様は・・・！？」
「運がなかったのはボクじゃなくて、キミだったね」
ティアは人間だけではなく、別種族であるダーク・ハーフからもその名を知られていた。
ティアはその場から一気に加速し、ダーク・ハーフとの距離を詰める。ダーク・ハーフは咄嗟に後ろに飛び、放たれたティアの一撃をかわした。
ダーク・ハーフの背中には、特徴的な黒い羽が現れていた。
「ティア＝ノル・・・俺の同族を数え切れぬほど滅ぼした憎むべき存在・・・・・」
空中に浮かびながらティアを見下ろして、ダーク・ハーフが言う。
ティアはそんなダーク・ハーフを見上げて、フレイム・ランスを突きつけた。
「ボクは自分の身を守っただけだよ。いつも、そっちが最初に仕掛けてきたんだ」
「結果は同じだ・・・貴様は同族の仇・・・！」
ダーク・ハーフは手を掲げた。
その手に黒い光が集まり、収束する。そしてその光は剣の形を取り、ダーク・ハーフはそれを構えてティアと対峙した。
キャパシティ（魔法力）の剣、一般的に『ブローング・ソード』と呼ばれる剣が、今ダーク・ハーフが作り出したものである。戦いの時は、ダーク・ハーフはこの剣を使うことが多い。
「行くぞ・・・・・！！」
ダーク・ハーフは羽を動かし、ティアに向かって常識では考えられないスピードで飛んだ。
ティアは振り下ろされたブローング・ソードをフレイム・ランスで受け止め、上に弾き飛ばす。その結果、懐ががら空きになったダーク・ハーフに一瞬にして接近し、ティアはフレイム・ランスを突き出した。
しかしそれをダーク・ハーフは強度な羽で叩き落とし、急上昇してティアとの距離をとる。
ダーク・ハーフは無言のまま、ブローング・ソードを構えて急降下した。
そしてブローング・ソードを斬るのではなく、突き出す。
これはさすがに受け止めることはできないので、ティアは右に転がってそれを回避した。目標を失ったダーク・ハーフは床に激突する手前で急停止し、そこから弾かれたかのように加速してティアにまた突進する。
ティアは舌打ちして左手を前に出した。その左手の腕輪に、緑色の光が集まってくる。
その光が弾け、ダーク・ハーフは何かの衝撃を受けて後ろに吹っ飛ばされた。
ティアの左手で緑色に輝く腕輪。これはロストウェポン、『ウィング・リング』だ。
このウィング・リングは使う者本人のキャパシティを消費し、風を発生させることができるものである。ダーク・ハーフは収縮された風の固まりの直撃を受けて、まるで鉄球の直撃を受けたかのように吹っ飛ばされたのだ。
今度はティアから仕掛けた。壁に激突したダーク・ハーフに疾走し、今度はウィング・リングを起動させながら左手を右から左に動かした。
発生した風の刃が、ダーク・ハーフの左手を斬り飛ばした。黒い血が飛び散り、ごとり、と切断された肘より先の左手が床に落ちる。
さらに接近してとどめを刺そうとしたティアだったが、ダーク・ハーフはブローング・ソードをティアに向かって投げ飛ばし、怯んだ隙に空中に浮かび上がった。
飛んできたブローング・ソードをティアは叩き落とし、空中に浮かんだダーク・ハーフを睨みつける。
「降りて来なよ。怖じ気づいた？」
「ふ、ふふふふふふ・・・さすがは我らの同族を滅ぼしてきただけはある・・・・・」
ダーク・ハーフは場違いな笑い声をあげた。
「『あの方』が望む存在・・・俺が確かめてやろう・・・・・」
ダーク・ハーフの左手の出血は、完全に止まっていた。
驚くべき再生能力だが、しかしやはり簡単には、失われた肘から先は再生しないらしい。
「生き延びてみろ・・・俺は、命を懸けるぞ・・・！！」
黒い光が、ダーク・ハーフの体全体を包み込んだ。ティアは今までの経験上、これから何が起こるのかに気がつき、咄嗟に後ろに下がって扉から建物の外に走り出た。外に出た後も全力で走り、建物から十分な距離をとる。
建物が、黒い光に包まれた。そしてその光は膨張し、爆発する。
建物は跡形もなく消滅し、爆発の後に残ったものは、黒い稲妻を纏いながら浮かんでいるダーク・ハーフだけだった。左手も、完全に再生していた。
「『オーヴァー・ブラッド』・・・・・」
ティアはダーク・ハーフを睨みながら、そう呟く。
ダーク・ハーフが持つ能力、一時的に自分の中にある血を暴走させ、戦闘能力を飛躍的に向上させることができるオーヴァー・ブラッド。
信じられないほどの力が発揮できる能力なのだが、これを使うことはすなわち、自分の生命を危険にさらすことに繋がる。
無理に自分の能力を高めることは、命を縮めることになるのだ。
まさにそれは、諸刃の刃。
ティアは油断無くフレイム・ランスを構えた。相手は、死ぬ気でかかってくるだろう。こちらもそれに応えてやらねばなるまい。
ここからは、手を抜く余裕など、無くなる。
ダーク・ハーフは以前では考えられないような咆哮を上げながら、一瞬にしてブローング・ソードを作り出し、ティアに襲いかかった。
ティアは軽い身のこなしでその剣撃を回避し、横に逸れながらフレイム・ランスを振るう。
ダーク・ハーフはその攻撃をあろうことか左手で受け止め、フレイム・ランスをティアの体ごと持ち上げた。もの凄い力である。
ダーク・ハーフはフレイム・ランスごと、勢いをつけてティアを投げ飛ばした。ティアは空中で何とかバランスをとり、地面に叩きつけられることを何とか免れる。
そんなティアに、容赦ないダーク・ハーフの迎撃。
突き出されたブローング・ソードは地面に着地したティアの右肩に深々と突き刺さり、赤い鮮血を撒き散らした。
ダーク・ハーフはブローング・ソードが肩に刺さったままのティアの腹に、強烈な蹴りをいれて吹っ飛ばす。血の軌跡を残しながらティアは地面をごろごろと転がり、住宅の塀に背中を激突させて止まった。
「・・・ったぁ・・・・・」
ティアはゆっくりと立ち上がった。右肩からは、今も出血が続いている。
油断した、とティアは舌打ちした。
ダーク・ハーフは、闘志剥き出しの表情でティアを見ている。今このダーク・ハーフに感情はない。ただ動くモノを破壊する、非情な戦闘マシーンだ。
ティアは左手を肩の傷口に当て、ダーク・ハーフを睨みつけながら言葉を紡いだ。
「我は今ここに願う。生を司る生命樹よ、我に汝の力の一片を・・・」
ティアが口にしているのは、『術』と呼ばれる力を発動させるために必要な『キャパシティ・ワード』。
この世界で生きる者は例外なしにキャパシティを持っているのだが、術と呼ばれる力を使えるものは少ない。それほど術は高等なもので、国では、貴重な戦力として術使いを何人か抱え込んでいることが多かった。
ティアは、『炎』の術と『樹』の術の二つの属性を操ることができる。炎は主に攻撃専門、樹は補助、回復ができる属性だ。
「オール・クリア」
ティアの言葉に反応し、ティアの左手に優しい緑色の光が収束した。その光は傷の回復を促す光。ティアの肩の刺し傷が少しずつであるが、塞がっていった。
しかしそれを黙って見ているダーク・ハーフではない。これを好機と見たのか、ブローング・ソードを振りかざしてティアに襲いかかって来た。
ティアは回復を一時中断し、先程とは違うキャパシティ・ワードを紡ぐ。
「我は今ここに願う。全てを無に還す地獄の火炎にて、全てを滅ぼさんことを・・・」
今度は、炎のキャパシティ・ワードだ。ティアの左手に紅い光が集まり、膨れあがる。
「テラ・フレイム！」
光が弾け、それと同時に全てを飲み込む炎が現れた。炎属性の中でも最大級の威力と攻撃範囲を誇る、テラ・フレイムだ。
その炎は轟音を上げながらダーク・ハーフに直進し、大爆発を起こす。鉄をも一瞬で溶かす高熱の炎だ。この爆発に巻き込まれたのなら、普通の者ならばただでは済まない。
しかしその爆発の中を突き抜け、ダーク・ハーフが突進してきた。ティアは咄嗟に構えたフレイム・ランスで、ダーク・ハーフにより振り下ろされたブローング・ソードを受け止める。一秒でも判断が遅れたら、ティアは頭を斬りつけられて命を落としていたであろう。
受け止めるフレイム・ランスにかかる負荷の重さに、ティアは声を漏らした。肩からは塞ぎかけていた傷口から再び出血し、赤い血が地面に滴っている。
ダーク・ハーフは、うっすらと笑みを浮かべた。
嫌な予感を感じたティアは、ブローング・ソードを横に受け流して後ろに飛ぼうとする。
しかし、手遅れだった。
「フレイム・ブラスト！」
ダーク・ハーフの手より放たれた炎の術がティアの目の前で爆発し、ティアは衝撃で地面を転がりながら吹き飛ばされた。
ダーク・ハーフは人間とは違い、キャパシティ・ワード無しで強力な術を放つことができる。それもほとんどの属性の術を操ることができ、人間とダーク・ハーフのキャパシティ量の絶対的な差を、そこから垣間見ることができる。
十メートル以上転がって、ティアの体がようやく止まった。体中のあちこちに擦り傷を負い、肩の傷は悪化している。
結構、まずい状況だ。
ティアに立ち上がる暇も与えず、ダーク・ハーフはブローング・ソードを手に迫る。ティアは何とか左手を出し、ウィング・リングで圧縮された風を発生させた。ダーク・ハーフは風の直撃を受け、吹っ飛ばないまでもその動きを止められる。
その一瞬の隙を、ティアは見逃さなかった。
飛び上がるようにして立ち上がったティアは、フレイム・ランスを片手にダーク・ハーフに接近、一度前から横なぎに斬りつけ、その勢いを殺さぬままダーク・ハーフの後ろに回ってフレイム・ランスを突き出した。
ダーク・ハーフは胸の横まっすぐに切り傷を負い、その直後背中から突かれたフレイム・ランスから体を貫通され、腹の辺りから黒い血を滴らせた。
しかしダーク・ハーフの顔には、不気味な笑みがあった。そう、この程度では、彼を滅ぼすことなどできない。その恐るべき再生能力であっという間に傷は塞がり、何事も無かったかのように攻撃を仕掛けて来るであろう。
そんなことは、ティアも承知の上だ。
「・・・グラ、お願い」
「任せてください」
ティアの後ろから、疾風と化したグラが突然現れた。それはあまりに突然のことであったため、ダーク・ハーフは反応することすらできない。
グラのアイアン・ソードが、ダーク・ハーフの首と胴体を切り離した。そしてグラは、間髪入れずにその場所から飛んで離れる。
ティアが、右手を差し出した。
「我は今ここに願う。完全なる炎よ、我の前に姿を現せ。そして静寂と安息を我に・・・」
ドクン、大気が振動する。
ティアの足下に赤色の魔法陣が現れ、光を発した。
「フォトン・フレア」
それは、まさに一瞬の出来事だった。
ティアの目の前の何もない空間が歪んだかと思うと、その空間が朱に染まり、二つになったダーク・ハーフを灰も残らず消し去った。そのすぐ後空間は正常に戻り、何事もなかったかのように悠然としている。
炎属性の術の中で最大の破壊力を持った術、それが今ティアの放った『フォトン・フレア』だ。そのあまりの威力の高さに、ティアもダーク・ハーフ相手にしか使ったことがない。
「傷だらけじゃないですか。大丈夫ですか？」
グラがそう言いながら、その場に立ち尽くすティアに近寄ってきた。ティアはそんなグラを見て苦笑すると、その場に倒れるようにして座る。
「あーあ・・・アルヴァスＢランクともあろう者が、情けないなぁ」
「オーヴァー・ブラッドを使ったダーク・ハーフに勝てるのですから、大したものですよ」
グラはティアの頭に手を置きつつ、そう言って笑った。しかしティアは納得がいかないようで、口を尖らせる。
「でも、グラに助けてもらった」
「・・・ティアなら、僕の助けなんかなくても勝てていたでしょう。そんなことより、早く傷の手当てをした方がいい。跡が残ったら大変ですからね」
そう優しく言ったグラは、ティアの手を取って立ち上がらせた。しかしティアはしっかりと立つことができず、倒れそうになったところをグラに支えられる。
「おやおや。これは重傷だ」
「うるさいな」
「まあそう言わないで。たまには人に甘えることもいいことですよ」
グラはティアを自分の背中に乗るように促した。しかしティアは恥ずかしいのか、自分のプライドが許さないのか、首を横に振る。
グラはそんなティアを見て微笑むと、半ば強引にティアを背中に乗せた。ティアは抵抗するが、力で大人のグラにかなうわけがない。最終的には抵抗を諦め、グラの背中に身を任せた。
「ああ、一つ言っておくことがあるんですが」
「・・・何？」
歩き始めてすぐ、グラが口を開く。
「僕たちに、新しい仲間ができました。後で紹介しますよ」
ティアはその新しい仲間が誰か、すぐに想像がついた。
あの、元気な黄色の髪の女の子か。恐らくあの子が、ダーク・ハーフが言っていた『血を送った子供』。この村の唯一の生き残り。
あんな小さな子供が、これから過酷な人生を送っていくことになる。『差別』という名の悪魔が、彼女を苦しめることになるだろう。
ティアはやるせなさに、自分の右手を握りしめた。