「わ。まだスィール寝てるよ？」

　一番最初に起きたプロトが驚きの声を上げた。そろそろと寝顔を覗き込んで、しばらく様子を伺ったあと、部屋の窓を開け放つ。天気良し。いい匂いが風で運ばれてくる。朝６時半。街はもう活動を開始していた。

「あ？　なんでこいつまだ寝てんだ？」

　カイトも起きたらしい。すやすや気持ちよさそうなスィールの顔を、信じられないように覗いている。

「おはよーカイト。ほんと、珍しいね。いっつも一番に起きて僕たちが寝るのを邪魔するスィールが、今日は一番びりだよ」

「はよ。まあ、まだ寝てるってコトは、それだけ寝るのが遅かったってことだよな」

「だろうね。スィールってほんとにきっかり５時間睡眠だから」

「真似できねぇ………」

　言いながら、カイトはタオルを探し始めた。プロトが察してカイトに手渡す。

「宿の服だってコト、忘れないでね」

「忘れねーよ」

　洗面所に向かって、顔を洗い手櫛で髪を整えてから、カイトは走り込みに出た。朝はランニングかストレッチをするのが日課だ。

　部屋の窓からそれを確認したプロトも、顔を洗い、髪を整えてみた。

　部屋に戻ると、自分の寝たベッドの上に腰掛け、ポーチの中身をばらまこうとし、思いとどまってベッドを降りた。地べたに座り、持っている布の
なかでなるべく綺麗な物を床に敷き、その上にばらまく。

　今までの戦利品のＣＤと共に、少し砂が振ってきた。

「あー、やっぱり入っちゃってた。ＣＤ傷ついてないかなあ」

　ＣＤは、力の強い術士や、それを使える魔物が死んだときに現れる結晶で、いわばそれのデータの塊である。一般の人はそれから力を引き出すことはできないが、プロトは魔法の力でＣＤのデータを読み込み、自分の力に変換することができる。

　プロトは一枚ずつＣＤを手に取り、優しく拭いていった。たまに光を当てて、傷の具合を見てみる。

　表面に、大きいひっかき傷を発見した。

「わ………この傷、読み込めるかなあ………？　んー」

　周りを見渡してみた。戸は閉まってる。窓は開いているがここは２階だ。魔法、使っても………大丈夫、かな………。

「オープ………」

　とんとんとんとん。

　扉を叩く音に、プロトは慌てて「ン」の言葉を飲み込んだ。ばさばさとＣＤの山を隠してみる。

「とんとんとーん」

　今度は言葉できた。

　聞いたことのない女性の声。………でもどこかで聞いたことのあるような。

「起きてますか〜。お寝坊さんですか〜？」

　なんか、馴れ馴れしくないか？

「どちら様ですか？」

　声を少し堅くして、プロトは応えた。戸の先の女性は予期していなかった返答だったのか、少し沈黙する。

「あー、そか。キミはプロトクンだね？　初めまして―――アイタッ」

　ゴン！

　異性のいい音がして、戸が揺れた。戸の前でお辞儀をしたらしい。

「………………」

　沈黙。

　………………………。

　沈黙。

　カチャ。

　戸を開ける。

　おそるおそる。

　覗いてみる。

「あうう〜」

　しゃがんでいた。

　額を押さえて。

　涙目で。

「だ、大丈夫？」

「あ、はい！　ダイジョウブであります閣下?!」

「ダメミタイ………？」

　彼女は一気に立ち上がって、敬礼をした。一見ではとてもそんなことをするような人には見えないのに。

　そしてそのままの姿勢で、自分を見上げるプロトと目があった。

「おはようございます。スィールはまだおねむですか〜？」

　ゆっくりと、敬礼していた手を膝に持ってきて、今度はちゃんと頭を下げきってお辞儀をした。

　さらりと腰まである髪が落ちた。

「スィール………また知らぬ間にオトモダチを………」

「え？　なに？」

「ううん。なんでもない。で、えーと、どうしたんですか？」

「スィールに挨拶しようと思ったんだけど、まだ寝てる………んだね。伝言頼んでいいスか？」

　起きているのなら、黙っていても飛び出てきそうなスィールが来ないところから推理した結果らしい。

　彼女は髪を手で掬って流した。いい匂いがプロトの元まで届く。

「いいスよ。なんでしょー？」

　言葉を真似て応えるプロト。それに気付いて、彼女は楽しそうに微笑んだ。

「お先にっ、て」

「お先に？」

「わけてあげないよーって」

　本当に楽しそうに言う彼女を見て、プロトはスィールと似てるかもと思った。

「言えばわかるんだよね？」

「わかんなかったら、襲いに来てやる」

「わ、物騒だよ」

「ふふふっ。実はねえ、スィールに伝言ってのは口実で、貴方に会ってみたかったの。だってスィールったら、あなた達のこと、とても嬉しそうに話すんだもの」

　そう言う彼女も嬉しそうな表情を浮かべていた。微笑んだ頬には、ほんのりあかみが差して、とても可愛らしい印象を与えた。

「じゃあ、よろしくね。プロトクン。今度ゆっくり話、しようね」

「あっ、待って！」

　振り返る彼女を、反射的にプロトは引き留めた。引いた手は、思ったより冷たくてびっくりしたけど、でもそのまま、彼女の瞳を覗いた。

「ん？」

　彼女にとって、自分より10歳くらい離れているプロトは、弟のように、すごく可愛らしい存在だった。何か言いたそうにしているのを感じて、そのまま言葉を待つ。

「名前………」

　自分でも驚くほど小さい声だった。そして何故だろう。震えてる気がした。

「ああ！　そだね。アタシってば自分が名乗らないなんて何様だよっ。アタシはフィメルア。ハタチの占い師だよー」

「フィメル―――あっ、昨日の」

　昨夜の食堂の人集りを思い出す。こんなに若い人だなんて思わなかった。

「へへへ〜。プロトクン、近い将来『自分』と会うことになるでしょうって、占いで出てたよん」

「どういうこと？」

「所詮は占いだよ」

　要するに、詳しくは分からないということ。

　フィメルアは軽く手を振って、早々と行ってしまった。

　プロトはフィメルアの姿が見えなくなった角を見つめながら、最後に残していった言葉を頭の中で繰り返していた。

　『自分』と、会う―――。








　沢山の星の中にいた。

　夜の、星空の中に。

　自分はひとりで、ふわりとそこを漂っていた。

　とてもとても、気持ちが良くて、懐かしかった。

　どこまでも続く星の瞬き。

　ここは、どこだろう………。








　８時を少し過ぎた頃。

「あ〜。やっとお目覚め〜」

　脈絡もなく跳ね起きたスィールにさして驚くことなく、プロトは待ち望んでいたように言葉を投げた。

　スィールは辺りを見回してから改めてプロトを見、にかっと笑った。

「おはよーございますっ。今日も目覚めはスッキリっス〜♪」

「おはよー。寝たの３時？　何してたのさ」

　５時間を逆計算して訊ねる。そんなプロトの手には雑巾が握られていた。

「浮気してたのだ。………プロト、掃除してるの？」

「暇だったんだもん。スィールは寝てるし、カイトは帰ってこないし」

　浮気というスィールの言葉を、完璧にプロトは無視した。スィールもそんなプロトを責めることはなく、ただ部屋の中を見渡す。確かに、カイトの姿は見えない。

「？　カイト、いつものトレーニング？　帰ってこないの？」

「………迷子かな？」

　肯定の返事だ。いつもなら１時間程度で戻ってくるのに、もうすぐ２時間になる。

　スィールはそれを聞いて考え込む。カイトを探しに行くか、プロトと部屋中掃除するか。

　プロトも考える。スィールになにか言うことがあったはず。過去を思い出してみる。えーと………。

「そうだ。スィールにお客さんが来て………」

「カイトが帰ってきた！」

　プロトの言葉を遮って、カイトの気配を感じたスィールは部屋の戸を開けた。

「お前は犬か」

　紛れもなく、そこに立っていたのはカイトだった。

「………なんかあった？」

　スィールが首を傾げたのは、カイトの着ている服がいつになく汚れていたから。

「ああ、なんか、昨日の占い師？　が外で絡まれてて」

　いくら面倒くさがり屋のカイトでも、そんな場面に出くわして見逃すなんて事はできなかった。

　服の汚れは助けるために闘った結果だ。

「だから仲間の一人ぐらいつくれって言ったのに」

「………いつ言ったんだそんなこと」

　もちろん昨夜だ。しかし当たり前だが、カイトはそんな経緯は知らない。

「そのフィメルアがね！」

　プロトが会話に混ざる。早く言っておかないと忘れそうだ。

「お先に〜。わけてあげないよーって、スィールに」

「たいへんだ！　プロト、カイト！　今すぐ出発しなきゃ！」

　頭の回転が早いスィールは、それだけで状況を把握、迅速の決断をだした。そして言い終わるや否や、バッと服を脱ぎ、ハタと動きが止まる。それからまた、そろそろとそれを着直した。

「服、買わなきゃ！」

　宿の服だということを忘れていた。昨日までの服はもう捨てられているだろう。

「忙しい奴だな、お前」

　苦笑混じりのカイト。プロトはお金を引っ張り出した。

　早くしないとチェックアウトの時間になるということもあって、早々と呉服屋へ向かい、自分好みの服をレクチャーする。

　それぞれが気に入った服を購入するまで、結局１時間はかかった。チェックアウトぎりぎりの時間だ。

　ほとんど全速疾走で走り、新しい服を早速汗で濡らしながらくぐった宿屋の戸の先には、もう新しい客が２人ほど立っていた。

「ああっ！　ごめんなさい。今すぐ荷物持ってきます」

　まだ時間にはなっていなかったが、カウンター前に立っていた客からじろりと睨まれ、慌てて部屋へ向かおうとするスィール達を、その客の一人が止めた。

「プロト＝ティル、カイト＝ルベルですね」

　不意に名前を呼ばれたプロトとカイトは訝しげな顔をする。知らない顔だ。

「あなた方に会いたいという方からの依頼できました」

　カウンターにいた二人のうち、長い髪を後ろで一つに束ねた長身の女性はプロトに、割と体格の良い、腰から斧を下げている男性はカイトの前に立つ。

　プロトとカイトは顔を見合わせてから、立ちはだかるように立っている二人の先にいるスィールを見た。

「きみたち、アルヴァス？」

　『アルヴァス』とは、いわゆる何でも屋である。報酬次第で子守りから殺人まで、言葉の通りなんでもこなす、賛否両論を受けている組織だ。

　明らかにスィールより年上そうな彼らに、スィールはタメ語で話しかけた。今度はプロト達の前にいる二人が不機嫌そうな顔をする。

「何故わかったのですか？」

　しかしそれも一瞬で、すぐに笑顔に変わる女性。

「何故もなにも、『依頼で』って言ったじゃん。ひとついい？　いきなり知らない人から、しかも、誰なのかも分からない人に、会いたいそうですから来てくださいって言われたって、誰も行かないよ？」

　まるで小さい子供を諭すように言うスィールの口調に、営業用スマイルも凍りついた。

「ク、クライアントの秘密を守るのも、仕事のうちよ」

　動揺した彼女は、威厳を保つための敬語を使うことすら忘れている。

「正体を明かせないほどヤバイ人からの依頼なの？　それは嫌だなあ」

　プロトのセリフに、女は黙ってしまった。かわりに、今まで黙ってカイトを睨みつけていた男が言葉を発する。

「そいつの依頼人はどうか知らないが、俺の依頼人はズィヴラ国、カイト＝ルベルを連れて来いとの命だ」

「………国、から？」

　個人ではなく、国単位、しかも母国からの呼び出しに、カイトの目つきがきつくなるが、もちろんハナから信じたわけではなく、そのまま無言を決め込んだ。

　話すタイミングを伺って、女も口を開く。

「わたしのクライアントは、あなたのお姉さんよ。心配していたわ」

「姉？」

「姉？」

　先に反応したのは何故かスィール。プロトも首を傾げた。

「え？　えっ？」

　思わぬ反応が返ってきて、うろたえる彼女。

「お取り込み中悪いがねえ」

　気付くと、女将が腰に手を当ててこちらの様子を伺っていた。時計を見れば、もうチェックアウトの時間は過ぎている。

「おばちゃん！　ごめんなさい！　今すぐ荷物持ってくるから待ってて下さい！　プロト、カイト、チェックアウトだけしよう？　迷惑かけられないよ」

「うん。いいよね？　お姉さん、お兄さん」

　プロトが言うと、仕様がないといった顔をして、女も男も道をあけた。

　部屋に着き、借りていた服をベッドの上に置き、「ありがとうございました」のメモの上に、少し上乗せした３人分の宿代を置く。

「よし！　逃げるぞ！」

　もちろん、戻る気はさらさら無かった。

「追われてるワケじゃないけどね」

　つっこみを入れるのはプロト。彼もまた、最初からアルヴァスの人たちについていく気などなかった。

　静かに戸を閉めて、階段とは反対側の、突き当たりの窓に手をつくスィール。なんだかわくわくするのは気のせいではない。

「プロト、お願い」

「はーい。オープン。リンク、コール、フライ。ラン、スタートっ」

　魔法を開始すると、スィールたちの体がふわりと宙に浮いた。窓から身を乗り出して、きょろきょろと周りを見回し、誰もいない事を確認してから軽やかに外に飛び出す。

「カイト、ズィヴラ国からの呼びだし、気になる？」

　静かに着地して、さらに静かなカイトを振り返るプロト。アルヴァスの男の人の依頼内容を聞いてから、ずっと黙ったままだ。

「あ、ならヘーキだよ。だって、次の目的地はズィヴラ国だから」

　元気な、スィールの声が、まるで始まりを告げたかのようだった。



　そう―――。



　そこから始めるの。




　全てを。

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