ズィヴラ国を目指して南へ５日。

　アルヴァスの二人は待てど暮らせど（待ってはいないが）追っては来ず、そんなことがあった事すら忘れてしまった頃に、大陸を二つに割るように流れる巨大な川に出くわした。「あー。橋の位置ぜんっぜん考えないで来ちゃった」

　まるで確信犯のように、スィールのセリフ。

　上流、下流共に橋は欠片も見えず、川の向こう岸は遙か遠い。

「普通に道沿いに来れば、こんな事にはならかったのにな」

　カイトの声には『怒り』よりも『呆れ』が多く含まれていた。

　フォウを出てすぐは、ちゃんと道なりを歩いていた気がするが、いつのまに道無き道を歩いているのかいつも不思議でたまらない。アルヴァスの二人も追って来れない筈である。「それじゃ、まず、水浴びしよーか」

「さんせーえ。５日ぶりのお風呂ー」

　スィールの提案に少しも異議を唱えないプロトは、早速荷物を下ろし始めた。

　脱ぎ始めるスィール。男のストリップなど見ていても実に楽しくない。カイトは木陰に座り、二人が遊んでる間、体を休めることにした。

「顔ぐらい洗ったら？」

　そんなカイトを見て、プロトが勧めた。この３人は、旅の上での貴重な水を顔を洗うことには使わない。というか、必要最小限の飲む分しか持ち歩かない。なるべく軽く旅をしたいという３人の同調した意見からだった。最悪、魔法で出すことはできるが、疲れるから嫌だと言ったのは、それを作れるプロトではなく、何故かスィールだった。

「あまり奥に行くなよ。流されるぞ」

「はーい」

　カイトの側に荷物を置いて、スィールに続き、プロトも川へ飛び込んだ。川の水は思ったよりも冷たくて、少し筋肉が緊張するが、それも少しば
かりで、体はすぐに水の冷たさに慣れる。

「プロト、今日のごはんだ！」

「ええーっ？」

　イキイキと指すのは川を泳ぐ魚。素手で捕まえるつもりかこいつらは。

　カイトはといえば、絶えることない川からの風に吹かれて、すこし睡魔が襲ってきた。どうせ何時間かはここにいるだろうし、魔物の気配もない。眠ってしまってもいいかと目を閉じると、上から声が降ってきた。

「こんなところに来るなんて、よほどの暇人か、バカだよね」

　少しも感じなかった気配に驚き、思わず身構えるカイト。デュルフの柄に手をつき、上を見上げると、緑に隠れて、少年の姿が見えた。

「のんき」

　悠々と川で泳ぐ二人を見て、呆れたように吐き捨てると、臆しもせずに木から飛び降りた。身構えたままのカイトの目の前に、衝撃がまるでないくらいの静かさで着地すると同時に、少年は唱えた。

「オープン！」

　声に反応して、少年の周りに浮かび出る黒透明のＣＧ。

　―――これは、もしかしなくとも。

「コール、リンク。ウィンド！」

　ゴォオオオオオオ、と唸る風の塊が、川にいる２人を襲う。

　風が通った道筋どおりに、地面に生える草がなくなってゆく。そのスピードは速く、息つく間にそれは川へ到着した。

「スィール！　プロト！」

　カイトが叫んだ頃には、風の力で流れの法則を変えられた水が、元通りにもどろうとしていた所だった。

　２人の姿は、ない。

　慌ててカイトが駆け出そうとすると、空から水滴が落ちてきた。天気は良いのに何故だろうと見上げると、まだ全身ずぶ濡れのスィールとプロトが降りてくる。間一髪、魔法で空へ逃げたようだ。

「久しぶり」

「刺激的な挨拶ありがとう」

　親密そうな少年の挨拶に、プロトの返答には棘があった。表情は険しい。スィールは悲しい眼で、黙ったまま荷物からタオルを取り出した。

　カイトはやっと、振り向いた少年の顔の確認ができた。そして言葉を失うことになる。

　似ているのだ。プロトに。顔も、身長も。歳も同じ頃だろう。

「それ、新しいひと？　懲りないね。スィール」

「………そんなんじゃないよ。テクト」

　スィールの声にいつもの元気はない。

　プロトは、少年―――テクトに怒りを露わにしている。カイトのことを『それ』と呼んだのが気にくわない。

「そんなつもりはなくても、そうなるんだよ。剣士でしょ？　その人も」

「大丈夫だよ」

「根拠なく、よく言えるね」

　プロトも、テクトも、お互い魔法を展開し続けている。カイトはデュルフをまだ抜いてはいない。スィールもプロトも、いままで見たことのない態度と表情でテクトに対峙しているが、カイトにはそんなに危険な存在にはどうしても感じられなかった。

「ごめんね。テクト」

「フライト！」

　謝るスィールのセリフに被って、プロトは魔法を発動した。

　スィールとカイト、そして荷物を担いで、空へと疾ける。

　そしてそのまま、川の方向へとんだ。

　テクトは何をするわけでもなく、ただ、そんな３人をただ見つめる。

「ちょ………プロト?!」

　いきなりの浮遊感に、一瞬何が起こったのか事態を把握できなかったカイトが、川の真上にきた頃にようやく我に返る。

「目、瞑ってカイト。ちょっと気持ち悪くなるけど、我慢してね」

「え？」

「ワープ！」

　プロトが魔法を発動させると同時に、まるで空気が歪んだような慣れない感覚が身体に響く。本当に気持ち悪い。意識だけがここにあって、身体だけがどこにも無いような、一瞬の。

　永い、一瞬だったが。

「カイト、カイト、ヘーキ？」

「── ？」

　スィールは、気持ち悪そうに顔を青くするカイトの顔をのぞき込んだ。カイトには無茶な行為だったろうか？先程の、

「── ここ、ドコだ？」

　瞬間移動。

　カイトは辺りを見回す。さっきまで川の上を飛んでいた筈なのに、ここは森の中。あんなに巨大な川の面影などどこにもない。

　プロトはスィールの腕の中でぐったりしていた。顔色は悪く、顔が紅潮している。すこし息づかいが荒い―――熱があるようだ。

「こうなるから、普段は使わないようにしてるんだ。『ワープ』」

　果たして、なぜ先刻は、その『普段は使わないワープ』を使わなければならない状況だったのだろうか。

　カイトにはまだ、それを知る術はなかった。

「プロトのことだから、ズィヴラ国目指してくれたと思ったけど………これって、アクシア？」

「そう、みたいだな」

　ズィヴラ国の北東にある森のほぼ中心部にある、樹齢千年を超える巨木。それが『アクシア』と呼ばれている。

　いまでも枯れることなく生き続けているアクシア一帯は聖地とされ、ズィヴラ国管理のもと、誰も立ち入ることを許されていない場所だ。

「カイトっ、見てみて！　あそこ、小屋がある」

「え？」

　カイトはスィールが指差す方向を見た。

　アクシアの育ちすぎた幹と、生い茂る緑の狭間。

「………どこにあんだよ？」

「あそこあそこ！　ほら、葉っぱに隠れてる。アクシアに護られてるみたいに」

「護られてる？」

　それは、アクシアに呑まれるように、もうすぐ潰されるかのように、けれども、スィールの言うとおり、護られているように、そこにあった。

　立ち入り禁止区域に人が住む目的で建てられる小屋。違法者がいるのだろうか。

「こうなるってことは、この小屋って、アクシアが小っちゃいころからあったってコトだよねぇ？」

「いや、それならとっくに潰れてんだろ………」

「そうかな。まいいや。行こうよカイト、プロト寝せたいし」

　スィールの見る方角は小屋向き。カイトは小屋の様子を伺った。

「行くって、あの小屋に？　ヘーキなのか？」

「見回りに来た人に見つかっちゃう？」

「いや、そうじゃなくて………」

　見た限りでは傷んではいないようだが、もし本当に千年前の小屋だったら、入れないのではないかと思ったカイトの言葉は、スィールを止めるには至らなかった。

　アクシアの体に相応しい大きな根を越えながら、小屋の目の前へ。外観は悪くはない。中の様子は伺えないが、人の気配はないようだった。

「だれかいますかー？」

　言いながら、戸に手を掛けるスィール。

　ぐ、と力を入れて、戸を開けようとした瞬間、寒気が体を走った。

「下がれッ！」

　カイトが叫ぶ。

「うわっ！」

　身をねじって『それ』を避けるが、プロトを抱えている分反応が遅れた。左肩の服が裂け、血がにじむ。

「スィール！」

「だっ、大丈夫！」

　ざわざわとアクシアが風に揺れた。

「カイト！　右っ」

　ガギイン！

　金属音が鳴った。

　デュルフが受け止めていたのは、大きな三日月型の鎌。カイトの身長の半分くらいはあるように見えた。

　その鎌を持っていたのは、背丈が鎌の刃くらいの小さな女の子。

「なっ?!」

　年端もいかない少女の攻撃と分かって、少し動揺するカイト。しかし、少女の力にしては、こんなにもデュルフが動かないのはおかしい。

　暫く見合った後、少女は跳んで身を翻し、間合いを取って、地表に露出しているアクシアの根の上に着地した。

「きみは………」

「スィール！　話してる暇ないぞ！　来る！」

　まるで風。

　あっという間に間合いが詰まり、鎌の光がスィールを襲う。あまりの早さに、カイトの反応もついて行けず、プロトを抱えた丸腰のスィールは逃げるすべなく鎌の餌食になるかと思われた。

　ギイン！

「?!」

　金属音がした。

　少女はすぐに飛び退いて、体勢を立て直す。

　スィールに駆け寄りながらカイトが見たもの。それはスィールの手の中で光を放つ剣。

　でもそれは一瞬で、もうそれはスィールの手から消えていた。

「………………」

　感情を持たない人形のように無表情な少女は、目標をカイトに変えた。

　疾い！

　デュルフを構え直そうとしたカイトを、何かが押した。

　ザシュ！

　肉の切れる音。そして、どさりという音が聞こえた。

「っスィール！」

　倒れたスィールに駆け寄る間も無いまま、少女がまた翔る。

　カイトは少女を鋭く睨み、デュルフを構えて、近づく少女へ逆に突っ込んだ。

「かまってる暇無ぇ！」

　鎌の切っ先をすんででかわし、そのまま懐へ入り込み、デュルフを上斜めへ払う。

　ザン！

　思ったより手応えはなかったが、少女の体は胴から二つに割れた。

　斬られた少女は煙のようにフワリと消える。

　しかしそれを確認せぬまま、カイトはスィールへ駆け寄る。プロトはスィールが元いた場所に横たわっている。

「やっぱり、ひとじゃ、なかった………」

　カイトの代わりにスィールがそれを見ていた。

　スィールは起きあがろうとしてみるが、やけに体に力が入らない。この感覚も久しぶりだ。

「しくじった、なあ。ワープの後の、プロトって、魔法、使えないんだよね〜」

　つらそうに言葉を切りながら、けれども緊張感はないままのスィールの声。代わりのようにカイトが焦っていた。

　横腹がざっくりと。

　それは死に至るに充分な出血量だった。

「ああ、ごめんねカイト。まえに、カイトが死にそうになったとき、もっと早くに回復、してればよかったね」

　あまりにも痛く、苦しい。

　あのとき、同じ状況にいたカイトの前で、スィールはプロトとのうのうと論議し、もしかしたら笑ってもいたかもしれない。無神経だった。プロトの全能な魔法のおかげで、『死』というものから遠い場所にいたから。

「いいから、しゃべるな！　その辺にズィヴラ国の衛兵がいるはずだから、すぐに医者を連れてくるから！　ああ、術士でもいい」

「カイトは、やさしいね………」

「スィール！」

　アクシアが揺れた。

　風はない。

　そう、それは、自分の意志のように。


　―――カイト―――。


　耳元で、名を呼ばれた気が、した。

　アクシアが光を放ち、辺りが白に包まれる。

　暖かい光に照らされて、痛みが和らいでいくのを感じた。

　魔法で怪我を治療されている感じと似ている。

　そうか、これは魔法なんだ。

　まどろみの中にいるような。

　寝起きの、半覚醒のような。


　―――気持ちが―――いい―――。

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