「あっ、紅零様だ、母様、紅零様が帰ってきたよ」
はしゃぐ葉月。
朝日と共に紅零は村へと戻ってきた。
「ただいまもどりました」
村長と嘉穂、葉月が村の外れで待っていた。
「ずっと待っていてくれたのですか」
くっくと長が笑う。
「いや、今来たばかりでございますよ。ちょうど来る頃合いと思うておりました」
あいかわらず、不思議な老人だ。
「紅零様、お怪我はありませんか」
「えぇ、大丈夫です。・・・・それよりあなたこそ寝てないのではないのですか」
「え、あ・・・・そんなことないですよ」
そうは言うものの、嘉穂の目は真っ赤に充血していた。
「母様ね、ずっとずっと、起きてたんだよ」
「こら、葉月っ」
きゃっきゃっと笑うこの母娘を紅零は深い慈愛に満ちた眼差しで見守っていた。
「どうかされましたかな」
長に声をかけられ、紅零は我にかえった。
「いえ・・・何でもないですよ」
「そうでございますか。・・・・して首尾の方は」
紅零が戻ってきたのだから、鬼は倒されたのだろうが、元鬼殺しのこの老人はどうしてもその戦いが気になっていた。
「信じられないような轟音と光がしておりましたゆえ、心配しておりました」
見れば二人も紅零の方を見ている。
「とりあえず、私が行って正解だったかもしれませんね」
かっかと長が笑う。
「そうでございましたか。この老いぼれでは到底敵わない相手だったのでしょうなぁ」
「あなたの現役時代がわからないからどうこう言えませんよ」
紅零も微笑む。
「でも・・・・本当に・・・・無事でなによりでした」
ほっとしたのか嘉穂は涙を流していた。
はらはらと、はらはらと。
「母様、どうしたの」
「なんでもない、なんでもないのよ・・・」
それでも止め処なく涙は流れ、嘉穂はしゃがんで顔を覆ってしまった。
紅零も同じようにしゃがんで母娘二人を抱きしめ言う。
「待っていてくれて・・・・ありがとうございます」
次の日の早朝、日の出と共に紅零は長の家で目覚めた。
昨日は何かと色々あり、長の家に泊めてもらったのだ。
長を起こさないように、紅零は静かに家屋を出た。
すがすがしい朝。
実に出立に相応しい。
形だけの荷物を持ち、紅零は村を後にした。
「挨拶もなしにいかれるのですかな」
村外れの樹の影から、気取った姿勢の長が現れた。
妙に姿勢が決まっている。
「挨拶は昨日皆にすませたでしょう・・・それに、あなたは寝てたんじゃ」
ほっほと長は笑った。
「なぁに、田を抜け、畑を抜ければここまでそんなに時間はかからんものですよ」
そんなものですか、と言おうとした瞬間、紅零は人の気配に気付いて後ろを振り向いた。
「嘉穂殿、それに葉月も・・・・」
「紅零様、ほんとうに行っちゃうの」
「どうして・・・・ここが」
「私がこの二人を起こしてきたのですよ、もっとも寝ていたのは葉月だけでしたがな」
にっと笑う長の顔は、実に爽やかですがすがしい。
「紅零様・・・・・・できるならずっとこの村にいて欲しかった」
叶わない願いとはわかっていたものの、嘉穂は言わずにはいられなかった。
「それは・・・・・・」
「いいんです、紅零様。ただ紅零様の困った顔が見たかっただけですから」
気丈に振舞ってはいるが、また涙が零れる。
「嘉穂さん・・・・あなたは笑っている顔が一番ですよ」
そっと嘉穂を抱きしめながら紅零は言った。
「笑って見送ってください」
次に嘉穂が顔を上げたとき、もう涙はなかった。
「葉月、お母さんに迷惑をかけては駄目ですよ」
葉月の目線にまでしゃがみながら、紅零は言う。
「うん、葉月、母様を助けるもん。紅零様みたいに母様を泣かせたりなんかしないんだから」
「はは、困ったな」
笑いながら紅零は立ち上がった。
「それと・・・・長。二人を頼みます」
「なぁに、まかせておけ。それにこの子らは私の身内じゃて」
「という事は・・・・・・・・・」
ほっほと笑う。
「なぁに、息子の仇は紅零様、あなたが討ってくれたではないですか」
そう言う長の顔は、心からの笑顔だった。
「それと・・・・もし紅陽炎に会ったら言うて下され」
「・・・・会う事などきっとないですよ」
「いやいや、何があるか人生わかりませぬゆえ」
そう言うと、長は真面目な顔で言った。
「これが貴方の目指した道だったのですか、と」
・・・・・・・・・。
「はっはっは、そう考え込まずに。ただ言っていただければいいのですから」
「わかりました、会えたなら伝えましょう」
「ありがとう」
長の眼にもいつしか涙が浮かんでいた。
「貴方様が再び来訪されること、村人一同願っております」
紅零は頷いた。
そして山へと続く一本道を踏み出す。
「紅零様っ」
紅零は振り返らなかった。
突然、突風が吹き砂埃が舞う。
その場の三人は、とっさに目をつぶった。
次に目を開けたとき・・・・・。
あの風のような青年の姿は何処にもなかった。