ここはどこだ。
爆発の衝撃から目を開けると、レイジは薄緑の空間にいた。ゆらゆら蠢く空間が薄緑から緑へ、突然黄色へ、青へ、赤へ、紅へ、次々と変化している。
コックピットの中ではないらしい。
「死んだ・・・・・のか」
痛みすら感じないとは。レイジは少し死というものに感謝した。
蠢く空間の中を、ゆっくりとレイジは歩き始めた。当てなどあるわけがない。ただ、レイジは歩いていた。
「！」
数歩歩くと、空間の端に見覚えのあるものが浮かんでいる。
「ナユタ・・・・・なのか？」
とりあえずの目標が見つかり、レイジは一歩を踏み出した。
「！？」
踏み出した瞬間、レイジの目の前にナユタがあった。目視する限りではかなり遠くだったはずだ。それが目の前にある。
「・・・・・」
この際、考えるのはよそう。レイジはナユタを掴もうとした。
「貴方は何をしているのですか」
掴もうとした瞬間、何処からとも無く声が聞こえた。およそ自分が聞いたことの無い美しい声だ。
辺りを見渡すが、誰もいない。
ふっとナユタに視線を動かすと、一人の女性がナユタを掴んで立っていた。
端正な顔つきに長い黒髪をなびかせ、空間と同じくゆらゆら色の変わるローブを纏っている。だが、それよりレイジが気になったのはその瞳だった。まさに真紅と呼ぶのがふさわしいだろう。自分も赤眼だが、ここまで真紅なのは見たことがないし、存在することも知らない。
「あなたは、何故これを掴もうとするのですか？」
「・・・・・・・わかりません」
女性の問いにレイジは首を振り、答えた。
「俺は・・・・、何もかわかりません」
「貴方は昨日、このナユタに誓いましたね。ルイディーンを守りたいと。でも実際はどうですか？あなたは傍にいる人すら守れなかった」
「ハルカッ。そうだ、ハルカはどうなったんだッ？」
思考の中に突然クリアなイメージが流れ込んでくる。だが、それもレイジに残酷な現実を突きつけるだけだった。
「俺が・・・・殺したようなものだ」
レイジはどうにか声を絞り出す。だが、はたして声になっていたかさえあやしい。
「貴方のせいです」
女性は何の同情も無く言い切った。
「貴方のせいで、こんなことになったのです」
睨み付けるわけでもなく、哀れむわけでもなく、女性は無感情の表情で淡々と続ける。
「貴方には力があった。いくらでもそれを解き放つことが出来たのに。彼女にだって言われたでしょう。あなたはもっと力があるのだと」
『レイジはもっと力があるんだよ』
脳裏に刻まれたその言葉が、ぐさりと心臓に突き刺さる。
「でも貴方は否定した。自分にそんな力などないと。そう、彼女のために貴方はその力を抑えていた」
「そんな・・・。元々俺にはそんな」
ビュンと空間が反転し、また反転したとき目の前に今いた空間とは違う空間が現れた。
「ここは・・・・」
そこは、レイジとハルカが幼い頃通っていた学校のグラウンドだった。校舎があって、ジャングルジムがあって、大きな木があった。
どうやら体育か何かのようで、子供たちが短距離走をしている。
「あれは・・・、俺？」
自分と、隣のレーンにハルカの姿が見える。
よーい、どんっ。でスタートした子供たちは一生懸命ゴールへと向かい走った。その中で、一際リードしていたのがレイジとハルカだ。
結果から言えば、レイジが体一つ分早くゴールした。
思い出した・・・、初めてハルカに勝った日のことだ。
このあと、ハルカはレイジに負けたことが悔しくて家に帰ってからも一人で走りこんでいた。それはもう、子供とは思えないほどの必死さで。
「負けん気だけは強かったもんな・・・」
悲しげにレイジは笑った。
このあと確かハルカは風邪をひいたはずだ。いや、転んで血を出したっけか？
正解は両方で、更に言えば傷口から性質の悪いばい菌が入ったのだった。おかげでハルカは２週間ほど寝込む羽目になる。
「この時から、貴方は変わりました」
あの頃の思考がレイジの頭の中に流れてきた。
ハルカに無理をさせたのは自分のせいだ。自分がハルカより頑張らなければこんなことにはならなかった。だったら、ハルカが元気になったら、自分はハルカより少し後ろを行こう。置いていかれないくらい後ろ。だけど、決してハルカが無理しない距離を。
「忘れていたでしょう？こんなこと」
レイジは頷いた。
「でも、貴方の深層にはしっかりとこれが刻まれてしまった」
「じゃあ・・・、ムラクモの挙動が落ちたのは」
「貴方の無意識が拒んだのです」
何てことだ。ハルカに無理をさせないために誓ったことがハルカを。
レイジは再び自責の念に襲われた。今度のはさっきよりもひどい。考えがまとまってきた分、ザクザクと精神を刻まれるようだった。
「昔・・・・・・」
そんなレイジに、女性は静かにしかし複雑な感情を込めて言った。
「昔、貴方と同じような姉がいました。その姉は妹を立たせるために自分の力を押さえ込んでいたのです。しかし、その結果は残酷なものとなりました。能力が上と見られた妹のほうが実験体にされたのです」
唇をかみ締め、女性は続けた。
「全ての歯車が狂い始め、全てが終わってしまった。結局、あの子は・・・・・」
女性はそこで言葉を切った。話しすぎたと思ったらしい。
「貴方は・・・・・まだ間に合います」
「え・・・」
言葉の意味をレイジは理解しかねた。
「彼女はまだ生きています。と言っても危険な状況に変わりはありませんが」
ビジョンが現れる。
星の海にコックピットの部分を内包した、丸く黄色い球体が浮かんでいた。
「これは・・・」
「アタノール機関の全てのエネルギーを精霊が一点に集中させたものです」
揺ら揺らと頼りなく漂うそれは、とても儚く見えた。
「この輝きは、彼女自身の命とアタノール、そして精霊が交じり合ったもの。純粋で、そして壊れやすい。下手をすれば触れただけで泡がはじけるように消えてしまうでしょう。そうすれば、中のコックピットも・・・」
皆まで女性は言わなかった。
「どうすれば・・・」
「一瞬で何処かの艦に運びなさい、あなたの手で」
一瞬、そんな瞬間移動のようなものが可能なわけが無い。
「俺には・・・」
「まだ、言わせる気ですか？あなたは目覚めなければいけないのです。今ある命は彼女のおかげと知りなさい。そして彼女を救うのもまたあなたの使命です」
「目覚める・・・・・？」
「そう、あなたにならできるはず。紅の血を引くあなたになら」
「紅の血？」
ドクンと心臓がなった。
体の何処かで鎖が壊れるような感じがする。
「紅の血、再びそれが目覚めるときが来たのです」
ドクン、また心臓がなった。
体が熱い。
「解き放ちなさい、その心を」
ドクン、ドクン、ドクン。
何か、体の内側から湧いてくるようなものがある。今までとは違う血が通っているかのようだ。
体の奥底に縛られた何かが次々と解き放たれてゆく。
レイジ自身は気づいていなかったが、その瞳は目の前の女性と同じ真紅の輝きを帯びてきていた。
「ナユタの力をあなたに貸しましょう。まだ、１０００年の想いではあの子を・・・。
いえ、なんでもないです。でもきっと貴方に答えてくれるはず。さぁ、この戦いを終わらせなさい。それは無駄なことなのかもしれません。いくら倒したところでシャオダーはこの星を蹂躙しようとするでしょう。そういう存在なのです。あれは」
レイジの瞳は完全なる真紅へと変貌していた。
「でも今は、目の前の勝利を掴みなさい」
そう言って、女性はレイジの目の前にナユタを差し出した。ガシリとレイジはそれを掴む。小さい頃譲り受けたときとは比べ物にならないくらいしっかりと握り締めた。
女性はそんなレイジの真紅の瞳を同じく真紅の瞳で見つめている。
「あなたとは、他人じゃない気がします」
「そうなのかもしれません。いえ・・・きっとそうなのでしょう」
女性は軽く頷き言った。
「さぁ、行きなさい」
女性に背を向け歩きだしたレイジは、数歩足を進めると振向き言った。
「・・・あなたに会えて光栄でした。リューン＝ダモドレッド」
確信に満ちたようにレイジが微笑むと、何処からともなく吹いてきた風にかき消されるようにその姿はゆらゆら蠢く空間に消えていく。
レイジの消えたところをしばし眺めると、リューン＝ダモドレッドは微笑した。
「勘がいいですね、子孫さん」
ふっと目を開けるとそこはムラクモのコックピットだった。
―レイジ！無事か。
武尊の声がレイジの頭全体にがんがん響く。
「武尊、そんなに叫ばなくてもちゃんと聞こえてる」
だが、その声は抑揚なく極めて冷静だった。
―・・・・・お主、本当にレイジか？
つい一分前の彼は己を責め続け、敵に撃たれたというのに。
「あぁ、俺、覚醒バージョンってやつ」
ニッと笑ってみせる。
いつものレイジだと思った武尊は、しかしその真紅の瞳から目が離せない。
―お主、その目は。
レイジが何か答えようとした瞬間ピッと言う音と共に、通信が入った。
『アマナギ機、応答願います。アマナギ機応答をっ』
「こちらムラクモ、アマナギ機。アマテラスですか？」
『やっと繋がった。よかった、生きてたんだな。よし今、司令の方に繋ぐから』
オペレータはそう言って大画面へと通信回線を繋ぐ。
アマテラスの大画面にレイジの姿が映された。
「生きていたか、レイジ」
『心配をおかけしました、司令。それにみなさん』
「まったく冷や冷やさせおって・・・・・！」
ナハトは一瞬自らの目を疑った。いや、老眼になろうが見間違うはずが無い。レイジの瞳が赤から真紅へと変化している。
「お前さん・・・、その目は」
レオもアマテラスのクルーも同じくその瞳から目が離せなかった。
『そんなことより、聞いてください。ハルカはまだ生きています』
「なんじゃと！」
『アマテラスで受け入れ態勢が取れますか？』
「もちろんだ」
レオの言葉にレイジは安堵の表情を浮かべた。
「よかった。それじゃ、すぐ行きますから。よろしくお願いします」
プツリと通信は切れた。同時にモニターに移っていた真紅の繭に変化が現れる。
パキパキと繭を割りながら、その身をあらわし始めるムラクモ。だが、繭に包まれる前とその様子は大分違っていた。
パチパチと紅い稲妻を纏わせる機体の色は、それまでの黒と赤を基調としたものではなく真紅に染まり、所々の装甲が大きく変化しより凶暴なそれに変わっている。ナハトご自慢のヘルメスの翼も同じく真紅に染まり、長さも３倍ほど大きくなっていた。
「なんと・・・・・・」
その姿に、ナハトは驚愕の表情を浮かべた。ムラクモが進化したと言うのか。
「ムラクモから高エーテル反応を確認しました」
オペレータの声と共にエーテル値がモニターに映し出される。
「・・・信じられん。テスラ１が変成するほどのこの値は」
モニターに映し出された数値はナハトが今までに見たこともないようなものだった。
その数値を出した機体は、翼を大きく広げると瞬間移動したかのように一瞬で近くにあった黄色い球体の前に飛んだ。
「速い・・・」
もはやヘルメスがどうのというレベルではなかった。
進化したムラクモは黄色い球体を壊れ物でも扱うかのようにそっと手で包んだ。
「ハルカ」
レイジはそう呟くと、また一瞬でアマテラスの前に移動した。
「こちら、アマナギ機。受け入れよろしくお願いします」
『了解した』
すぐさま近くのハッチが開く。
レイジのムラクモは、掌にそっと包んでいた黄色い球体をハッチの中へと置いた。ハッチが閉まる。安全だとわかったのか黄色い球体ははじけ、コックピットが開かれた。中のハルカは眠ったかのように眼を開けない。医療班が駆けつけたのはそれからすぐのことだった。
『司令、俺・・・この戦いを終わらせてきます。出来る気がするんです』
ハルカをアマテラスの中に入れ、レイジは回線を繋いだ。
「何を言っている、レイジ。一人でどうにかなる問題ではないだろう」
さすがのレオもこれには反対した。だが、隣のナハトがそれを制する。
「先生・・・・・・」
「いいではないか、レオ。あれが死にに行く人間の目に見えるか？」
レイジの瞳は更に真紅の度合いを増したように輝いていた。いや、光すら飲み込むほど深い紅になっているようにも見える。
「・・・死ぬなよ」
『了解しました』
レイジは敬礼すると、ムラクモのアタノール機関を最大限に解き放つ。風など吹かない宇宙空間に風が舞ったようだった。
「あのような瞳を持つものを、わしらは一人だけ知っているな」
その場にいた全員が頷いたように見えた。
「レッドアイズ。真紅の瞳の聖女。紅蓮を纏う者。紅い魔女。紅龍の使い。呼び名は様々あるが、どれも彼女の真紅の瞳にちなんでつけられたものじゃ。そう、光暦１０００年代を翔け、数多の伝説に語られる大魔術師リューン＝ダモドレッド。その力は山をたやすく吹き飛ばし、空を裂き、宇宙すら飛翔したと言う」
―リューン・・・・ダモドレッド。
何処からとも無く澄んだ声が聞こえてくる。
それと同時にアマテラスのメイン画面に美しい精霊の姿が映し出された。
「・・・・天照？」
口々に皆がその名を言う。
それは伝承に聞く大精霊の姿にそっくりだ。
アマテラスのＯＳ天照はここ数百年、何の動きも示さなかった。それは、かつてヤシマ国がアマテラスを作るときに、無理矢理に大精霊天照をＯＳとして使ったからだと言われている。正当な契約を受けられなかった天照はＯＳとしての基本性能を残し、その自我は何処かへ行ってしまったのだ。それでも優秀なＯＳであることに変わりは無く、戦争後は連合に接収され、今でも宇宙艦隊の旗艦として任についている。
―この感じ・・・・、懐かしい。
その天照が喋ったのだから、誰もが驚くのも無理はない。
「リューン＝ダモドレッドをご存知なのか？」
しかし、それよりももっと驚いたことは天照がリューンの事を知っているということだ。
―彼女と私は友達、とても大切な友達でした。
感慨深げに天照は語った。
―彼女の末裔は、今はヤシマにいるのですね。
モニターに紅い機体が映し出される。
―レイジ＝アマナギ。リューンの意志を告ぐもの。彼はきっと世界で一番新しい伝説となるでしょう。
ムラクモが大きく羽ばたく。一瞬にしてその姿は見えなくなり、代わりにシャオダーの戦列が次々と崩されていった。あまりの速さに、機体色である真紅しか見えないほどだ。
―まるで、昔日の彼女のよう。そう、風と呼ばれたあの頃のリューンにそっくり・・・・。
漆黒のソラを切り裂く紅い閃光。それは時にそよ風のように、時に嵐のようにその激しさを変えながらシャオダーの群れを蹂躙していく。
手に光刃を持てば、その刃は７つの枝に分かれた奇妙な剣となり、一振りで数千単位のシャオダーを消し去る。また、ヘルメスを輝かせ群れの中に入れば、深紅の翼で触れるもの全てを浄化していく。
「紅い風が舞っているみたい・・・・」
一人のオペレータが呟いた。
史上最大規模の宇宙戦はこうして終わりを告げる。
月面基地テルミドール。ＡＦからヒョイッと飛び降りる影があった。しかし、その影は見事着地に失敗する。堤防から落ちたときは大丈夫だったのに。ふとその影は思った。
―消耗しているのに無理をするからだ。
ふわふわと武尊が近寄ってくる。
「ほっといてくれ・・・」
言われたレイジはしかし、そのまま大の字になりムラクモを見上げる。その瞳はやはり真紅だった。
「かっこよくなったな・・・、ムラクモ」
―うむ。
今こうしているのも、リューンとナユタのおかげだ。
「千年の想い・・・・か」
―なんだそれは？
「リューンが言ってたことさ。これでも足りないことって一体何なのかな」
―私が知るわけなかろう。
「期待してないって」
ニヤッとレイジが笑う。ちぃッと武尊が言った気がした。
―それよりお主、ハルカのことはいいのか？
ハの字を聞いたとたんレイジはその場から飛び上がった。
「悪ぃ、武尊。伊吹にもよろしく言っておいてくれ」
―あぁ。
リューンの意志を継いでも根っこは全然変わってないな、と武尊は微笑ましくその背を見送った。どれ、私は伊吹の様子でも見に行こうか。
武尊もまた、何処かへ姿を消した。
「あら、紅いヒーロさん」
ハルカが眠っていると聞いた病室の近くの通路で、レイジはラナの姿をみとめた。
「やめてくださいよ、ラナ隊長」
「いいじゃない。それにとっても素敵よ、その瞳」
ピンとラナは綺麗な人差し指で自分の瞳を指差した。
「それより、部隊の方が・・・」
一瞬ラナは微笑を消したが、すぐにまた明るい顔をレイジに向ける。
「誰かさんが頑張ってくれたおかげで、いつもよりずっと被害は少なかったわ。戦争だもの、それくらい覚悟してるわよ」
そうは言うものの、今回の戦闘の死者は過去最大クラスだった。
「あれだけの大群相手に、ホント皆よく頑張ってくれたわ。とくにあなたには感謝してるんだから」
そう言ってホッペに手を当て何事やら考えている。
「ご褒美あげちゃおっかな？」
「子守唄なら結構です」
「あら、そう」
残念そうにラナは笑った。そして、続ける。
「そう言えばあなた、お姫様に会いに来たんでしょう？でもまだ目が覚めていないし、面会もできないわよ」
どうやらラナも真っ先にハルカの様子を見に来たようだった。
「でも、あの子もすごいわ。あそこであなたを突き飛ばしすなんて。あの時、微塵の躊躇もあの子にはなかった。案外、こうなることをわかっていたのかも・・・」
そう言ってレイジの瞳を覗き込む。
「妬けるわね、あなたたちの絆は」
ふふっと笑ってラナは通路の奥へと姿を消した。
それを見届けるとレイジは一歩を踏み出す。
しかし、ガクンと膝が曲がる。何とか通路の壁にもたれかけ、倒れるのは免れた。
正直、相当な負荷が体にかかっていたようで、今までに経験したことの無いような疲れが襲ってくる。
でも、ハルカの顔を見るまでは。そう思い、一歩を踏み出す。
「無理をしたらいかんぞ、レイジ」
その背に聞き覚えのある声が聞こえた。振向くとやはりナハトがそこに立っている。
「あの娘なら大丈夫じゃよ。多少の骨折や打撲はあったが、命に別状はない。今は薬で眠っているような状態じゃからな。むしろ心配なのはお前さんの方じゃ」
そう言ってため息をつく。
「お前さんにこそ休息がひつようなんじゃよ。立っているのもやっと、違うか？」
認めたくは無かったが、それは事実だった。気を抜けばすぐさま倒れこんでしまいそうだ。でも。
「でも・・・」
「男ならどっしり構えて待つくらいの気概が欲しいもんじゃな」
ニッと笑うとレイジの腕を己の肩に乗せ、ナハトは歩きだした。老人とは思えないほど、その動きはしゃっきりしている。
「・・・はい」
「部屋まで歩くのを手伝ってやるさ。わしらのムラクモをあんなことにしてくれた御礼じゃ」
くっくっくとナハトは笑っている。本当にうれしそうだった。
「いいんですか、あんな風にしちゃって」
変化したムラクモの姿がレイジの脳裏に浮かぶ。
「お前さんに戻せるかね？」
ナハトが真面目に言った。
「それは・・・」
レイジの困惑した表情を見てまたナハトが笑う。
「冗談じゃよ。さらにカッコよくなってこちらとしても感謝してるくらいさ」
「ですよね」
レイジの軽口に、なぜかナハトは安心した。どうやら、根は変わっていないようだ。
「それにしても・・・・、テスラ１があれほど変成するとはのう」
テスラ１が変成するには半端なエーテル反応ではありえない。今まで多くの研究者が挑んだがどれもこれも失敗していたのだ。
「ナユタが力を貸してくれたんです」
そう言ってレイジは腰の辺りにあるナユタをさする。
「あの繭の中で、濁流を抑えていた堰が切れるように俺の体の中を、ナユタを継いだ者たちの想いが駆け巡りました」
様々な情景が浮かび上がったのをレイジは思い出す。喜びも悲しみも、恋も憎しみも、栄光も挫折も。
１０００年の間に紡がれたナユタの持ち主たちの想いが莫大な魔力を引き出したのだろうか。
「不思議なものじゃな。リューン＝ダモドレッドはそこまで考えてそれを作ったのかのう」
その問いにレイジは答えなかった。わかるような、わからないような。そんな漠然とした想いが胸にある。答えなど、とりあえずはわからなくていいのかもしれない。
「まぁ、いいさな。っと、ほれ、到着じゃ」
ナハトが顎で目の前のドアを示す。
「ありがとうございます。ナハトさん」
「いやいや、あとでたっぷりデータを取らせてもらうから気にするな」
グッと親指を立てて答えるナハト。レイジはニッと笑って頷いた。
「計測機器は、限界値を大きくしておいた方がいいですよ？」
「なぁに、言われんでもそうするわい」
そう言ってナハトは、以前と同じように何処からとも無く工具類を取り出すと、円を描くように空中でもてあそび始める。
そのままレイジに背を向け、振向きざまに言う。
「寝ておくんじゃよ？」
「了解しました」
ビシッと敬礼を取るレイジを見てナハトは軽く笑い、通路の角へと姿を消した。
薄暗い部屋へ入る。そのままベッドに倒れこもうとしたとき、端末の明かりが妙に光っているのをレイジは見た。
ベッドに向かう体を無理矢理に端末へ向ける。
見ると、画面には『新着メール』の文字があった。
「・・・・・誰だろ」
何とか椅子に座り、端末を弄った。
『発信者：ハルカ＝フワ』
発信の日付は今日。どうやら以前作成したものを時間設定で今日送信するようにしていたらしい。
メールを開く。
どうやら映像メールのようだった。
画面の向こうにハルカがカメラ調整しているのが見える。
『こんなもんかな・・・・・・よし』
深呼吸すると、ハルカは口を開いた。
『んーとさ・・・・。なんていうか、その・・・』
歯切れの悪い口調で、ハルカは一度口ごもった。だがすぐにまた深呼吸し、続ける。
『このメールをレイジが読んでるときさ・・・・・。わたし多分・・・、死んじゃってると思うんだ。はは・・・・』
そう言って、画面の中のハルカは一度下を向いた。でも、すぐ顔を上げ語り始める。
『指きり・・・・したときね。私の頭の中にビジョンが浮かんだっていうか。レイジが死ぬとこがハッキリ見えちゃってさ・・・・・。覚えてるでしょ？わたしの両親やレイジのお父さんが死んだときも、わたし、見えてたこと。予知っていうかさ、何か私の家系ってそういう力があったらしいのよ』
そう言ってハルカはギュッと唇を噛んだ。
『でも、誰も信じてくれなかった。あの時のわたしは・・・・何も出来なかったし、未来がわかってても変えられる力、なかったから。もう、あんな思いはしたくない。だから・・・・・・・・』
また、ハルカは下を向いた。しばらく、そのまま動かない。だが、やがて決意したかのように顔を上げた。
『わたしね・・・・。レイジのこと、ずっとずっと好きだったんだよ。・・・・笑っちゃうよね。今頃になってさ、やっと気付いたんだ』
その瞳から、一筋の雫が零れ落ちた。
『あれ・・・、何かわたし・・・・泣いてるの・・・かな？はは・・・、泣き落としなんてするつもりなかったんだけどなぁ。・・・涙、止まんないや』
その目からはポロポロと雫が止まることなく溢れてくる。でも、ハルカは強引にゴシゴシとその目を擦った。次に顔を見せたとき、そこには無理に強気を装った顔があった。
『んー、涙終了〜。あー、レイジ。あんた今泣いてるでしょ？まったく泣き虫なんだから。ホント、心配だなぁ。・・・・そばにいてあげたいけどさ、無理な話だよね。私、きっといないもん』
悲しげにハルカは微笑んだ。
『せっかく助けてあげた命、大事にしてよね。・・・・・約束だよ？』
ビシッと画面からハルカが指差してきた。
『と、まぁ、こんな感じできたけど。これで私が生きてたら喜劇よね〜』
突然おちゃらけた顔になるハルカ。
『まぁ、レイジの機体に突っ込むタイミングがかなりシビアだから、多分死んじゃってるとは思うけどさ。やっぱり何の代償もなく助かる命なんて都合よすぎるしね〜。うーん、私って悲劇のヒロインだわ』
うんうんと満足そうに頷くが、そこには悲しみが見え隠れしていた。
『・・・・・・・・・』
そんなことに気付いたのか、ハルカはニパッと笑った。
『私のこと、忘れるなよ？んじゃねッ』
満面の笑顔と共にハルカが録画終了のボタンを押したところで、画面は途絶えた。
ピッと再生終了を伝える電子音が聞こえる。
「・・・・・・・」
レイジは再生の終わった画面から目を逸らさなかった。
「ハルカ・・・」
呟いたレイジはしばらく動かない。動かず目を瞑り、自分に問うてみた。
その目を開け立ち上がる。どこから、この力が来るのかわからないがレイジは全力で、ハルカのもとへと駆け出していた。
揺ら揺ら揺れる空間に、武尊はいた。現実世界とは違う、けれども決して違わない精霊の世界だ。
目の前には伊吹が横たわっている。
―お主も無茶をする。
呆れたように武尊は伊吹に言った。
―いいじゃない。結果的に誰もが助かったんだから。
伊吹は微笑むように言う。
―まぁ、そうなのだがな。
―それにしても、レイジには驚いたわね。
―うむ。
武尊も同意する。本当に、畏怖の念すら覚えるほど、レイジの戦いぶりはすごかった。
―やはり、わざと抑えていたのね・・・。
―わざとと言っても無意識だからしかたあるまい。
そうね、と伊吹は言った。
―しかし、やはりお主らしい。息吹、転じて伊吹。生命の息吹を司ることすらできる。お主でなければあんな芸当できまい。
黄色の球体を作り出した当人に向け、武尊は言った。
―そうでもないわ。ハルカがレイジを助けようとしたとき、私の中に声がしたのよ。
遠く、虚空を伊吹は眺めている。
―誰だかわからないけど、でもとても美しい声をしていたわ。『あなたに力を少しだけお貸しします。ですから、どうかその子を守ってあげてください』そう私に囁いてきたの。
―我らの伝説にも語られるリューン＝ダモドレッドの声かもしれぬな。
―そうね。いえきっとそうでしょう。彼女が二人を助けるために力を貸してくれたのよ。
武尊と伊吹は、何処とも知れぬ虚空をいつまでも眺めていた。
医師に無理を言って、レイジはハルカの眠る部屋に入れてもらった。
その顔は安らいでいるように穏やかで、スーと静かな寝息が聞こえる。
知らず知らずのうちにレイジは、ハルカの手を握り締めていた。いつこの目が覚めるだろうか。俺も言わなきゃならないことがある。
時計の針が何度も回る。それは、短いと言える時間ではなかった。でもレイジにとってはどうでもよいことだ。もはや時間すら気にならない。
「ん・・・」
ハルカの瞼が微かに動いた。ついで、おぼろげにその目が開かれる。
「・・・・・・・」
寝ぼけているのか、ハルカはしばらくレイジの顔をじっと眺め言った。
「・・・ここは天国？何だ、結局レイジも死んじゃったのか」
微笑をレイジに向けてくる。だが、レイジはそんなハルカを見てサラリといった。もちろん内心はドキドキしっぱなしだが。
「残念ながらここは天国じゃないんだな、うん」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「嘘？」
「マジ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「えぇぇぇええええ」
部屋一杯にハルカは叫んだ。ついで上半身を起こす。ポキッと何処かいった気もするが気にしない。それよりも。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃ、わ、わたし生きてるわけ？」
手を見てみる。別に透明じゃない。ちゃんとした手だ。頬っぺたも摘んでみる。痛い。
夢じゃないようだ。逆側も摘まれる。ちょっと待ってこれは私の手じゃない。
見ればレイジがつねっているところだった。
「何してんのッ」
ビシッと平手が飛ぶが、レイジは華麗に上半身を翻し、その一撃をかわす。かわされて、一瞬悔しいと思ったが、それよりも大事なことをハルカは思い出した。
「・・・ま、まさか、レイジ。メール見ちゃったりなんて・・・・してないよね？」
してないと言って、ハルカは心の底からそう思った。
「しました」
上から鉄鎚で殴られたような衝撃がする。いや、と言うかこれは・・・。
「ちょっと待ってよッ。それじゃ、これって喜劇じゃない！？」
ハルカは顔が真っ赤になるのを感じた。
「は、恥ずかしいなぁ。わたしどういう顔したらいいのよ・・・」
「馬鹿だよ、お前」
そんなハルカを見てレイジはポツリと呟いた。
「な、馬鹿ってなによ・・・って！？」
反論しようとしたハルカを、レイジは突然抱きしめた。
「ちょっ、レイジ、何やって？！」
「お前、何考えてんだよ・・・・・・。勝手に死のうとして」
悲痛なほど、その声は感情に満ちていた。
「だ、だって・・・。言ったって信じてくれないでしょ。・・・・もう、やだよ。大事な人がいなくなるのは」
「じゃあ、残された俺はどうなるんだ？」
「え・・・」
ハルカの瞳を覗き込んでレイジが言った。その瞳に以前とは違った輝きを見てとったハルカだったが別に何も言わない。目の色が変わろうがレイジはレイジだ。それよりもレイジの言った言葉の方がずっと気になる。
「俺だってお前のこと・・・好き、だ」
目を逸らさず、まっすぐにレイジは言った。
「レイジ・・・」
レイジの体に回していた手にギュッと力を入れる。同じようにレイジも力を込めて抱き返してきた。
「俺がずっと・・・・・絶対、守ってやるから」
「うん」
瞼に雫がたまってきた。何だろう、このこみ上げるものは。
「ねぇ・・・レイジ」
「・・・・・・・・・・・・・」
呼びかける声にレイジはこたえない。
寝息が微かに聞こえる。
「・・・・・・・もう」
そっとを腕を解いてレイジの体を支える。
「守ってやるって言った傍から、寝るなよな・・・」
涙が溢れてきた。自分の頬を、レイジの肩を、涙が濡らす。
「でも・・・それでも、うれしいよ」
ギュッとまた、ハルカはレイジの体を抱きしめた。
これは始まりの物語。
幾星霜を越え紡がれる最初の糸。
ＦＩＮ