月において清々しい、という表現が適当かはわからないがとりあえず朝だ。

 与えられた部屋はまだ整理されていない殺風景なものだったが、とりあえずベッドの寝心地は悪いものではない。

 もぞもぞと動きながらレイジはしばらくまどろみを貪っていた。

 ドンドン

 「・・・・・・」

 雑音がする。

 ドンドンドン

 「・・・・・・・・・」

 回数が増えた。

 ドンドンドンドン

 「・・・・・・・・・・・・」

 まだ、訓練までは余裕がある。あと30分はだらだらしていたいところだ。そのためにもこの妨害は無視しなければ。


 ・・・・・・・・・・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・。


 勝った・・・・。

 何に勝ったかよくわからないが、とりあえずまどろみ妨害は阻止できたようだ。俺を起こすなんざ6500万年早いんだよッ。

 レイジの寝ぼけた思考回路が、よくわからないルーチンを醸し出す。

 その時ピッと音がした。同時にドアが開く。

 そして・・・・・。

 「いつまで寝てんのよッ、レイジ!」

 叩き起こされた。



 寝ぼけた顔でレイジは歯を磨いている。

 「っとにもう、しゃっきりしなさいよッ」

 レイジの背後、ベッドの上でハルカが荷物の整理をしていた。

 「別にそんなもんしなくていいって」

 振向かずにレイジが言う。

 「あんたはいっつもやらないじゃない」

 鏡に映ったハルカが睨んでいた。

 「今日やろうと思ったんだよ」

 レイジも反論するのだが、いまいち説得力に欠けていた。前科はいくらでもあったから当然かもしれない。

 「それにしても朝弱すぎだよ、レイジは」

 呆れたようにハルカが言う。その手元は慣れた手つきで衣類をたたんでいるようだった。

 「低血圧だもん」

 ガラガラとうがいをし、レイジは鏡を見てみた。キラリと歯が光ったような気がする。

 「ホントにこんなんであたしの次に成績が良かったって言うんだから、驚きよね」

 理解に苦しむと言った表情でハルカは大げさに肩をすくませてみたが、レイジはあえて無視した。そんなレイジに拍子抜けしたようで、再びハルカは衣服をたたみ始める。

 「しかしお前も毎朝ご苦労だな」

 身だしなみを整え終わったレイジは、ハルカの隣に腰掛けた。

 「おばさんにも頼まれてるしね〜」

 うれしそうにハルカが言う。でも自分では気づいていないようだった。こうしてみるとハルカも結構かわいい。

 「な、何?」

 「いや、かわいいなぁって」

 「な、な、何言ってるのよ、あんたは」

 ハルカの顔が一瞬で上気する。その反応がレイジには楽しかった。だからついからかいたくなる。

 「そこにある猫の時計が」

 ピッとレイジはハルカの顔の向こう、枕元を指差す。ニャーと鳴きそうな猫の置時計がそこにあった。ちなみにハルカから数年前に誕生日プレゼントでもらったものだ。

 「そ、そうだよね。うん、猫の時計。わ、わたしが選んであげたんだから当然ッ」

 うんうんと大げさに頷いている。動揺しているのが丸わかりだった。同時に残念そうな表情も見え隠れしている。

 「な、何よ。その目は」

 「何でしょう?」

 「〜〜〜〜ッ」

 「怒らない〜怒らない〜」

 ショートカットに整えられたハルカの頭をポンポンとレイジが叩く。

 「いい加減にしろーーーー」

 乙女の拳が飛んできたが、レイジは既に部屋の外へと脱兎のごとく駆け出している。

 「待てぃーーー」

 目も覚めるような大声を上げて、ハルカはレイジを追いかけ始めた。





 ムラクモを調整することが、本日の手始めだった。

 もっとも廊下で騒いでいたのをラナに見つかってしまい、すでに月面2周をした後だったが。

 息も絶え絶えに二人は格納庫へと向かった。

 「あんたのせいよ・・・」

 ふらつきながらハルカが言う。

 「そういうことにしとくよ・・・」

 レイジの方は反論する気も起きない。

 いくらなんでも久しぶりの全力疾走は堪えた。だが、ラナの地獄のララバイはこんなものではない。二人はそのことをよく知っている。

 「あの人は油断できねぇ・・・」

 うんと、ハルカは頷いた。



 格納庫でムラクモを見たとき、ハルカは前日のレイジと同じく呼吸するのを忘れてしまった。ついでに口から出た台詞まで同じだ。ナハトにからかわれたのは言うまでもない。

 ちなみにラナが傍にいたために、レイジもハルカも反論できないままその場は流されたのはまた別のお話。



 「それじゃ、二人ともコックピットに乗って」

 整備員に促され、二人はそれぞれの機体の胸の部分に搭乗する。ハッチはまだ開いたままなので周りがよく見渡せた。

 ―・・・久しぶりだな、レイジ。

 操縦席に腰をおろし、席の両隣にある球体に手を触れたとき、ヌッと厳つい風貌をした精霊がレイジの前に現れた。

 ふわふわしたそれは、レイジを外から覗きこんでいる。

 「・・・・・・なんだ、武尊か」

 ―なんだとは失敬だな、半年振りの再会であろうに。

 厳つい顔、武尊と呼ばれた精霊はやれやれといったポーズを取り、向かい側の機体に目をやる。

 ―私だってお主なんかよりハルカの方がよかったわ。

 「だったら行ってくればいいだろ?」

 ―そうさせてもらう。

 言ったか言わぬか、武尊はふわふわと前方の機体のコックピットへと近づいていった。

 「なんだかねぇ」

 レイジは笑ってそれを見送った。半年前とまったく変わらない厳つい顔で、まったく同じ行動を取る武尊が、レイジには可笑しくてたまらない。

 「あれ、武尊じゃない」

 ―半年ぶりだな、ハルカ。

 「久しぶり〜」

 ハルカは屈託のない笑みで武尊に応える。それを見てうんうんと武尊は頷いた。

 「どうかしたの?」

 ―お主は、ちゃんとわかってくれる。あっちの男とは雲泥の差だ。

 そう言って武尊は顔をレイジの機体に向ける。コックピットからヒラヒラ手を振るレイジが見えた。

 「そう言うやつなのよ。許してあげて」

 困ったようにハルカは笑っている。

 ―お主の頼みとあらば致し方ないが。それより今夜二人で月散策などいかがかな?

 「帰れ」

 満面の笑みで、ハルカは言った。そうだ、半年前にもこの笑顔で追い返されたのを武尊は思い出した。

 ―相変わらず女の子には節操がないわね、武尊。

 羽ばたく影がレイジとハルカの機体の中間に現れた。大きな鳥の姿をしている精霊のようだ。

 「伊吹〜、久しぶり〜」

 その精霊にぶんぶんとハルカが手を振った。

 「お久しぶりねハルカ。それにレイジ」

 精霊は交互に二人の顔を見やる。

 ―ほら、武尊。いい加減そこをどきなさい。この子のパートナーは私よ。

 ―ちょっとお茶目しただけではないか。

 伊吹と呼ばれた精霊に一蹴されて、武尊はスゴスゴとレイジの機体の前に帰ってくる。

 「お帰り」

 ニヤニヤ笑いながらレイジはその精霊を出迎えた。

 「エレメンタル同士大変そうだね」

 ―まったくだ、特に伊吹は頭が固くて困る。

 そう言って武尊は、はっはっはと笑った。そんな自分の後方に、まさか伊吹が迫っていたとは夢にも思わない。

 「笑うのもいいけど、後ろ見た方がいいんじゃないかな?」

 レイジは割りと真剣な顔で忠告する。

 んっと言って武尊が振向くと、伊吹が光の球を口の前に収束しているところだった。

 ―武尊・・・。

 いまにも光球を発射しそうな勢いだ。

 ―・・・・・な、何も言ってないぞ、うん。私は何も言っておらぬわッ

 否定しながらもその表情はごめんなさいで溢れていた。

 ―・・・・・今日のところは勘弁してあげる。

 ふっと光球が消え、伊吹はハルカのもとへと戻って行った。

 ―助かった・・・。

 「半年前とまったく同じというか、学習してないと言うか」

 やれやれとレイジが首を振る。

 ―ち、違うぞ。私はただ柩乗りとのコミュニケーションをだな・・・。

 「よーくわかったから。それよりさっさと調整しよう」

 向かい側を見れば既にハルカと伊吹は調整に入ろうとしている。

 ―そ、そうだな。さっさとやってしまうか。

 言って武尊はムラクモの中に融けるように消えた。瞬間、ハッチが閉まり巨人に魂が宿り始める。だが、これだけではまだ不十分だ。

 左右の球体に掌から指令を送る。すぐ目の前に空間を切り裂いて穴が現れた。その中には薄緑のゆらゆらした空間が広がっている。

 レイジは腰からナユタを取り出すと、丁寧に穴の中へと入れた。音もなく、その穴が閉じられる。

 閉じられると同時に、ムラクモのつま先から頭部の先端まで自分という存在が行き渡ったのがわかった。これで、自在に操ることが出来るはずだ。

 「アタノール機関稼働率73%」

 ―各制御機構、異常なし。

 「システムリンク良好」

 『それじゃ、二機とも月面演習場に向かってちょうだい』

 ラナからの通信が入る。

 「了解」

 格納庫の天井が開かれた。背面にある四基のブーストに火が点る。

 ―ブースト、スタンバイ

 「レイジ=アマナギ、ムラクモ、発進する」

 レイジの一声と共に、巨人はソラへと飛び出した。



 月面の渇いた大地すれすれを巨人が飛んでいる。心地いいくらいのGがレイジの身体にかかっていた。

 「すごいな・・・」

 ムラクモのコックピットの中でレイジは呟く。

 「ミライには悪いけど、比べ物にならないよ」

 訓練で使っていたミライは決して悪いAFではない。性能、扱いやすさ、コスト、どれをとっても一級品のAFだ。しかし、今乗っているこの機体と比べてしまうと明らかに性能面で差が出てしまう。

 ―まったくだ。この流れるような感じ、すばらしい。

 武尊とムラクモの一体感はレイジにも伝わっていた。澄みきった川のように、エーテルが流れている。

 「このスピードでまだ出力の半分もだしてないんだろ?」

 ―40%といったところかな。

 この時点ですでにミライの性能を超えている。隊長機であるフェンリルでさえ、こうは行かないだろう。

 「ナハトさんの言っていた『ヘルメス』を使わないでこれだもんなぁ」

 ヘルメスを使ってなおかつ最大出力で飛ぶことを想像して、思わずレイジは苦笑した。

 「テストパイロットの人が寝込むのもわかる気がするよ」

 ―お主は頑丈だから問題あるまいさ。

 くくっと笑いを含めながら武尊が応える。

 「褒め言葉にしとく」といってレイジは笑った。

 アタノール機関の不死の炎をさらに燃やしながら、レイジはムラクモを加速させる。視界の奥に演習場の光が見えた。

 演習場といっても、ただのだだっ広い月面をバリアで囲んだものだ。これによってなかでいくらドンパチやっても外に被害が出ることはない。

 既に演習場には、ナハトを乗せた小型船をはじめ、ラナ率いる第七機動部隊の数機が待ち構えていた。

 「すごいでしょ?その機体」

 ラナの顔が右に浮いた画面に浮かび上がる。

 「半端じゃないですね」

 そう応えてレイジは周りを見渡した。

 隣にはハルカの機体、前方にラナのフェンリル、その後ろにつくようにミライ、カグチが数機、真ん中にナハトの小型船が着陸している。

 「それじゃ、軽く動いてもらおうかしら」

 そう言ってラナは右手を頬に当てた。

 「今から、カグチにホーミングミサイルを撃ってもらうから、サクッとしのいじゃってね?」

 「ま、マジですか!?」

 左側に浮いている画面にハルカが浮かび上がる。

 「マジです」

 にっこり笑うラナ。

 「りょ、了解」

 引き攣った笑顔のハルカが言う。

 「レイジ君は?」

 チラッとラナがレイジに視線を向けた。

 「了解しました」

 別段、動揺もせずにレイジは言う。

 「それじゃ、2分後に開始するから心の準備を整えておいてね〜」

 そう言ってラナからの通信は消えた。

 ふーとハルカはため息をつき、レイジに言う。

 「冷静ね。初めて乗る機体でミサイルと追いかけっこしろって言われてるのに」

 不安そうなハルカの顔が画面に浮かんでいる。

 「首席がそんなに動揺してどうするよ?」

 リラックスとまではいかないまでも、割りと自然体でレイジは言った。

 「動揺なんてしてないわよ。ただ、いきなりで驚いただけッ。それにレイジと私じゃAFの扱い、私のほうが上手なんだから」

 キッと睨むようにハルカが反論する。

 「そうだったっけ?」

 レイジはわざと嘯いてみせた。

 「〜〜〜ッ。レ、レイジが私より上だったことなんて早食い競争の時ぐらいでしょうが」

 そう、訓練課程終了記念の企画で早食い競争があったのだが、レイジがハルカに勝ったのはその時だけだ。

 「いやー、あの時のハルカの顔面白かったなぁ」

 「人のこと言えないでしょッ」

 実際、その時の二人の顔といったら後々まで語られるくらい凄まじいものだった。今でも訓練課程の同期生の間では笑いのネタになっているらしい。

 「っと、そろそろ時間だ」

 まもなく2分が過ぎようとしていた。

 「真っ黒なって落っこちないでよね」

 ハルカも軽口が出るくらいリラックスしてきたらしい。その目はいつもの勝気なそれに戻っていた。

 「お前もな」

 ひらひらとレイジは手を振る。何か言いたそうなハルカだったが通信はそこで切れた。

 ―相変わらず仲睦まじいな、お主達。

 うらやましそうな武尊の声が響く。

 「そんなんじゃないって」

 二人とも否定はしているが本気じゃない、といつも武尊は思う。見ているこっちからすれば丸わかりなのだ。

 同じようなやり取りが隣の機体で行われたということは想像するに容易い。



 「それじゃ、始めるわよ」

 ラナの掛け声と共に、カグチ3機から4発ずつホーミングミサイルが放たれる。

 「さく〜ッと凌いじゃってね。ちなみに当たったら月面5周〜」

 2機のムラクモはブーストの圧力を一気に上げ飛び立った。一機につき6発、合計12発のミサイルが、それぞれの機体を追う。

 小型船の中のナハトはデータ収集を開始した。様々なグラフが目の前に現れる。2機ともまだ性能の半分すら出していないようだ。

 漆黒の宇宙を背景に、巨人は華麗に舞った。

 どちらの機体も、スピードに頼ってミサイルを振り切ると言うことはしない。装甲ギリギリのところを紙一重で交わし続ける。しばしの追いかけっこの末、2機のすれ違いざまに、12発のミサイル達はぶつかり合って爆発した。

 「第一段階合格ってとこかしら。ナハトさん?」

 ことの顛末を見届けたラナは、小型船のナハトへと通信を繋ぐ。

 「なかなかいいデータが取れたわい。しかし、初めて乗った機体であれだけ動けるとは。大したもんじゃ」

 「ホント、2,3発は当たると思ったんですけどね〜」

 残念そうに笑うラナを見て、ナハトは苦笑した。

 「一応教え子たちじゃろう?もっと心配するかと思ったがな」

 「あの子たちを心配するなんて無駄なことですよ。主席とナンバー2って言うのは伊達じゃないですもん」

 そう言ってラナは2機を見やった。空中を蜂のように飛んでいる。久々に乗れたのがよっぽど楽しいのだろうか。

 「全然余裕みたいね、あの子たち」

 「ふむ。この際じゃからヘルメスも試してもらうか」

 今日の訓練ではまずAFに乗る勘を取り戻してもらおうと思ったが、彼らには必要なかったらしい。

 「そうですね。このままじゃつまらないですし」

 何がつまらないのかナハトにはよくわからないが、とりあえずラナの許可は下りた。

 「では、試してもらうかの。しかし・・・、テストパイロットのようなことにはならんじゃろうな?」

 テストパイロットは波動光翼を出して飛んだところまではよかったのだが、限界性能を引き出す前に意識を失ってしまった。情けないとナハトは思ったがラナ曰く「私でもダメですね」らしい。

 「最大出力で飛ばなければ大丈夫。あ、でもあの二人なら多少スピードオーバーでも脳味噌シェイクにはならないわね。私がたっぷり鍛えてあげたから」

 楽しそうに言うラナを見て、またナハトは苦笑した。

 「恐ろしいのう」

 「ナハトさんもいかがです?」

 にこっと笑った顔が、どことなく本気の色を醸し出している。

 「わしは、遠慮させてもらうよ。それより、始めてもらおうかの」

 危ない、危ない。ただでさえ短い老い先がさらに短くなってしまう。ラナもそれはわかっているのか微笑を浮かべて応じた。

 「わかりました」



 「というわけだからで、二人ともヨロシクね」

 ラナからの通信を受けた後、2機のムラクモはヘルメスを作動させた。黒と赤を基調とした機体の背中の辺りから、ブンッと淡い赤の光翼が生じる。

 「うむ、いつ見てもカッコいいわい」

 ナハトはそれを見て満足げに頷くと、レイジに回線を繋ぐ。

 「どうじゃ、レイジ。カッコいいじゃろ?」

 「見えないですよ、俺には」

 「隣の機体を見ればいいじゃろが」

 「あ、そっか」

 ナハトはどこか抜けているレイジを微笑ましく見ていた。

 「・・・・・」

 そんなレイジはハルカの機体を見て目を輝かせている。

 「か、カッコいい・・・・・・・」

 漆黒の宇宙をバックに2枚の光翼がよく映えていた。

 「ほっほっほ、そうじゃろ?そうじゃろ?カッコいいじゃろ」

 ナハトはうれしそうに笑った。うむ、この少年は美学と言うのを理解しているようだ。

 「ハルカ、すっごくカッコいいぞ、この翼」

 思わず、ハルカにふってしまうくらいレイジはご機嫌だ。

 「め、珍しいわね。あんたが感激するなんて」

 これだけはしゃぐレイジを見たのは久しぶりだ。ハルカも思わず表情が和らぐ。

 「はーい、はしゃぐのもいいけど、ちゃんと仕事はしてね?」

 ほんわか気分のところにほんわか微笑を浮かべたラナの通信が入る。背中の辺りに二人は寒気を感じた。春が一気に冬へと戻ったような感じだ。

 「それじゃ、飛んでもらうわよ。ちなみにミサイルとか集束魔導砲とかばしばし飛ばすから頑張ってね」

 健闘を祈るッ、と親指を立ててラナの通信は終わった。

 「・・・・・あの笑顔が怖いんだよ」

 「私も・・・」

 わかってはいるのだが、何度も口から出てしまう言葉だった。



 通信画面から月面へと視線を戻すと、武装フルオープンのカグチと集束魔導砲を構えたミライがこちらに銃口を向けていた。相変わらず訓練にしては冗談がきつい。が、すでに半年前に諦めている。

 「それじゃ行くか、武尊」

 レイジはそう言って掌の球体に力を込めた。

 先ほどと同じように一気にブースト圧が上がる。と、次の瞬間にはダムが決壊したような凄まじい加速をムラクモは見せた。

 「!?」

 速い。

 ―ほう、すごい加速だ。

 ハルカの機体が視界の隅に見える。赤い翼から細かい粒子のようなものが放たれていた。

 それは雪のように綺麗だったが、そう思えるほどの余裕がレイジにはない。

 「やばいなぁ、こりゃ・・・でもッ」

 グッと球体に力を入れる。

 「武尊、もっと出力を上げるぞ」

 ―私は構わぬが、お主は大丈夫なのか?

 「ラナさんの訓練の方がきつかったろ?」

 ふっと武尊は笑った。

 ―なら、とことん付き合おう。

 グンッとムラクモは加速し、そのまま高く高く宇宙へと舞い上がった。

 レイジは、さらに意識を集中し完全にムラクモを制御しようとする。翼の先まで神経が通っているような錯覚が感じられた。

 ある程度の高さまでムラクモを持ってくると、今度は月面へ向けて急降下させる。

 ―カグチより砲撃、来るぞッ。

 一斉に3機のカグチが集中砲火を浴びせてくる。だが、レイジはスピードを緩めもせず、ランダムな動きを繰り返しながら砲火の中へ突っ込んでいった。

 光翼が残像を残して宇宙を震わせ、月面すれすれに今度は水平飛行へと移る。

 「二機ともカッコい・・・・もとい素晴らしい動きじゃ」

 思わずナハトはその光景に目を奪われた。テストパイロットには申し訳ないが、レベルが違う。理論上の限界数値は既に目前まで迫っていた。



 少しでも気を抜いたら、意識が持っていかれそうだ。

 コックピット内、ハルカは必死でムラクモの挙動を制御する。

 ―大丈夫、ハルカ?

 心配そうな伊吹の声が耳に響いた。

 「全然、へっちゃら」

 そうは言うものの本当はスピードを緩めたかったし、こんなトリッキーな動きはしたくない。

 でも、まだレイジだってこれだけの動きをしているのだ。自分が遅れをとるわけにはいかない。

 歯を食いしばり、ハルカはムラクモを加速させた。ついで動きを更に複雑にする。半端じゃない付加が身体に加わった。

 瞬間、ガクンとムラクモが揺れる。

 そのまま制御を失った巨人はフラフラと月面へ向かい降下していく。

 「くっ」

 ざわめく心を抑え、必死で立て直す。AFはなにより心で動かすものだ。

 すぐにムラクモはハルカの制御下に戻った。

 ―ハルカ、ちょっと無理しすぎよ。

 「だって、レイジたちだってこのくらいやってるでしょ」

 ―そのレイジたちは限界みたいだけど?

 「えっ」

 レイジのムラクモが視界に入った。

 先ほどよりスピードが落ち、動きも単調になっている。

 「うそ・・・?だってさっきまで」

 ―嘘も何もないわ、あれが現実。

 「・・・・・・・」



 「・・・・・・・」

 ハルカのムラクモが視界に見える。どうやら持ち直したようだ。

 ―レイジ。

 「ん?」

 訝しげに武尊が呼びかけた。

 ―動きが落ちたようだがどうした?

 「いや、今かなり一杯いっぱいなんだな、これが」

 レイジは苦笑いしながら言った。確かに辛そうな顔だ。

 「悪いけど、このまま飛ばせてもらうよ」

 ―そうならいいが。
 今の調子ならもっと行けたはずだと武尊は思ったが、レイジが嘘をついているようにも見えない。

 「お、終了らしい」

 ラナからの通信が入る。

 「二人ともお疲れ様。よくがんばりました〜」

 ぱちぱちとラナが手を叩いている。

 今日の訓練はこれにて終了のようだった。



 ムラクモのハッチが開く。

 格納庫の冷えた空気がコックピットに流れ込んできた。

 ほっと一息ついた感じがする。そのままレイジは操縦席に背中を預け、目を閉じた。

 瞼の裏につい先ほどの様子が浮かんでくる。自分でも何故あそこで動きが落ちたのか、いまいちよくわかっていない。

 多分、あれが限界だったのだろう。そう思うことにした。いきなり制御するのが辛くなったが、身体が限界を感じてそれ以上の動きをさせなかったと考えれば納得がいく。

 それにしてもあの時ハルカはよく立て直したと思う。もし自分だったら立て直す余裕が果たしてあったかどうか。

 何だかんだ言って、やはりハルカの方が自分よりもAFの扱いは巧いようだ。

 「おーい、レイジ〜」

 ハルカの呼ぶ声がレイジの耳に響く。

 「さっさと降りてきなさいよ。これからデータチェックだってさ」

 ―だそうだ。

 武尊がニュッとレイジの目の前に現れる。それがちょうど瞼が開かれたときと同時だったものだから、思わず心臓が飛び出しそうになった。

 「その顔のアップは、怖い」

 額に手をあてるレイジ。

 ―いい加減慣れるのだな。

 腕を組んだ武尊がふわふわとムラクモの周囲を飛び回りながら言った。

 「いや、目を開けて目の前にどアップって言うのは厳しいものがあると思うぞ。慣れるとか慣れないとか以前に」

 ―そういうものか。・・・よし、以後気をつけよう。

 つい数ヶ月前も同じことを言った気がするなとレイジは思った。どうにもこのエレメンタルは忘れっぽいようだ。いや、案外わざとかもしれない。

 「何やってんのよー。先行くからね?」

 いつまでたっても降りてこないレイジをハルカはもう一度呼ぶ。

 「おっと。それじゃ、武尊。また明日な」

 ナユタを空間から取り出し、レイジは急いで―と言っても落下するだけだが―下に降りていった。

 ―うむ。今日はなかなか楽しめたぞ。

 着地したレイジに武尊は呼びかけた。振向いたレイジが手を振る。そのままレイジとハルカは格納庫の外へ向かって歩いていった。

 二人の背中を見送る武尊に伊吹が近づいてくる。

 ―ねぇ、武尊。

 ―なんだ?

 ―レイジ、どうかしたの?

 伊吹もレイジの動きが気になっていた。ただあの時はあれ以上ハルカに無理をさせないために気づかないふりをしていたが。

 ―今までとは扱いの違う機体だったから、疲れたのであろう。

 今一度二人が去った方向に視線を向けながら武尊は答えた。

 ―そう言えば、ミライに乗っていたときにも何度かあったわね。あの時は気にするほどでもなかったけれど。

 ―まぁ、下手な詮索は無意味だろうさ。別にレイジが手を抜いているわけでもない。

 ―そうね・・・。

 根拠はなかったが、とりあえず今はそう思うしかないだろう。



 整備区内の端末室へと二人は向かっていた。ときおり技術者たちがこちらに視線を向けてくる。すでに今日演習場で行われた訓練の結果については皆の知るところだ。

 「疲れた〜」

 背伸びをしながらハルカが言う。ポキッと節が抜けた気がした。

 「相変わらず実践的というかスパルタと言うか」

 やれやれとレイジも背伸びをする。凝り固まった筋肉がスッと伸びるようで心地いい。

 「そういえば、レイジさ。途中から随分動きが甘くなったんじゃないの?」

 心配そうにハルカがレイジの顔を覗き込んでくる。レイジは軽く首を振った。

 「あれで結構限界」

 「ホントに?」

 あぁと、頷きながらレイジが続ける。

 「お前こそ、よくあそこから立て直したよ。やっぱり、AFの腕はハルカのほうが上だな」

 軽く頭を掻くレイジを見て、ハルカは少し胸を張った。

 「レイジもなかなかやる方よ。ま、私にはだいぶ劣るけどね」

 この幼馴染のポジティブ思考は見習うべきだ、とレイジはよく思う。が、今回はコツンと額を小突いてやった。

 「いったー。何するのよ」

 額をさすりながらハルカは非難の顔をレイジに向ける。

 「調子にのるなって。確かにあそこから立て直したのはすごいけど・・・。でも少し無理しすぎだろ?」

 心配そうに見つめられるのだが、しかしハルカは反論する。

 「そういうことは、私より巧くなったらいいなさいよッ」

 しまった、と思った。レイジは心配して言ってくれているのに、結局自分は憎まれ口しか出てこない。

 「まぁ、いいけどさ。でも・・・気をつけろよ」

 思ったほどレイジは反応してこなかった。ただ心配そうに自分を見ているだけだ。

 それっきり会話はなく、二人は端末室へ入っていった。



 コーヒーを口に運びながら、ナハトは片手でコンソールを弄っている。

 レイジたちとのデータチェックが終わってからすでに数時間が経っていた。時間的には日付が変わる頃だろうか。

 それでもナハトは黙々とデータを打ち込んでいる。

 二人が思った以上に機体の性能を引き出してくれたおかげで、彼の今日の仕事は少しばかり増えた。だが、苦痛ではない。むしろうれしいくらいだ。

 老体に鞭打ってと言うが、今の自分は鞭を打たれる前に自分から飛び上がっているようなものだ。計算上の限界値がいとも簡単に突破されたのだから無理もない。

 シミュレーションの数値が甘かったのか、どうやらあれだけ心血を注いだムラクモを少し過小評価していたらしい。

 「ご一緒してもよろしいですか?」

 ふと背後から声をかけられる。

 振向けば、そこにはラナが同じようにコーヒーカップを携えていた。

 「あぁ、構わんよ」

 そう言って隣の椅子に座るようナハトは促す。

 「司令には報告したかね?」とナハト。

 「えぇ。さすがに驚いていたみたいですけど」

 コーヒーを一口すすりながらラナは答えた。

 「なにせ一週間で乗りこなせと言ったのが、たった一日で乗りこなされたんじゃ。驚くのも無理はなかろう」

 ナハトもカップに口をつけた。そのまま一口喉に流し込む。

 「すごいですよね、あの子たち・・・」

 ラナの顔にいつもの笑みはない。代わりに少し憂いが浮かんでいた。

 「シャオダーがルイディーンを襲い始めてから20年。多くの戦士や柩乗りをわしは見てきたが、彼らほどの才能を持ったものは、正直見たことがない」

 揺れるコーヒーの水面を見つめながらナハトは言う。

 「大げさな話じゃが、今の戦況を変えられる力すらあるのではと思ったよ」

 シャオダーは、20年前の襲撃を皮切りに数ヶ月に一度、大群でやってきていた。何しろ数が半端ではない。今はどうにか均衡状態まで持ってきているが、それも時間の問題だろう。

 「せめてシャオダーが交渉できる相手なら・・・。そうすれば、誰も死なず、誰も悲しまず。あの子達のような若い命が戦場に行くこともなかったでしょうに」

 いつものラナからは考えられないほどの弱気だった。元来があの性分だ。自分がこんなことを言うのは、らしくないとわかってはいる。

 「それは、無理な話じゃな。連中は害虫と一緒じゃ。交渉や何やらが通じるわけもない。命を喰らう純粋な悪。いや、シャオダーに取ってはそれすら生理的―証拠などないが―作用にすぎんのかもしれん」

 残りのコーヒーを、ナハトは一気に流し込んだ。そのままカップの底をじっと眺めている。

 端末室に、機械の唸る低い音だけが響いていた





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