光暦2020年4月1日 ヤシマ国
青空のもと、少年と少女を乗せた小型シャトルが天空に飛び立った。
見送る群集の中、一人の女性がポツリと呟く。
「二人とも・・・死ぬんじゃないわよ」
だが、そんな呟きも春の風に掻き消えた。
「いやー、実にあっさりしたお別れだったねぇ、レイジ君?」
大気圏を離脱し、シャトルは今、進路を月にとっていた。窓の外には青く輝くルイディーンが雄大に、しかしどこか痛々しく広がっている。
そんな景色をバックに、ハルカはからかい口調で隣に座るレイジに言う。
「そうだな」
口を動かしながら、レイジは自分の体を固定していたベルトをはずし、席を立った。
ふわりと体が浮いたが、訓練通りのことをしていればなんの問題もない。すぐに体勢を整えると、そのままシャトル後部の展望スペースへ向かった。
「それだけ?」
後を追いかけながらハルカが言う。
「それだけ」
別にどうでもいいような口調でレイジは答えた。
「ふーん」
しかし、隣の少女はからかいの表情を崩さない。
「そーんなこと言っちゃって。ホントは母ちゃ〜んとか言いたかったんじゃないの?」
クスクス笑う少女の目元を、しかしレイジは見逃さない。
「まぁ、泣くよりはマシかもな」
ハッとハルカは慌てて自分の目元に手をやる。
「な、泣いてるわけないでしょッ、あんたじゃないんだから!」
「ふーん」
「こ、これはゴミ。そうゴミよ、スペースデブリよ!」
「ま、そういうことにしとくよ」
無理矢理言い繕うハルカが、レイジには妙におもしろい。
「〜〜〜〜〜ッ」
「怒らない〜怒らない〜」
ふわふわと漂いながらさらにレイジがからかう。
「ええぃ、黙れッ」
ビシッと音がした。
「ッ?!」
ヒュッとレイジの身体が飛んでいく。
「あ、あれ?」
その次にはドンッという音がした。
「ガハッ」
シャトル後部ハッチの下にもんどりうって倒れる影が一つ。
その影がぷるぷると拳を握りながら起き上がる。
「なぁ・・・ハルカ」
「あ・・・あははは、な、何かな、レイジくん?」
ハルカは後部ハッチから漂ってくるレイジに、いかにもきまりの悪そうな笑みを向ける。
レイジの方も笑ってはいる。笑ってはいるが、何処か乾いた笑いだ。ぶっちゃけ、眼が笑っていない。
「ここ何処だと思ってるのかな?」
ゆっくりとレイジが漂ってくる。
「えぇと、宇宙・・・・・かな?」
「そこまでわかってるなら・・・・・」
ずいっとレイジの両手がハルカの頬に延びる。
「本気でぶつなっつーの!」
そのまま頬を摘むと上下左右に揉みくちゃに引っ張る。
「ひゃからごめんっていっへるやない(だからごめんって言ってるじゃない」
「言ってないだろ」
さらにヒートアップして引っ張りまくる。
プルプルと今度はハルカの右手が握られた。
「おほめのほっぺほぉ・・・・・(乙女のホッペを)」
「何?」
問いながら、しかしレイジのその手は引っ張ることをやめない。
「なんりゃとおもっひぇるんやぁッ(何だと思ってるんだッ)」
ドスッという音がしたかもしれない。
でも、その右手はきれいに鳩尾に入ってて・・・・・・。
青く輝くルイディーンはどこまでもきれいで・・・・・・。
あぁ、意識って何処にあるのかなぁ・・・・・・・・・。
ドンッ。
後部ハッチの下にもんどりうつ影が一つ。
「自業自得よッ」
ふんっ鼻を鳴らしながら、ハルカは頬をさする。
「おーい、お二人さん」
ふと前方、操縦席の方から声がした。
「は、はいッ」
突然の声に、思わず二人はビシッと敬礼を取った
「仲がいいのはわかるんだが、もう少し静かにしてもらえるかな?」
たしなめてはいるが、やわらかい口調だ。
「このままじゃ、シャトルが壊れてしまうよ」
どうやら、笑いをこらえて注意しているらしかった。
「あ、その、スイマセン」
スゴスゴと二人が席に座るのを確認すると、声の主であるこの船の船長ジョナサン=スターンはまた星の海に眼をやった。でも相変わらず笑いをこらえているようだ。
「あんたのせいで怒られちゃったじゃないッ」
「お前が殴るからだ」
「もとはといえばあんたが・・・・・」
静かな声で喋っているつもりでも、二人が思っているほど静かな声ではない。操縦席には丸聞こえである。それに気づいていないのがジョナサンには余計におもしろかっった。
「船長」
隣の席に座っている女性がやれやれといった感じで口を開く。
副長のフィオナ=ハッキネンだ。
「何だね、副長?」
鼻の下に生えた白い髭を撫でながらジョナサンが応える。
「ホントにあの二人・・・・・、高度戦技訓練課程の修了者なんですか?」
「見えんか?」
高度戦技訓練課程、それはルイディーン連合軍の中でも選りすぐりの者たちだけが進むことを許される精鋭パイロット養成課程のことだ。
「えぇ。ただの何処にでもいる少年少女、って感じですよ」
副長には、彼ら二人がそんな過酷な訓練を受けてきたようには見えないのだ。
「そんな何処にでもいるような少年少女でも・・・、戦場に送り出さなきゃならんほどルイディーンは疲弊してるのさ」
笑いをこらえていたジョナサンの顔はいつの間にか、真顔に戻っていた。
「・・・・・・・・・・・」
しばらく操縦席に重苦しい雰囲気が流れる。
ジョナサンは無言で星の海を眺め続けていた。時折、操縦席に聞こえてくる彼らの声が痛ましく胸に響く。彼らに背負わされた運命を考えると、大人の自分がやるせないのだ。
「あの二人だがな・・・・・」
「?」
そんなことを考えながら、ジョナサンは沈黙を破った。
「あの二人、高度戦技訓練課程の首席とナンバー2らしいぞ」
「へ?」
突然船長の口から出た言葉に、フィオナ副長は間の抜けた声しか出なかった。
「だからな。女の子の方が首席で、少年の方がナンバー2なんだとさ」
「えぇぇぇぇええええええ」
銀河の果てに届かんばかりの大声でフィオナは叫んだ。
この声には後部座席の二人も思わず顔を見合わせる。
「事故ったか?」
「縁起でもないこと言わないの」
自分たちのことでこんなに驚かれてるとは、夢にも思わない二人だった。
「う、嘘でしょ?船長ッ。第一そんな話・・・私聞いてないですよッ」
「あぁ、言ってないね」
「な、なんで船長がそんなこと知ってるんですか!」
もうわけがわからない。今日の船長はどうかしてるざんす、と半ば混乱気味な頭でフィオナは思った。
当のジョナサン船長はと言えば、彼女のその反応が面白かったらしく、くっくと笑っている。
「連合のお偉いさんとちょっと知り合いでな」
さらっと凄いことを口走ったジョナサンに、フィオナはさらに目が点になる。
「船長、あたし・・・・・夢でも見てるんですかね」
「そうだといいがね」
本気だ、この目はマジだとフィオナは思った。
「まさか・・・・・あの二人を月まで運ぶのにこのシャトルが選ばれた理由って」
「私が船長だからさ」
ニッと親指を立ててジョナサンが応じる。
「は・・・はは、もういいです」
「いや、これは冗談だ」
はっはっはと陽気に笑うジョナサン。
この船長には毎回驚かされっぱなしである。いい加減慣れるべきなのかもしれないといつもフィオナは思うのだが、なかなかうまくいかないのが現状だ。
「あれ・・・、でもそんな優秀なら、自分たちが行きたい戦場に配属希望が出来るんじゃないですか?」
ふと沸きあがった疑問をフィオナは船長に問いかける。
「まぁ、そうなんだろうよ。連合も結構、徴兵とか配属には甘いからなぁ」
「わざわざ最前線の宇宙に来るなんて・・・・・」
シャオダーとの地上戦を考えるなら、人間にはまだ有利な点が多くあった。
まず、魔導兵器の充実である。魔導戦争時に開発された魔導兵器は主に対地上戦用のものだったが、多少の改良を加えればシャオダーにも十分効果があったのだ。加えて地上なら老齢の大魔術師たちでも活躍できる。魔法を使うよりシャトルに乗る方が堪えるわいとは、ある老魔術師の言である。
だが、地上でやるにはそれなりのリスクもあった。都市部近郊では大魔法や大出力の魔導兵器は使えない。そして、力及ばず防衛できなかった地域はすぐさま不毛の大地となり、多くの生命が失われるのだ。
それゆえ近年では、宇宙空間でのシャオダー迎撃が主流となりつつあった。新鋭宇宙戦艦の建造、機動兵器『アストラルフレーム』による高機動三次元戦闘。これらの活躍によってそれなりの成果は上がり、地上での戦闘は減少傾向にあるのだ。
それを考えれば、地上部隊に所属した方が生存確率は上がるだろう。もっともそれで平穏無事な老後がやってくるかは別問題だが。
「なんでも志願したらしいぞ、あの二人」
「奇特というか何というか・・・・・、活躍して有名にでもなりたいんですかね」
軽く言ったつもりだったが、ジョナサンには気に喰わなかったらしい。ジロッとフィオナを睨む。
「あ・・・いや、その・・・・・・」
いつもは穏和な船長の目が、そのときばかりは氷のように冷たかった。
「あの二人がそんな風に見えるか?」
いくぶん声を荒げてジョナサンは言う。
「・・・・・・・・・・・」
フィオナは言葉が出ない。
「彼らの目を見たか?」
ジョナサンは続ける。
「有名になりたくて最前線に来るような目をしていたか?違うだろ」
一息ついて、ジョナサンは口を開いた。
「そんな安っぽいもんじゃなさ。少なくとも、私はそう思うよ」
そう言ってジョナサンは腕を組み、操縦席にもたれかかる。その目はどこか哀しげな色を宿しているようにフィオナには見えた。
「すいませんでした・・・・船長。私、そんなつもりで言ったんじゃ・・・」
みなまで言わせず、ジョナサンは顔をフィオナに向けた。
「いや、私の方こそ声を荒げたりしてすまない。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「彼らに架せられた使命の重さだけは・・・わかってやれ」
ゆっくりと一言一言区切るように、ジョナサンは感情を込めて言った。
「・・・はい」
一呼吸おいて、フィオナが首を縦に振る。
うんと頷きながらジョナサンは、手動操縦を自動に切り替えた。
「さて、まだまだ月は遠いしな。私は寝るよ」
シャトルは月における人類の拠点、月面都市リューンへと進路を取り始める。
到着まであと半日はかかるだろう。
月面都市リューン。その歴史は古く、光暦1000年に稀代の大魔術師リューン=ダモドレッドがこの地を踏んだという記録が、文献に残されている。事実この都市の中心、始まりの丘には今もその大魔術師の靴跡が残っているのだ。そんな魔術師にちなんでこの月面都市はリューンと名付けられたのだった。
空港は地上行きのシャトルを待つ人々でごったがえし、どの人々も大きな荷物を抱えていた。中には漫画で見るような大きな風呂敷を担ぐ人さえいる。一週間前に連合から出された避難勧告によって、ここ数日の空港はいつもこのような感じだった。
後方、小型シャトルの下ではジョナサン船長とフィオナ副長が手を振っている。
「ありがとうございましたー」
声を張り上げてハルカは手を振ったが、レイジは軽く会釈しただけだ。
「こらっ、ちゃんと手振りなさいよッ」
「さっき散々お礼を言ったじゃないか」
「それとこれとは別問題よ!」
「何が別問題なんだよ」
相変わらずな二人を、ジョナサンとフィオナは微笑ましく見送っていた。
「ホントに、最初から最後まであの調子でしたね」
二人が見えなくなってから、フィオナは口を開いた。
「若いってのはいいことさ」
うんうんと頷きながらジョナサンが言う
「船長・・・・・、私だってまだ十分に若いですよ」
「ん?そうだったか?」
からかうようにジョナサンは言った。が、フィオナの方は一人壁に手を当てて下を向いている。ブツクサ何か言っているようだ。
「いいんですよ・・・・、どうせ四捨五入すりゃ三十路ですよ、ええそうですよ」
半ば諦めた表情をしている若い(らしい)副長を横目に、船長は二人が消えた先を見つめ小さく呟いた。
「ヴォ・アーバー・ゲファール・イスト,ヴァクスト・ダス・レッテンデ・アオホ」
聞きなれない言葉にフィオナは顔を上げた。
「何ですか?それ」
続けて船長を見る。
「私の生まれ故郷の古語さ。ヴォ・アーバー・ゲファール・イスト,ヴァクスト・ダス・レッテンデ・アオホ。『だが、危険のあるところには、救いもまた育つ』ってね」
「へぇ・・・・・・何気に博識なんですねぇ、船長」
感心したように頷くフィオナにジョナサンは言った。
「何気にってのは余計じゃないかい・・・」
「そうですか?」
悪びれる様子のない副長をみてジョナサンはため息をつきながら言った。
「まぁ、いいさ。・・・さて、彼らの無事を祈って、今日は乾杯でもするか」
「そんな事言って、船長は酒が飲みたいだけでしょう」
「なんだ、おごってやろうと思ったのに」
「えぇッ!?」
「いいよ、俺一人で飲んでくるから」
スタスタとその場を離れるジョナサン。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ船長!」
若い(らしい)フィオナは、大急ぎでジョナサンを追って走っていった。
空港を出たレイジとハルカは、リューンの街のメインストリートを歩いている。
「半年ぶりかな〜」
大きなバックを担いだハルカは、そう言いながらキョロキョロとあたりを見渡した。
「・・・、何も変わってないね」
「半年で変わるかよ」
同じように大きなバックをもったレイジが、呆れたように言う。
「まぁ、そりゃそうだけど。でも、つまんないよ」
「遊びに来たわけじゃないんだし」
「この前だって遊びじゃなかったじゃない」
二人は半年前まで、この月面都市の郊外にある連合の訓練施設にいた。高度戦技訓練課程中もっとも過酷な、俗に「地獄のララバイ」と呼ばれる月面〜宇宙空間での訓練である。
「あれはきつかったな」
「ホントね〜。あれで7割は脱落したんでしょ?」
「なるほど、だから最終日あんなに人少なかったんだ」
「・・・・・あんた、案外白状ね」
「そう?」
やれやれといった感じで、ハルカは額に手をやる。そんな、連れの行動もさして今のレイジの問題ではない。
「それより飯だ、飯〜」
シャトルの中でも食事はしたが、お世辞にも美味いといえる機内食ではなかったし(むしろ弁当だ)、量も少なかった。
「飯、飯ってあんたねぇ」
呆れたようにハルカが言う。が、瞬間お決まりの効果音がした。
ぐ〜
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・聞いた?」
「そりゃもうバッチリ!」
爽やかに、そして笑顔で、ついでに右手の親指までビシッと立ててレイジが応える。
5秒後。
ズルズルと人のカタチをした何かを引きずる少女が歩いていた。
「俺、何したよ・・・」
「五月蝿い!」
「ひどい・・・」
そんな会話をしながらも二人の目は飲食店を探そうとフル稼働している。
しかしどの飲食店を見ても・・・・・。
閉店中。
一時閉店中。
どちらかというと閉店中
準備中。
閉店気味・・・
一時準備中。
閉店ちぅ。
Roちぅ。
探さないでください。
「・・・・・・・・・・」
見事に何処も閉まっていた。
「まだ、退去期間までは日があるのになぁ」
「みんな我が身が大事なのよ」
二人でもう少し歩いてみる。だが相変わらず人はいないし、店も開いていない。
「こんなことなら真っ直ぐ基地に行けばよか・・・・・、って」
ふと前方にレイジは見た。
元祖!月面ラーメンの店「KAGUYA」
「・・・・・・・・・・」
ハルカもすぐ、その店に気づいたらしい。
「・・・・・・・・・・」
同じく無言。そして一言。
「・・・・・ラーメン屋っぽくない名前ね」
「いや・・・・・、意外とああいうところが当たりかもしれん」
選択肢はなかった。いや、食べないという選択肢もあったが腹ペコも限界だ。
「行くか」
「うん」
むしろダッシュに近い早歩きで、二人はラーメン屋の扉を開けた。
「月面ラーメン大盛りで」
「私同じの普通で〜」
月面ラーメンKAGUYAに、やはり客はいなかった。いたのは、老店主ただ一人。こざっぱりした店内は、それでもきれいに手入れが整っている。
「月面の大盛りと普通だね?」
「えぇ」
「少々お待ちを」
そう言って老店主は、沸騰した大鍋に麺を入れた。
「あんたたち、旅行かい?」
茹でながら老店主が聞いてくる。
「いや、旅行というか・・・」
口ごもるレイジ。
「私たち、これから基地に行くんです」
と、ストレートに言うハルカ。
「・・・・・おい」
「いいじゃない。別に極秘命令とかじゃないし」
「そりゃ、まぁ・・・・・」
スープのいい香りが漂ってくる。
「あんたたち、軍人さんなのか」
「そんなもんです」
老店主はそうか、そうかと呟くとスープにお湯を足した。
「街は見たかい」
「えぇ、もうほとんどの人がルイディーンに行っちゃったみたいですね」
コップに入った冷水で喉を湿らせて、ハルカが言った。
「前々から準備はしておけと言われていたからなぁ」
麺のお湯を切りながら、老店主は続ける。
「みんな荷物を持ってさっさと行っちまったよ」
スープの中に麺を入れ、チャーシューを少し多めに、ネギとメンマでトッピングをする。
「まだ日はあるんですけどね」
あぁ、と老店主は頷くと、生卵を出来たてのラーメンに割る。
「あい、月面ラーメンの大盛りと普通盛りだよ」
熱々のラーメンが目の前に出される。二人の目が輝いた。
「ありがとうございます」
「ささ、熱いうち食べな」
「いただきまーす」
言ったか言わずか、恐るべき速度で二人はラーメンを食べ始める。
うんうんと老店主は満足そうな表情でそれを見守っていた。
暫くして。
「ごちそうさまでした」
スープの一滴も残さぬまま二人は月面ラーメンを完食した。
「いい食いっぷりだねぇ、二人とも」
ゴクッと冷水を飲み乾して二人が頷く。
「とっても美味かったです」
同時に言う。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「真似するな」
「真似しないで」
「仲もいいねぇ」
かっかっかと老店主が笑う。
「別にそんな・・・」
「いやいや、若い若い」
そう言って、椀をさげる老店主。二人はといえば、固まっている。そんな二人を見て老店主が口を開く。
「そういえばお二人は、軍人さんなんだろ?」
二人はコクリと頷く。
「ならどうして、基地に直接シャトルをやらなかったんだい?」
「基地の空港はもうシャトルが入りきらないらしくて」
「なるほどの」
「一応、基地に来る前に観光してきてもいいぞっては言われたんですけどね」
「そりゃタイミングが悪いわな」
からからと老店主は笑った。
「こんなに早く、住民の人たちがいなくなっちゃうんじゃ、観光もなにもないですよ」
「確かになぁ」
そう言って目を閉じる。
「みんなあのバッタ野郎が怖いんだろうさ」
「バッタ野郎って・・・・・・」
「ん?なに、シャオダーのことよ。ほれ、お前さんたちだってバッタの大群の話、聞いたことあるだろ?」
「えぇ」
「わしは若いころ、幾度となくそいつを見たことがある。ありゃ、すごいぞ。連中がやってきたところは何も残らない。そして、次の餌場へ向かって飛んでいく。シャオダーも同じようなもんだろ?だから、バッタ野郎とわしは言っとるのさ」
二人は互いの顔を見やった。そして、同じような動きでこの老店主を見やる。
「ん、なんじゃい?」
「お爺さん・・・・・」
真剣な表情で問う。
「何処でそんな事を聞いたんですか?」
シャオダーがそのような存在だと言うことは、まだ一般的には知られていない。普通の人たちにしてみれば、連中は化け物であり、その出所など知る必要もないし、知りたくもないだろう。
近年のシャオダー研究によって、連中の習性のようなものは明らかにされつつあるが、だからといって一介のラーメン屋の店主が知っているようなことではない。
「何処でも聞いたことなぞないさ。ただ、経験と言うかのう。そういう匂いがするんだなぁ」
「経験?」
「わしは昔、地上で農園をやっておったのよ。そのときにバッタの大群やらに何度も遭遇してのう。シャオダーが来たときもなんとなくそんな感じがしただけさ」
研究室の学者たちがやりたくもないシャオダーの解剖をしたり、観察したり、そんな手間をかけ、年月をかけて出した結論も、この老人にとっては「バッタが来た」と同じである。もしこの話を聞いたら研究者たちは泣くなと、そこはかとなくレイジは思う。
しばらく、二人はこの老人から色々な話を聞いた。奥さんや子供、孫のこと、月面ラーメン完成までの秘話、たっぷり3時間は聞いただろう。
別れ際、二人はこの老店主に言った。
「お爺さんは、まだ避難しないんですか?」
老店主はこう答えた。
「期限まではあと2週間はあるからの。みんな気が早くて困ったもんだよ。わしがぼろ儲けさ」
皺くちゃの顔をさらに皺くちゃにして老店主は笑うが、その目は何処か淋しげな色をしている。
去りたくないのだ、この街を。二人はそう思った。
「ごちそうさまでした」
「お爺さんもお元気で!」
レイジとハルカが店の戸を開ける。
「また、わしがこの店に戻ってきた時は、お二人で食べにきなさい。それまで地上で腕を磨いておくからな」
うん、と頷く二人。
かっかっかと笑う老店主。
ガラガラと店の戸が閉まった。シーンと店内が静まり返る。
老店主はよっこらしょと椅子に腰をおろした。
「気をつけてな・・・・・・・」
心配そうに老店主は呟いた。
KAGUYAを出てしばらく歩いた後、レイジは後ろを振り返った。まだ、KAGUYAの看板が見える。
隣を見ると同じようにハルカも、その店を見ていた。
「おいしかったね、ホント」
「あぁ」
「いい人だったよね、おじいさん」
「あぁ」
言ってレイジはその視線を、前方に戻す。
連合の施設までは、まだ数十キロある。
「がんばんないとね、私たちも」
「それじゃ走るか」
「うん」
大きくハルカが頷く。
「よーい」
「どんッ!」
一瞬風が巻き起こる。二人の姿はすでに遥か前方だった。