惑星ルイディーン。
遥か銀河の彼方、とある太陽系に位置するこの星は、魔術と科学の恩恵により高度な文明を築き上げてきた。
天を貫く叡智の結晶バベルタワー、大洋にかかる巨大な光の橋、国々に張り巡らされた魔術結界、人々はその中で日々の平和を享受していた。
魔術と科学、水と油の二つが出会い育まれた星、それがルイディーン。
だが・・・・・・・。
だが、２０年前大いなる厄災が星を包んだ。
光暦１９９９年、１２月２５日
ゲルドニッジ天文台の天文学者、ラファト＝ゲインがその異変に気づいたのは、午後９時過ぎのことであった。
齢９０を越えたこの天文学者は、いつものようにゲルドニッジ天文台ご自慢の天体望遠鏡をつかって、星の観察をしている。初めて父から望遠鏡を買ってもらって以来、８５年間欠かさず続けてきた日課だ。それゆえ、微かな変化すらもこの老天文学者が逃すことはない。
「はて・・・・・・・、なんじゃこれは」
満天の空に、ラファトは光を見た。
「昨日はこんなもの、・・・・・ッ！」
ラファトは自分が夢を見ているのだと信じようとした。だが、冷静な学者の脳が、事態の正確な分析を求め始める。
「スライン！スライン！」
ラファトがその名を呼ぶと、小さな光の玉が彼の前に飛んできた。やがて光は中心部に収縮し、辞書の形を形成する。それは、この世界では当たり前な、精霊と呼ばれる存在の一つだった。
「この光を過去のデータベースと照らし合わせてくれ。わしは国立天文台のクラークに連絡をする」
そう言って、ラファトは老齢と思えないほどの素早い動きで通信設備へと足を運んだ。
「そうじゃ、クラーク所長につないでくれ」
立体映像に映し出された所員に所長への取次ぎを頼んだ彼の元へ、スラインが自分の体である辞書の真ん中のページを開けながら近づいてきた。
そこには一言、『リューン予言』と書いてある。
「何ということじゃ・・・・・・・」
皺くちゃのあごに垂れ下がった白く長い髭を、無意識の内にラファトは撫でていた。
「お困りですか、先生」
立体映像に自分の弟子の姿を認めると、ラファトは髭を撫でるのをやめた。
「先生は困ったときはいつも髭を撫でますからね」
ニッコリと笑った若き弟子だが、師の真剣な表情を見て、真顔に戻る。
「久しぶりじゃな、と言いたいところだが、まずはこれを見てくれ」
そう言ってラファトは、今、刷られたばかりの写真を画面の向こうのクラーク＝ランティに見せた。
「・・・・・・こいつは」
クラークは背中に悪寒を感じた。ただの光が映っているだけなのに、言い知れぬ不安が襲ってくる。
「さっき、スラインにも調べてもらった。あらゆる可能性を探索した結果見つかった答えは・・・・」
ラファトの深く彫りこまれた顔が、より一層深くなった。
「リューン予言じゃ」
ラファト＝ゲイン。星の声を聞き、星に応える者。稀代の天文学者にして占星術師である偉大な師の、こんなにも苦渋に満ちた顔をクラークは見たことがない。
そして、その師の口から出た言葉は、まさに禁忌とも言うべき一言だった。
「リューン予言・・・・・・。１０００年前の大魔術師リューン＝ダモドレッドが残したという、あの予言ですね。しかし・・・、まさかそんな」
「『ある日、空に光が現れる。
それは数日のうちにこのルイディーンへと流れるだろう。
それは命あって命無きものたち。
大いなる厄災の始まり。
私は名付けよう、その厄災を、シャオダーと名付けよう』」
リューン予言の一節をラファトは口に出していた。誰もが、この予言を信じようとはしない。この１０００年の間、誰もがタブー視していた予言だ。
「レッドアイズのリューン＝ダモドレッド。空を裂き、星の海すら飛んだという彼女にまつわる話は山ほどありますけど、その予言だけは我々でさえ触れるのを恐れる・・・」
画面越しのクラークの顔に、冷や汗が吹き出ているのをラファトは見た。いや、おそらくこの自分も冷や汗を掻いているだろう。
「そのような予言は嘘だと信じたいが、楽観できる状態ではないのでな。グランドクロスを使って調べる必要がある」
「グランドクロスならいつでも使えます」
「結構なことじゃ。では、座標を送るぞ」
ラファトは皺くちゃの手で端末を操作した。その手つきには微塵の衰えもない。
転送された座標データは、瞬時にメギストス国立天文台の誇る魔導天文技術の結晶『グランドクロス』に送られた。
やがて、グランドクロスは座標の正体を捉え、画像を転送してくる。
「まさに、身の毛もよだつという意味がピッタリですね」
生唾を飲み込みながら、クラークは言う。その声はどこか震えているようだった。
シャオダーとは古語で身の毛もよだつという意味を持っている。二人が見たものは、それを体現するかのような、およそこの世に存在しえないほどの醜さと、赤とオレンジの混ざった色の眼を晒し蠢く、無数の黒い生命体の塊だった。もっとも塊と言ってもそれは直
径５００ｍほどあったが。
「連合へ報告せねばなるまい・・・」
呟きながら、ラファトはルイディーン連合への回線をつないだ。
バベルタワーでルイディーン各国の首脳による緊急対策会議が開かれたのは、ラファトたちの報告から一夜明けた１２月２６日のことである。
予言は知っていても議論するな、このタブーが始めて破られた瞬間だ。それが記念すべきことなのかはわからない。しかし、星の命運をかけているということは間違いのない事実だった。
年明けて、光暦２０００年１月１日。
ルイディーン各国総意のもと、一隻の宇宙戦艦がその砲身をシャオダーの塊に向けている。
連合が出した結論は、実にシンプルだった。魔導戦争時に建造され現存する唯一の宇宙戦艦「アマテラス」に搭載された魔導砲による目標の完全消滅というものだ。
魔導砲。かつての魔術全盛期に、ある錬金術師により生み出された魔導兵器の一つである。開発された当時でさえ、魔力を高圧縮して打ち出されるその弾『魔弾』の威力は上級魔法に匹敵するほどの威力だったという。
その魔導砲開発から３００年後、今から数えれば約１５０年前、魔術と科学が絶頂を極めた頃、一つの世界大戦が起こった。
後に語られる魔導戦争である。
国々は自らの魔力を、そして科学を利用し互いを滅ぼしあおうとした。
ヤシマ国の建造した魔導砲搭載型宇宙戦艦アマテラス、メギストス国が開発した反魔法
フィールド生成技術、ゲルナダ国のホムンクルス部隊・・・・・・ｅｔｃ、ｅｔｃ。
この戦争で、ルイディーンは荒廃し、文明の一時衰退が起こった。後の人々は自らの愚行を省み、二度とこのような戦争が起こらぬようにとルイディーン連合を設立し、平和の象徴として、また文明の再出発の証としてバベルタワーを建造したのだ。
アマテラスの魔導砲から放たれた魔力の結晶は、寸分の狂いもなく１分後には目標に当たるはずだった。
そう、はずだった。
狙いが悪かったわけではない。
事実、目標があのままなら確実にど真ん中をぶち抜いて消し飛ばしただろう。
また、威力が弱いわけでもない。
事実、魔弾に当たった部分は一瞬で欠片も残さず消し飛んだのだ。
だが。
魔弾が目標に当たる４０秒前、誰もが予想だにしなかったことが起こった。
目標、シャオダーの塊が分裂を始めたのだ。歪な球状だったものが、７つの塊に分裂する。その間わずか１７秒。
魔弾の軌道上に１つ、その周りを囲むように６つとなったシャオダーの群れは、しかしその進路を変えることもなく、ルイディーンに向かってくる。
魔弾の接近を感じ分裂したのなら、魔弾の進路のど真ん中に一つ残すということはありえなかった。シャオダーにとっては、ルイディーンからこの距離で分裂することはあらかじめ決まっていたことだったのかもしれない。
１つの塊を失ったが、残り６つのシャオダーの塊は更にスピードを上げ、ルイディーンへ接近する。
アマテラスの魔導砲が次の魔弾を発射するのにかかる時間は、どんなに急いでも９０分は必要だった。
しかも、今目標は６つにまで分裂し、さらに加速している。拡散型の魔弾にしても、果たして一撃で６つの塊を消滅させることが可能かどうか。
万事休す。
魔弾発射から１時間後、ルイディーンの大気圏で燃え尽きもせず、６つの厄災が大地に降り立った。
６つの塊から、幾体ものシャオダーが這い出してくる。大きさは様々で、小さいものはネズミから、大きいものはクジラほどの大きさがあった。
運悪く、シャオダー落下地点の近くにいた生物たちは、すぐに連中のエサとなった。植物、動物、精霊問わず、生きているもの全て。命の搾取者、それがシャオダーという存在なのだ。
光暦２０００年１月１日、この日、人類とシャオダーによる星の存亡をかけた戦いが幕を開けた。
それから２０年。
戦いはまだ、続いている。