ＡＦＴＥＲ
ＭＡＧＵＮＡ＞＞＞
「だめだよ・・・っ！ だめだよっ！！ 死んじゃだめえぇっ・・・！！」
ハサハがあの人に向かって叫ぶが、もうあの人の動きは止まらなかった。
あの人の胸に、まるで嘘のように突き刺さっているあの人自身の右手の爪・・・明らかに、それは致命傷だ。
アメルの『奇跡の力』を持ってしても、もはや助からないだろう。
俺は言葉もなく、ただじっと、あの人の姿を見ていた。
あの人は・・・・笑っているようにも見えた・・・・。
ドォン・・・！
あの人の体が大地に崩れる・・・もう立っていることもできないようだ。
「・・・おにいちゃん・・・・泣いて・・・る・・・・」
涙声のハサハがあの人に近づく・・・あの人は倒れながら、泣いていた。
もう光を失ったあの人の瞳。恐らくは、もう何も見えていない。
もう、何も聞こえていない。
鼓動が・・・心臓の鼓動が・・・・・止まる・・・。
とくん・・・とくん・・・・とくん・・・・・・とくん・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
熱い・・・。
俺は体が熱くなっていくのを感じていた。
「・・・・・これしか・・・これしか、手がなかったんですか・・・・貴方には・・・！」
哀しみと怒りが入り交じった声で、俺は呻くように言う。
俺はあの人に、何も・・・何もできなかった。
どうしようもない無力感が、俺を襲う。
「・・・・・貴方の心の傷に気付いていたのに・・・私たちは、何もしてあげることができなかった・・・」
俺の隣で、ぎゅっと唇を噛みしめるアメル・・・。
やるせない想い・・・。
自然と、涙が溢れてくる。
「・・・私たちは・・・・・この人を・・・・救えなかった・・・！！」
夜空には、満月があった。
輝く星たちがあった。
あの人の最期をみとった俺たちは、その夜空の下で・・・泣いた。
言葉もなく、泣き続けた。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
「・・・まさか・・・」
その声は突然、アメルの後ろから聞こえてきた。
俺たちは驚いて振り返る。
今まで誰もそこに気配を感じなかったというのに・・・いつの間にかその場には、黒いスーツを着た男が立っていた。男は何かの白い紙を手に持ち、目にかけていた眼鏡を慣れた様子で整える。
「まさかこいつのために、泣く奴がいるとは・・・」
もう二度と動かないあの人を、まるで見下すように眺めながらだった。
あの人のことを知ったような口振り。
「何ですか・・・？ あなたは。この人のこと、知ってるみたいですけど」
流れる涙を左手で拭ってから、俺が男を見て聞いた。
手は油断無く腰の剣に伸びる。
俺の勘がこう訴えていた。
この男は、危険である。と。
男は俺を見ると、無表情のままで答えた。
「・・・私はディス。お前たちの言うところの、『はぐれ』だ」
『はぐれ』。
つまり、リィンバウムとは違う世界からやってきた、主人のいない者ということ。
「・・・・そんなことは、どうでもいいよ・・・」
小さく言ったのはハサハだ。
震える声・・・普段のハサハからは考えられないような、怒りに震えた声・・・。
「どういうこと・・・？ あなたの言った、『こいつのために泣く奴がいるとは』って、どういうこと・・・！？」
ハサハには、その言葉が死んだあの人に対しての侮辱に聞こえたのだろう。
キッ、と鋭い目つきで、ディスを睨みつけるハサハ。
ハサハがあんなに怒った姿は、数えるほどしか見たことがない。
ディスはそれに臆することもなく、世間話をするような感じで言った。
「言葉そのままの意味だ。こんなヤツのために泣く奴がいるなんて驚きだ。こいつは今まで、何人の人間を殺してきたのか知っているのか？ 何人の人間の幸せを奪ってきたのか知っているのか？」
突き放すような内容だった。
「それは・・・！ あの『闇』がいたから・・・！！」
必死に対抗しようとするハサハ・・・しかし、言葉が見つからない。
それは、ディスの言っていることが真実だから・・・。偽りのない事実だからだった。
「・・・同じことだ。結果的に同じなんだよ。こいつが殺したことに変わりはない。こいつの心が弱い所為で、こんなことになるんだ」
「・・・・・・・・・・」
唇を噛むハサハ。その後ろではアメルが拳を握りしめ、俺は・・・俺は今にも腰の剣を抜いて、男に斬り掛かっていきそうだった。
自分で自分を必死に抑え付ける・・・。
「・・・しかし、まさかここで死ぬとは思ってもいなかったな。こいつの意識がヴァレアに勝つとは・・・・・やはり、あのミィルとか言う女の所為か・・・」
ブツブツと呟くディス・・・。
何を言っているのか、俺たちには分からなかった。
「データを取り直す必要があるな・・・全く、五年も費やしたというのに」
データを取り直す？
五年も費やした？
「・・・五年・・・・・五年・・・？」
アメルが震える声で呟くように言い、倒れているあの人を見た。
「この人の記憶が始まったのも、五年前だって・・・」
「それはそうだろう？ 五年前に、俺がこいつをあの森に捨ててきたんだからな」
さも当然のように言い放つディス。
・・・・・少しずつ、分かってきた。
沸き上がる、抑えようもない怒りと共に・・・・・。
「・・・『それ』は、俺の研究物だ」
まるで物を見るように・・・いや、ディスにあの人は物としか映ってないだろう。
冷めた目線で、あの人を眺めるディス。
「俺の世界に住む人間と、『鬼』の合成生物の実験体・・・それが『あれ』だ」
・・・・・・・・・・。
「俺は自分の世界で『鬼』の遺伝子に適合する者を探し出し、『それ』に『鬼』の遺伝情報を組み込んでやった。そして『それ』の記憶を消し・・・この世界にやってきて、『それ』の観測データを取り始めた・・・それが、五年前だ」
・・・・・・・・・・・・・。
「最初に『それ』が獣化したとき・・・俺は柄にもなく興奮してしまったよ。俺の仮説は正しかった。やはり適正のある人間と鬼の遺伝子を組み合わせることによって、究極の・・・」
「・・・黙れ」
言葉は、もう意味をなさないと思った。
この激しい憎悪だけは・・・いくらこの男に何を言っても、収まることはない・・・
俺に言葉を止められて不機嫌そうな目を向けるディスだったが、すぐに何事もなかったかのように言葉を続けた。
「・・・究極の、戦闘生物が生まれることが証明されたのだよ！ 素晴らしいと思わないか！！ ふははははは！！」
その瞬間・・・俺の中で、何かが弾けた。
「黙れええええええええぇぇぇっ！！！！」
俺は叫んだ。何かを吐き出すように、叫んだ。
叫んだと同時に、剣を抜刀して斬り掛かる！
許さない・・・許すわけにはいかない・・・！
あの人の、全てを・・・・・こんなヤツが・・・っ！！
「お前みたいな奴があああぁぁッ！！！」
ギィンッ！
渾身の力で横薙ぎに払った剣・・・だが、それは易々とディスの持つナイフに受け止められていた。
ディスの細腕のどこに、それほどまでの力があるのか・・・。
「どうしてそこまで『それ』の肩を持つ？ 『それ』は大量殺人者なんだぞ？ 現についさっきまでは、お前らの事も殺そうとしていた・・・なのに、何故だ？」
理解できない、というような表情のディス。
それに答えたのは俺ではなく、ハサハだった。
「・・・見えたからだよ・・・・・」
「見えた？ 一体何が見えたというのだ？」
「・・・おにいちゃんの、心が・・・・」
ハサハはキッとディスを睨んだ。その瞳には、今にも溢れるような涙が・・・。
「きれいな・・・・ほんとうにきれいな青い心が・・・・・見えたからだよ・・・！！」
俺は一度剣を引き、バックステップしたあとにすぐにディスに突撃した。ディスはそんな俺をナイフ一本で軽くあしらい、斬撃の中で俺に生まれた隙を見逃さずに拳を叩き込んでくる。俺はその一撃をまともに顔面に受け、その想像以上の威力に吹っ飛ばされた。
「・・・綺麗な、心だって？」
くくく、とディスは嗤う。
「鬼の心を持つ『それ』が、綺麗な心を持っていると言うのか？ 何人もの人の命を奪い・・・自分の愛する者をその手で殺した『それ』に、そんな心があると？」
・・・愛する者を、殺した・・・・だって・・・？
――俺はお前が羨ましいよ。守るべき者がいるんだからな・・・――
あのとき聞いたあの言葉・・・。
寂しそうな、あの人の瞳。
そうか・・・・・そう言うこと、だったのか・・・。
あの人は・・・自分の手で・・・・・。
・・・・・・・・・・。
「・・・あるさ」
「・・・・・何だと？」
「あると言ったんだよ・・・」
あの人には、間違いなく、『心』があった。
「貴様に・・・あの人を嗤う資格はない・・・」
必死に生きていた、あの人を。
そう・・・・嗤っていいはずがない。
「人の心は、とても強いんです」
俺の言葉に続いたのは、アメルだ。
「純粋な心・・・その心は、そう簡単に壊れやしない・・・」
「はっ！ 人の心とは壊れ、移ろいやすいものだ！ 現に『それ』だって・・・」
「・・・勝ちましたよ」
「な・・・？」
「・・・あの人は、勝ちました。黒い心に・・・あなたの言う鬼に、勝ちました」
力強い、アメルの言葉。
アメルの背中には・・・あの羽根が・・・・白い翼が、その姿を現していた。
「天使の翼・・・？」
「これ以上、あの人の心を否定するというのなら・・・・・容赦はしません」
俺と、アメルと、ハサハ。想いは一つだった。
あの人の『心』は、俺たちが守ってみせる・・・！
誰にも、否定させやしない！！
「・・・・・ふふふふふ・・・」
・・・まだ嗤うディス。
「馬鹿な奴らだ」
フッ・・・！
月明かりの下・・・ディスの姿が消えた。
と思った瞬間には、もう目の前にディスの顔があった。
なんていうスピード・・・っ！
ドスッ！
鈍い衝撃が、俺の腹に伝わる。
多少遅れてやってくる激痛・・・俊速のスピードで突き出されたナイフが、俺の腹に突き刺さっていた。
俺は、反応することすらできなかった。
「・・・な・・・・？」
「そういう偉そうなことは、俺に勝てるようになってからほざくんだな」
ガッ！！
体中に衝撃が走る・・・俺は胸にディスの拳を喰らい、そのまま後ろに倒れた。あまりの衝撃に、一瞬息ができなくなる。
「か・・・はっ・・・！！」
地面に倒れる俺に、容赦のないディスの蹴りが直撃した。なす術もなく俺は地面をゴロゴロと転がり、体中に擦り傷を負って止まる。
・・・・・強い・・・！
「・・・召雷！」
ハサハの水晶が眩い光を放った。
次の瞬間ディスの頭上に現れるのは、迸る蒼い稲妻。
ビシャアアアアアアアッ！！
それはもの凄い勢いでディスに飛来した！
しかしディスはその稲妻を横に飛んで回避する・・・俺はハサハの召雷を回避した者を初めて見た。
ディスが動く。
ほんの一瞬で、ハサハとディスの距離が詰まった。
「・・・っ！」
「その程度か。その程度の力しか持っていないくせに、粋がるな！」
ディスの右腕が唸りをあげる！
ヴンッ！
風を切る音が聞こえ、その次にはハサハは吹っ飛ばされていた。
かなりの威力・・・！
ハサハは気を失ってしまったようで、地面に倒れたまま起きる気配を見せなかった。
「・・・今まで、俺が研究してきた成果の全てが、俺の身体には詰まっているんだ」
ゆっくりと、アメルを見るディス。
相手を威圧するには十分なほどの殺気がこもった、ディスの瞳・・・。
しかしアメルは、その瞳に正面から向かい合っていた。
「貴様ら子どもなどに、俺が負けるか」
「・・・私たちも、たくさんのことを経験して、たくさんのことを乗り切って・・・」
アメルは、揺るぎない意志をディスに見せるかの如く、悠然としていた。
・・・アメルは、初めて会ったあの日から・・・ほんとうに、成長した・・・。
「だから、負けない。負けないし、諦めない・・・！」
「・・・そう言うのは、簡単だ。言うのは、な」
ゴッ！！
俺は、何が起こったのか分からなかった。
ただ、いきなりアメルの後ろにディスが現れて、アメルの背中に蹴りを入れたということしか・・・。
アメルは背後からの突然の衝撃に苦痛の表情を浮かべ、つんのめったようにして倒れる。
「くっ・・・・うぅ・・・・」
よろよろと立ち上がろうとするアメル。
・・・だめだ！ やめろディス！！
「これが、どうにもならない力の差というものだ」
ザシュッ！！
「くああ・・・っ！！？」
「アメル！！」
アメルの腹に突き刺さっているのは・・・何かの刃・・・。
ディスの右手が、刃物のような形にその姿を変えていた。
俺は自分の腹に刺さっているナイフのことなど忘れ、駆け出していた。
「・・・自分の無力さを、思い知るがいい！」
そう言いつつ、右手と同じように刃物と化した左手を振りかざすディス。
やめろ！！
やめろおおおおおっ！！！
――・・・好きなんだろ？――
「・・・！！？」
声が・・・・・。
いつか聞いた、あの声が・・・。
――好きなら、大丈夫だ。お前なら・・・・・――
ヒュオオオオオォォォォ・・・・
不気味な程、冷たい風が吹いた。
その風が流れてくる方向には。
「・・・馬鹿・・・な・・・・」
掠れたディスの声。
満月の月を背負って。
赤い血を、流しながら。
あの人は―――！
――守っていけるさ――
この、リィンバウムの大地に立っていた―――！！
ＲＥＳＵＴＯ＞＞＞
・・・なぁ、ミィル・・・。
死ぬって、何だろうな？
立派な死に方って、あるのか？
俺は、立派だったのか？
・・・・・俺には、やり残したことがある。
例えこれが、偽りの再生だったとしても・・・俺はこのほんの数分の時間をくれた運命に、感謝しよう。
俺には、やり残したことがある。
俺に、やれることがある。
マグナ。
アメル。
ハサハ。
・・・・・このまま勝手に死ぬなんて、できるわけ、ないよな？
俺のために戦ってくれているってのに・・・。
・・・ディス・・・・。
狂った科学者。
・・・・・・・・・・・・・。
俺は弾かれたように加速し、ディスの目の前まで来た。
「何故・・・立っているんだ・・・・？ お前は、死んだのでは・・・・！？」
「・・・・・・・・・・」
アメルから離れろ。
ゴォオオオッ！！
凄まじい破砕音と共に、ディスの体は後方に吹っ飛ばされた。俺がアメルに突き刺さるディスの右手を押さえたまま殴りつけたため、ディスの右手は肩から千切れ、赤い鮮血が辺りに撒き散らされる。
力無く倒れるアメルを左手で支え、そして走ってきたマグナへと渡した。
・・・・・ちゃんと守れよ。これからは。
お前一人でも、しっかり守れ。
俺はマグナを一瞥したあと、吹っ飛んでいったディスへと突っ込んでいった。
ディスはどうにか受け身を取り、衝撃によるダメージを軽減したようだ。しかし俺から殴られたダメージは相当のものだったらしく、立っているのがやっと、という感じだった。
「・・・何故だ・・・・・何故・・・・・・」
・・・・・・・。
分からないから、お前は弱いんだよ。
「何故だああああああっ！！！」
ディスは刃物と化した左手を振りかざして、俺に斬り掛かってくる。
・・・哀れだな。
自分の研究物だと言っていた男から、殺されるか。
こいつらしい・・・・最期だ・・・・・。
キィンッ！
ディスの刃は・・・俺の皮膚に傷を付けることすらできなかった。
驚愕するディス。
「あ・・・あ・・・あ・・・・あああ・・・・」
・・・・・・・・・。
俺の爪が唸りをあげた。
そして・・・・。
ザシュウッ！
ディスの体は引き裂かれ、自分の体を真っ赤に染めながら、倒れた。
そしてディスは、体中から煙りをあげながら消えていく・・・。
自分の体を改造した者の末路・・・か。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・。
満月の光が、眩しかった・・・。
そして俺の身体からも、白い煙が立ち上り始める。
・・・・消えるか・・・俺も・・・。
それで、いいんだ。
俺は、消えるべき存在なのだから。
本来なら、もう二度と立ち上がってはいけなかった存在なのだから。
「・・・ありがとう・・・・・」
背後から聞こえる、静かな、マグナの声・・・。
・・・その声は、震えていた。
俺は・・・・・・。
俺は、思う。
・・・お前らに会えて、本当に良かった。
・・・・・俺は・・・・・最期に・・・・・・。
小さく、笑った・・・・。
何のために生きていた？
お前は、何のために生きている？
俺は・・・・・。
大切なものを見つけ・・・そして、それを守るために・・・・。
・・・・・・・・・・
生きて、いたんだ。
Ｆｉｎ