瓦解



錆びた、重みのある錠が小さく揺れている。

それは十秒ほど前に扉を強く蹴られたせいであるが、私はその錠の反復運動を見るのが嫌いでは無い。

薄暗く澱んだ空気と、積み上げられた石の煉瓦の隙間から滴り落ちる水。

それらは混じり合って、鼻を刺す悪臭を時折嗅がせてくる。

天井には灯りが一つ、弱弱しく、頼りなさそうな蝋燭の火が角灯の中で踊っている。

誰が落書きをしたのか、丁度今、私が靴底で踏みつけている石には剣先で引っ掻いたような跡が残っている。

よくよく目を凝らしてみるとそれは何かの絵に見えた。

人、人、馬、犬、人、人、鳥……。

頭上から、しゃがんでいたので正確には前方から、分厚い木の扉を蹴る音が聞こえた。

幾度と無く聞いた音、条件反射で私は重たく閉ざしていた口を開いた。

「うるさいぞ、静かにしろっ！」

錠が大きく揺れた、地面に向かって垂れ下がっていたそれは一瞬その先端を九十度持ち上げて私の目を射抜くような位置になった。

小さく舌打ち……同時に持ち上がっていた錠は重力に従い、小さな金属音と共に落下し、小さく反復運動を始めだした。


私は一体どれだけ長い間この扉を眺め続けていたのだろう？

仕事、そう仕事だから仕方が無い事はわかっている。

だが、昼夜問わずに常にこの場所に居続ける事はある意味、中にいる奴らと同じ境遇では無いのか、そう錯覚さえしてしまう。

溜息は白く濁り、外気が寒い事を暗示させた。

この扉を監視し始めてから二度目の冬が到来しようとしていた。


最初に彼女を見たときは、衝撃が体中を襲ったのは言い逃れることの出来ない真実だった。

私と彼女との間には、常に平行に大きな鏡が存在し、移動する度にその角度を変えているとさえ感じたくらい。

それほど私と彼女は似ていたのだ。

彼女は所謂反社会思考。投獄された詳しい事情は知らないけれど、どうやら要人暗殺を行おうとしたらしい。

未遂に終わったものの、このまま無罪釈放と言う訳にも行かないだろう。

当然、ここに来た当時は扉を打ち鳴らす音は凄まじかった。

いくら頑丈な扉でも、もしかしたら崩れてしまうのでは無いかと危惧する程叩かれた。

だが、それは無駄な足掻きに過ぎず、二度目の冬が回ってきた今では、彼女が打ち鳴らす扉の音は日に一度と無くなっていた。

それも、最初の高圧的な音では無く、弱弱しい、もしかしたら開くかもしれないという願望の入り混じった。なんとも形容しがたい音なのだ。

それは、錠の揺れ方を見ていたらその変化は大いに理解できる。


何処からか冷たい風が入り込んでくるが、体を裂くような寒気も、この薄暗い牢獄の重圧よりはマシなのだろう。

重く閉ざされた箱、ここで死んでいったものは数えれば数日は経つだろう。

彼女はまだ生きている、硬い石畳の密室で、爪は割れ、髪は乱れ、声は擦れているが、まだ生きている。

恐らく、国の狙いは彼女の獄死なんだろう。

処刑するには重罪すぎ、また釈放するには軽罪すぎる。出来れば投獄中に獄死。

だから、彼女が此処から出られる可能性は皆無に等しい。それは本人にも分かっているはず。

格子を嵌められ、腕一本しか通らないような窓から見える風景は、絶えず動き続ける大空の一部分を模写した絵にすら見えた。

余りにも小さいその窓から見える光景なんて、障害物が入りうる隙間もあるわけが無く、ただ単調に、永続的に同じ光景を移し続ける。

今頃彼女もこの窓を見ているのだろうか。

大きな雪粒が窓から入ってきて、手のひらで消えるのを見て、二度目の冬が来たことを理解するのだろうか。

それとも、余りにも繰り返し続けた光景に嫌悪感を抱いているかもしれない。


小さく揺れていた錠がその動きを止めた。

滴る水滴が石をすり減らし、沈鬱な音を響かせている。

私は目を角灯に移した、だが灯火はそこには無く、真っ暗な闇の間から窓の月明かりが差し込まれているだけだった。

蝋燭が切れたのかな、こんな短期間で切れた事に対しては不思議と疑問の念を抱くことはなかった。

空を切る指先……背の高い天井に、届くはずもない。

いや、暗く澱んでいるから、天井がどれくらいの高さなのかは計り知れない。


背後から扉を蹴る音が聞こえ、私は体を震わせた。

今日は扉を打ち叩く音が二度目、物珍しさに私は揺れる錠の側に歩んでいった。

心拍数が上がっていくのを感じ取った。

もう一度跳ね上がるかも知れない扉は、なにやら爆弾でも内包しているような危機感を漂わせていた。

「何か……あったのか？」

錠は顔の側で小刻みに揺れている。何度と無く繰り返した反復運動は錆び絶えるまで続くだろう。

重い沈黙が小刻みな錆に数えられるが、その沈黙を破る音は出てこない。

……発狂でもしたのかな。それとも自殺。いや、自殺は考えられない、行おうと思っても出来るような空間では無いのだから。

「返事をしろ、どうかしたのか？」


突然、返事のつもりか、それとも微かに残った抵抗の表れか、二度大きく扉を打ち叩く音が返ってきた。

その行動に最初は呆気にとられていたが、元の沈黙に戻ると、沸々と怒りが込み上げて来る。

此処に来て初めて扉を叩いた。

「何のつもりだ！」

さらに大きく二度。向こう側にいる彼女を少しでも威圧するために力いっぱいに拳をぶつける。

しかし、やはり返事は無い。

変わりに扉の向こうからは重い金属を引きずるような音が断続的に聞こえてきた。

小さい部屋をまるで鼠のように歩き回っているのだろうか？

やはり、気が触れたに違い無い。

小さく舌打ちをし、素早く手を錠に預けた。


……だが、錠には鍵穴など存在せず、まして私の腰にも鍵穴に入れるべき鍵は持ち合わせていない事に気がついた。

先ほど、扉を叩いた時よりも心拍数が上がっているのを感じる。

一度しか打ち付けたことの無いこの薄汚い扉には無数の傷跡があり、何度も何度も打ち付けられた事を意味していた。

そう言えば、窓から見える光景は囚われた彼女の見つめる、変化の無い周期的なそれを同じである。

薄暗い天井からは明るい角灯の変わりに水が滴り落ちて、石を凹ませようとしている。

部屋の隅には鼠の糞らしきものが落ちている。

私は寒さに対する震えとは別の理由で体を両腕で押さえつける、指先が圧力で白くなっているが、お構いなしに押さえつける。

そうでもしないと本当に今度こそ発狂してしまいそうな気がしたからだ。

頭が前後に動き出す、足の指先が全部外れて、勝手な行動を行う。

心拍数はどんどん下がっていくが、それはきっと寒さのせいだと思う。



重圧感漂う部屋の隅で私は小さく蹲っていた。



三度目の冬まで発狂せずに耐えられる自信は無い。








後書き.


最初に、空がまったく関係無いっていう突っ込みは禁止です。

（一応言葉だけは出てきたので、問題ありません。

ROもまったく関係ないっていう突っ込みも禁止です。

（一応ファンタジーに出てくるような剣なんて言葉出てきたので問題ありません。

それよりも〆切りに間に合うかどうか、そっちのほうで気を揉んだり、ネタが浮かばなくて苦し紛れに投稿したり。

誤字、脱字はいつもの事なので、アオが訂正してくれる事を願っています＾＾


文法上の訂正は突っ込んでください。

何分初心者なので……＾＾；

特に「。」とか「、」とかぜんぜん自信無いし……。


PS.アオアン、またこの企画やれー！！