どうか、血に染まった少女に、幸せを――










　-バルドルの下へ（後編）-










　ソグラト砂漠に囲まれた街、モロク。
　砂漠のオアシスを中心に発展した、辺境の都市だ。
　各都市には、それぞれ、一人の太守が派遣される。
　その太守が、都市を治めるのだ。
　しかし、その太守は無能で、地域色も強い為、王国の支配力は弱い。
　その為、モロクでは犯罪が多発している。
　アサシンギルドが、モロクを囲む、ソグラト砂漠で結成された理由も、それにあった。
　支配力が弱いので、仕事がしやすいのだ。

　しかし、そのアサシンギルドは、恐らくはもう、騎士団によって制圧された。
　その情報は、騎士団から国王へ、そして、国民に広まった。
　勿論、その戦いから、逃げ出し、モロクで隠れて暮らす事になった二人の耳にも、それは届いていた。

　シエとアレンは、モロクの、今は営業を行っていない宿に、寝泊りしていた。
　この宿のオーナーが、行く宛ての無い二人に、泊まってけと、言ったのだ。
　アレンは、その宿の屋根で、夜空を眺めていた。
　思い出すのは、イツキとの、アサシンギルドでの、最後の夜の会話――。

『シエが此処から出たとき、シエは、『自分』に出会えるんや』
『自分に？』
『せや。此処にいれば、感情とか全部切り捨てられるやろ。ただの殺人兵器や』
『・・・・』
『せやけど、尽くした甲斐あってか、シエは、自分を取り戻しつつあるんや』

　イツキが、シエの為に尽くしていなければ、今頃シエは、純粋な殺人兵器として、死ぬまで暗殺をしていただろう。
　イツキは、此処を出る事ができれば、シエが普通の女の子に、『自分』に出会える事ができると、思ったのだ。

『此処にいた時の自分とはお別れ。ウェルカム・トゥー・ミーや』
『・・・・』
『俺の願いはたったひとつや。シエに、幸せになってもらいたい』

　そして今、シエは、外の世界へと出た。
　『人らしさ』を取り戻し、イツキの言う通り、『自分』との出会いは、そう遠く無いのだろう。
　しかし、『自分』に出会う事だけが、シエの幸せでは無い。
　シエには、イツキが必要なのだ。
　イツキと共にある事が、シエの、何よりも大きな幸せなのだ。
　だから――。

「早くきやがれ、イツキ・・・・」

　イツキと別れ、一週間が経った。
　未だに、イツキは姿を現さない。

「アレン・・・・」

　屋根に、シエが来た。
　いつもだったら、とっくに寝ている時間だ。
　眠れないのだろうか。
　いや、ちゃんと眠れた日なんて、無かっただろう。

「シエ・・・・。どうした？」
「眠くなるまで・・・・・」
「・・・・あぁ、いいよ」

　シエはアレンの隣に座ると、アレンと同じ様に、夜空を眺めた。

「アレン・・・・」
「ん？」
「ありがとう・・・・ね」

　いきなり『ありがとう』と言われ、少し驚くアレン。

「私がイツキの言った事、信じられなくて、ずっと泣いてて、それでも、私を慰め続けてくれて・・・・」
「礼を言われる事はしてないさ」
「ううん。アレンのお陰で、あの約束を、信じられるんだから・・・・」

　『俺は絶対、死なへん。約束や！』

　いつか必ず、イツキは、自分の前に、姿を現してくれる。
　そう信じていられるのも、アレンのお陰であった。
　しかし、涙が零れない夜は無かった。
　想うから、涙が零れる。
　会いたい、会いたいと、想うから――。

「でも、やっぱり、会いたい・・・・」
「・・・・待っているのが、きついか？」
「・・・・うん」

　シエの目からは、涙が零れてくる。
　待っている時間が長ければ長い程、会いたいという気持ちは高まっていく。
　その気持ちが高まれば高まる程、涙が零れてくる。

「私・・・・イツキに・・・・イツキが・・・・」

　アレンは、涙を零すシエの頭を、優しく撫でた。

「あいつはすぐに来る。絶対だ。あいつが来たら、その想い、あいつにぶつけてやれ」
「うん・・・・！」

　シエは涙を拭い、照れ隠しする様に、笑みを浮かべた。
　アレンもその笑顔につられ、笑みを浮かべる。

「さっ、子どもはもう寝る時間だ。さっさと寝た寝た」
「子どもじゃないもん」

　シエは頬を少し膨らませて言った。
　そんな表情ができる、普通の女の子。
　イツキはそれを、『普通の女の子』という幸せを願っていた。
　それは、他人から見れば小さな幸せだろう。
　しかし、暗殺者として生きてきたシエにとって、イツキにとっては、大きな幸せになる。

「酒が飲めない間は子どもだ」

　それに、子どもじゃないと言ってる子どもに限って、まだまだ子どもなのだ。
　酒は飲もうと思えば飲めるが、子どもには、まだまだ早い。

「じゃあ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」

　シエは屋根から下りて、自分部屋へと戻っていった。
　再び一人になったアレンは、ふぅ、と吐息する。
　そして、後ろに感じる気配に、声をかけた。

「最初っから聞いてたか？」

　シエには感じ取れなかった、気配。
　アレンは、シエが屋根へ来た時から、その気配に気付いていた。
　暗殺者の後ろで気配を消すのは、難しい事だ。
　いくら、暗殺者並に気配を消すのが巧かったとしても、暗殺者には、その気配を感じられてしまうのだ。

「答えろよ、イツキ」

　後ろから、人が近づいてくる。
　足音はしない。それでも、人なら誰もが持っている『気』というものが、近づいてきているのが分かる。
　そして、『気』というものは万人同じものでは無い。
　一人一人、違う『気』を持っている。
　そして、アレンに近づく、その『気は』――。

「なんや、バレてたんか」

　黒色のボサボサ頭で、黒のロングコートを着た男。
　そう、それは、イツキだった。

　アレンは立ち上がり、振り返る。
　一週間、その顔を見る事は無かった。
　イツキが、確かに、自分の目の前にいた。

「全く、一週間も何してたんだ。シエを泣かせて・・・・」
「モロクに着いたのは昨日の夜の事や。あの騎士と戦って深手負うたから、まともに歩けるまでギルドにおったんや」

　イツキと、あの騎士の戦いの結末がどうなったかは、今、此処にいるイツキが教えてくれている。

「そんな事はどうでもいいんだ。シエを泣かせた罰として、一発殴らせろ」
「好きにしたらええ。殴られたって仕方あらへん」
「・・・・全く・・・・。そんな殊勝にされたら殴る気も失せる」
「そか。なら痛い目みんで済むな」

　アレンは、はぁ、と吐息すると、再び、座った。
　その隣に、イツキが座る。

「聞いてたんだろ」
「・・・・」
「シエの気持ち、気付いてたか？」
「気付いとらんかったこた無かった」
「どう応えるんだ？」
「・・・・」

　イツキは、微笑を浮かべた。

「選択肢はひとつしかあらへんやないか」
「・・・・もう泣かすなよ」
「勿論や」

　『勿論や』。
　イツキのその言葉は、嘘をつかない。
　アレンはそれを知ってるし、信じているから、安心できる。

「せやけど、泣かせてもうた」
「？」
「せやから、何かプレゼントせなアカンと思たんやけど、どうや」
「プレゼントって・・・・」
「明日は三人で出かけるで。太陽を下で、背ぇ伸ばしたろ！」
「あ、あぁ・・・・」

　『プレゼント』という言葉が気になるが、イツキは何も言ってくれないだろう。
　何か企んでいる顔をしている。
　企んでるというと、聞こえは悪いが、そんな顔をしていたのだ。
　何をする気なのだろう。

「シャワー使うてもええか？」
「あぁ、そりゃ勿論だが・・・・」
「汚い体じゃ寝起きが悪なるからな」
「は？」

　イツキは謎の言葉を残し、屋根を下り、シャワーを浴びに行った。
　三度一人になったアレンは、再び夜空を眺める。
　後数時間もすれば、日が昇る。
　その時、シエと、イツキの約束が果たされる。
　そして、アサシンギルドでの最後の夜に交わした約束が、果たされる。

「太陽は、慣れるのに時間がかかりそうだな」





　太陽が昇った。
　砂漠の街は、朝から暑い。
　しかしシエは、爽やかな朝を迎えた。
　瞼を少し開ける。
　朝だ。
　しかし、まだ眠い。
　後５分くらい、寝ていよう。
　そう思って、シエは寝返りをした。

（・・・・？）

　何かが、手に触れた。
　重い瞼を、少し開く。
　そこには、黒色のボサボサ頭が――。

「イツキ！！」

　シエは、一瞬にして、眠気が覚めた。
　確かに、そこには、イツキがいたのだ。
　静かな寝息を立て、イツキは眠っている。
　ボサボサ頭には、紙が貼ってある。
　その紙には、『PRESENT』と一言、書いてあった。

　目からは、涙がこみ上げてきた。
　嬉しくて、嬉しくて、堪らなかった。

「ん〜・・・・」

　イツキが目を覚ました。
　まだ眠たそうだ。
　イツキはゆっくりと上半身を起こし、目を擦った。
　イツキは隣で、喜びの涙を流しているシエを見て、笑みを浮かべた。

「おはよ、シエ」
「うん、おはよう、イツキ・・・・！ イツ・・・・っ」

　シエは、イツキに抱きついた。
　イツキは、まるで子どもを慰める様に、頭を、優しく撫でてやった。

「これからは、ずっと傍にいたる。ずっと、絶対に・・・・」
「うん・・・・！ うん・・・・！」

　イツキは、優しく、シエを抱く。
　シエはより強く、イツキを抱きしめた。

　廊下では、アレンが壁にもたれかかっていた。
　壁越しに、シエの、喜びの涙が聞こえてくる。

　『・・・・もう泣かすなよ』

「まあ、そういう涙ならカウントしないけどな」

「シエ、泣くのはもう止めて、早よ準備せなな」
「え？」
「これから外に出かけるで。太陽拝んで、思いっきり背ぇ伸ばしたろ！」

　シエは、涙を拭い、笑顔で頷いた。
　それは、幸せの笑顔。
　シエは、イツキと出会い、そして、自分と出会い、幸せを、手にした。

　出会いがあれば、別れがある。
　それは、どうにもできない、運命だ。

　しかし、人はそれを覆す事ができる。
　それが、人の力。





　＜終＞










-あとがき-

　バルドルっていうのは、北欧神話の神様です。
　光とか、太陽とか、そういうものを司ってる神なので、バルドル＝太陽という意味で使いました。
　太陽の下で三人が背ぇ伸ばしてるシーンはありませんが、本編終了後の流れは、わかるかと思います。
　まず、前編でいきなりシエは『自分』を失っていて、しかも最後にはイツキと別れてしまいます。
　しかし後編でイツキと再開、そして自分と出会えたと、二重でいい事があったわけです。
　執筆開始した時は、『イツキに出会うがイツキは騎士に遅効性の毒攻撃にやられ、シエの前で死んでしまう』。
　というヤな展開を考えていましたが、ハッピーエンドとなりました。
　書いてる途中、前後編で書くの大変だ、しかもお題に沿っていかなきゃいけないからもっと大変だ。
　と思いながら書いてました。
　大変なのは嫌いです。でも、頑張って楽しんでいただければこれ幸い。大変な事をした甲斐があるってもんです。
　ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
　拙い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました！
　ちなみに、シエとイツキって、実は同じアマツ出身なんですよ。『詩絵（シエ）』と『樹（イツキ）』。