「……ん？」
「あの、聞きたい事があるんです」
背中の外套を強く握り締めたまま引っ張る、紫陽花のような淡い色が印象的な彼女は、申し訳無さそうにそう切り出してきた。
「いや、別にそんなに畏まらなくても、ほら同じギルドのメンバーなんだしさ」
ゆっくりと指先を解き、宙に浮いていた外套を地面に垂らした騎士はそう言って可笑しそうに自らの項に手を当てた。
「……それで、何が分からないんだ？」
「その…よく街中でペットって見かけるじゃないですか」
「見かけるな」
「それを…私も欲しいんですけど……どうやって…捕まえれば良いんでしょうか？」
「どう…って、普通に餌で誘き寄せるんだろうな」
「餌……」
「まぁ、好物な物じゃないとダメらしいけど、あとは捕まえられるかどうかは運だと思うよ」
「…………」
「どうしたんだ？」
「…それは人も同じですか？」
ｐＥｔ
「ペット……？」
「そう、ペット。あ、白い兎が良いかな」
首都の大通りの雑多の中、騎士と魔法使いが歩いていた。
騎士…アレンは自分の目の前にそびえ立つ荷物の山にゆっくりと目を移し、そして再び魔法使いに目をやる。
当然、魔法使い…ラナはそれを見ない振りをして再び露店の方に顔を向けた。
綺麗に飾られた露店には様々な形をしたペットの入っている卵が陳列されている。
完全に見入っているラナの肩をアレンは軽く叩いた。
「そんなもの自分で捕まえればいいだろ、そのほうが安上がりなんだし」
「そうなんだけど、捕まえるの苦手だから……」
そう言いながら悲しそうに俯くラナ。
当然、アレンがそれを見逃すわけは無い……が、しかし、ざっと見渡すだけでも軽く何十万、ひょっとするともう一桁上に乗るかも知れないこの荷物の山の金額……アレンの頭の天秤にはラナと財布が重石としてかけられる。
「ラナ……その気持ちはわかるんだけど、そんなに散財できるほど俺はお金をもってい……」
アレンの目の前には両手に抱えられた卵と、殆ど重みを感じさせないアレンの財布を持ったラナの姿があった。
「何、何の話だっけアレン？」
「……いや、もういい」
そう、今更我がギルドの財政難の原因については深く追求しない事にしよう。
アレンは高々と積み上げられた荷物の山を、崩れるのを恐れながら訝しげに見上げ、そして考えるのだ。
……お金、ちゃんと残るのかな、と。
「うぃー…疲れた……」
両手に抱えられた荷物を落とさないように、アレンはゆっくりと扉を開けて部屋の中に入っていた。
真正面の視界が完全に遮られている中、兎に角荷物を降ろすためにアレンはゆっくりと腰を低くし、地面に荷物を…。
「アレンお疲れ様」
背中のマントを不意に引きずられる感覚……見上げると、宙に舞い上がる荷物の数々。
仰向けの状態で床に向かって倒れこむアレン、頭上に映っているのは、袋から飛び出しているのは無数の刃物……
ああ、そう言えばラナが新しい包丁を一式買ったとか今日言っていたような言ってなかったような……。
硬い木を鋭利なもので突刺す音がアレンが地面に倒れこむ音とほぼ同時だった。
「あ……」
思わず言葉が出ない留守番錬金術師…ベラは、辛うじて生きているアレンの横で座り込んだ。
地面に散乱する無数のゴミ……というよりもラナが買った大事な物だったもの……と鼻先に包丁が突き刺さっているアレン。
「……なぁ、ベラ」
「あ、はい!!」
ゆっくりと腕を動かして指先で自らの頬を撫でるアレン。
「……俺って生きてるよな？」
「……今のところは」
「って今のところだけかよ!!」
「動かないでください!! 動くと顔が切れてしまいますよ!」
「う……」
慎重に床に突き刺さった包丁を抜き取るベラ。
「アレンさん、御免なさい!」
と、深々と頭を下げながら謝るベラ。
「いや、別に良いよ、何も怒って無いし。それよりも……」
ゆっくりと扉のほうを振り向きながらアレンは言葉を切った。
「……どうするのかな、アレン」
顔だけは笑っているラナが入り口の所で立っていた。
両手は青白い髪の毛のような細いひび割れを纏っている。
ああ……とりあえず一番悔いている事はこの鎧が鉄製だったと言うことだろうか。
余りにも電気を良く通しすぎるじゃないのか。
「ちょ、ちょっとまてよラナ、今の見ていただろ？」
無言で頷くラナ。
それを見てアレンは大きくため息をついた。
「じゃあ、分かってるんだろ、最初の原因は…」
「ええ、全部見てたからね。アレンが荷物を放り投げる所をね」
「ち、違…」
「じゃあ、アレンが倒れたのはベラのせいだったの？」
「……すみません、いつもの癖で体を引っ張ったら、まさかこんなに倒れるなんて」
ベラは湯気の立つ紅茶の入ったカップを二人の前に差し出した。
アレンと言えば……先ほどの雷のせいか、まだ体が完全に自由に、とは行かないようだ。
「本当に……その早合点する癖を何とかしてくれ」
紅茶を啜り終えたアレンは再び、死体のように机の上に突っ伏しながらそう言った。
ラナとベラはお互いに目を合わせ、含み笑いを零した。
「ん……何時の間に」
痺れる重い体を持ち上げると、アレンはまだ自分が机の前にいる事に気がついた。
「……何時の間に居眠りしてたんだろな」
両腕を大きく上げるのと同時に床に向かって落下する毛布に気がついた。
「あ、起きましたかアレンさん」
「……結構寝てたんだな」
外は夕暮れ時だったのに、何時の間にか窓の景色は鏡のように室内を反射させている。
「ん、ラナは寝たのか？」
「そうですね、アレンさんがここで寝てしまった後直ぐに自分の部屋に戻られましたよ」
「そうか……」
暫くの沈黙……。
何と言うことの無い、無意味な眠気を誘う感覚。
アレンもベラも何をするわけで無く、ただ机の前に座っているだけだ。
「……あの、俺…」
「アレンさん、ちょっと話したい事が有るんですけれど、少し良いですか？」
「あ、ああ……別に良いよ」
頭の中で疼く不快感はアレンから遠近感を無くし、外界の色さえも奪っていく。
アレンの目の前には畏まった表情のベラが見える。
ただ机からベラの位置までは随分遠くなったり、もしくは目前にまで迫ったりし、それも綺麗な弧を描きながら渦のようにかき乱され続けている。
そう、まるで万華鏡の中に流れ込む流動状の意識のように、アレンは酷い嘔吐感に圧迫されていた。
……彼女の口が開かれ、奥が見えない口の中に意識が吸い込まれてゆく。
「……っん、……さん、アレンさん」
「アレンさん……誰か好きな人はいますか？」
突然のフラッシュバック、焼け付いた映像は炎の焼かれ焦げ散るようにジワジワと意識の内側を侵食してゆく。
不意をつかれたアレンは言葉を出すどころか体を動かす事もままならずに、辛うじてその視線だけをベラに合わせた。
「いや……その……」
今更、何故この様なことを…アレンはそう思いながらも地面の一点を見つめていた。
ベラの声なのか、誰かの……もしくは自分の声だろうか、壊れた蓄音機のような音を奮い立たせるように歌い続けている。
──アレンさんは好きな人がいますか？
「……悪いけど……ベラも知ってるだろ…俺はあいつと……」
あいつ……そうアイツ、ラナだな……。
でも何で俺は今頃それを深く考えているんだろう。
──悪いけど……好きな人はお前じゃなくて……
再び水面から飛び出るように、意識は現実に引き戻される。
「ラナさんですか？」
思わず顔を上げるアレン、目の前に映っているのは、いつもか弱いベラ……のはずだ。
だけど、今の声には確かに人が殺せる殺意や、それとは違う怒りも悲しみも感じられた。
ベラの頬を小さな涙が通り過ぎた。
何故かアレンの目にはとても技巧的に見える涙の雫、その落下速度もアレンには数十秒にも渡る長い時間に感じられた。
──ラナは、お前の事は興味が無い。
「ラナさんは、前他の男の人と一緒にいましたよ」
「……」
言葉を、最小単位に分解させ、再びそれを組み立てる。出来上がった音を声には出さずに復唱する。
──何の話？
──誰が…誰と……
天が高々と飛翔し、折れ曲がった古木のようにアレンは床に体を叩き付けた。
先ほどから心の奥から感じていた奇妙な違和感は、徐々に変色している。
──ラナが裏切った……？
「……そんな」
──誰を裏切った？
「……アレンさんを裏切ったんです」
「……そんな、馬鹿な話がある訳ないだろ!!」
膝をついたままアレンは上半身を起こして椅子に座っていたベラの襟首を強引に掴み寄せた。
「……馬鹿な……そんな馬鹿な……」
両手は既に赤く血が滲むほどの力を加えながら、アレンの視線は朦朧としていた。
全身から力は抜け落ち、打ち砕かれた巌は二度と元に戻る事は無い。
「……じゃあ、直接聞いてみたらどうですか？」
「え……」
アレンの両手にゆっくりとベラの手が触れる。
特に力を入れるわけでもなく、いとも簡単にアレンの両手は解かれる。
「アレンさん、アレン……」
手が…小さな白磁の手がアレンの頬に触れていた。
彼の喉仏から首筋、頬とゆっくりと指を滑らして、頬に流れている涙を拭い取った。
悲しみの混じった笑みを…アレンに向けながら、ベラの口はアレンの顔と交差する。
「……ラナさんは、アレンはもう要らないみたい」
「っ!!」
耳元で、ベラはそう呟いた。
繊細なガラス細工を扱うかのように、ベラの両手はゆっくりとアレンから離れてゆく。
……そう、まるで母親が子供を宥めるように。
「誰？ ってアレン、こんな時間にどうしたの？」
既に動きやすい服に着替えていたラナは扉の向こうに呆然と立っているアレンに戸惑いを隠せないでいた。
「……奴は、奴は何処にいるんだ？」
「奴…って誰の事？ ちょっと、アレン聞いてるの？」
強引にラナを押しのけて足を踏み入れるアレン。
目は虚ろで、青白い気泡を含んだ硝子に似ていた。
「ちょ、ちょっとアレン、人の部屋に勝手に入らないで！」
「うるさいっ！」
ラナはアレンの右拳で烈しく殴打され、机と共に床に突っ伏した。
呻き声を上げながら、自分の目の前に立っている、自分を見下しているアレンに対してラナは感じたことの無い恐怖を感じていた。
「ラナ、お前はそいつを庇うつもりなんだな、そうなんだな？！」
「何……何の話をしているの？」
まだ意識のはっきりしていないラナの髪を鷲掴みにし、持ち上げる。
「くそっ……」
曇った空気の中で、肩で息をしながらアレンはラナに対して殺意の篭った目で睨み付けていた。
「やっぱり……お前は…」
「いやあっ!!」
「っ!!」
その声が、彼女の振り払う手がアレンの中で起爆剤となった。
時間だけが大幅に引き伸ばされ、彼女の叫びが何度も何度も頭の中に響き渡る。
アレンは薄汚れた空気の温度が少し上がったように感じていた。
彼女の吐息も、自らの吐息も、ましてやこの部屋や外界の音など耳には入らない……完全に無音であった。
床に落ちたラナの姿を、まるで魔物のように睨み付けていたアレンの感情は最早一つだけであった。
素早く剣を引き抜いたアレンの動きには何の情も躊躇も無かった。
……鳴り止まない彼女の声を止めよう。
ザシュッザシュッ……
「あーあ……派手にやってる」
壁を一枚挟んで、ベラは二人の……いや一人だけの音を楽しそうに聞いていた。
「二人の絆なんてやっぱりこれ位のものだったんだね、……何て脆い」
最初こそ聞こえた絹を裂くような悲鳴はもう聞こえない。
代わりに肉を裂き抉り取るような、絵の具を壁一面に打ち付けるような音だけが断続的に鳴り続けているだけだ。
「ペット捕まえるのも案外簡単だね……アレンが言っていたように餌を撒けば直ぐに捕まえられる」
カタカタと笑い声を立てる人形の歯のように、机の上の薬瓶が微震して音を立てていた。
「それにしても、この薬良く効くみたい……アレンがあんなに取り乱すなんて…」
ラベルの無い薬瓶を、ベラは指先で摘み上げて縦に軽く振り回す。
精神を高ぶらせ、同時に外部からの影響を全て受け入れるようにする……軽い暗示や催眠みたいなものだ。
もう一方の手には彼のカップを……薬を入れたカップを持って、ベラは歪んだ笑みをかき消して赤く染まる部屋に足を進める。
扉は半開きのまま小さく揺れ動いて、室内に広がる赤色がまるで心臓の鼓動のように思われる。
冷静さを欠いたアレンは全身を真赤に濡らし、生命を宿していたものとは思えない血溜まりの肉塊を見下ろしていた。
「……アレン」
彼女の声に彼は振り向く。
絶望や後悔、その他様々な感情に押し潰された彼は、彼女の笑顔の本当の理由を知らない。
「疲れたでしょう……お茶入れましょうか？」
──あとがき──
この題材で一つSSを考えていたんですけど、締切日当日になって放棄して、新しいのに書き換えてしまいました。
（最初のは余りにもROや題材に無関係すぎたので……）
一応ROのキューペットネタで、前蒼い人が言っていたように明るい話を書いてみま…
……ゴメンナサイ、明るいとか面白いのは基本的に書けないようです＾＾；