Sky   
 ―Prologue―
 





 一人の少年の話をしよう




 少年は独りだった
 
 少年は孤独だった


 もちろん、最初から独りだったわけではない

 少年には父が居た

 少年には母が居た

 暖かい大きな背中をしてオカリナを吹くのが上手な父が居た

 優しい笑顔をいつも絶やさない料理が上手な母が居た


 でも今は居なかった

 遠くへいってしまった

 決して少年にはいけない遠いところへいってしまった


 夜だった

 その日も少年は夕食後の父のオカリナ演奏を母と一緒に聴いていた

 父のオカリナはまるでそれ自体が生きているかのように、流麗な音色を放っていた

 「昔とった杵柄さ」

 そう父は言っていた

 どういう意味なのかもちろん少年にはわからない

 オカリナのほかに父はどんな楽器でも上手に弾けた

 そして何故か弓矢の扱いもとても上手だった

 母はいつもそんな父のオカリナを楽しそうに聴いていた

 「なんでお父さんと一緒になったの?」

 少年はそう問うたことがある

 「何でかなぁ。オカリナがとっても上手かったからかな?」

 母は少女のように微笑みながらそう答えた


 村の人は言っていた

 許されない恋だったのだと

 長い長い旅路の末にやっと掴んだ幸福なのだと

 少年に難しいことはわからなかった

 ただ、なんとなく大変だったんだなぁと思った

 でも母はいつも優しく笑っていた

 大変だったなんて思わせないくらい優しく笑っていた

 怪我をすると母はいつも微笑みながら優しく撫でてくれた

 そうすると傷は消えて痛みも何処かへ飛んでいってしまうのだ

 少年にはそれがとっても不思議なことに思えた


 少年は父が大好きだった

 少年は母が大好きだった

 父の演奏が大好きだった

 父の演奏を聴く母の横顔が大好きだった

 暖かくて

 優しくて

 もうこれ以上の幸福はないんじゃないかと子供ながらに思った


 だけど


 別れは突然やってきた



 遠くの方から甲高い声が聞こえた

 悲鳴だった

 父の演奏はピタリと止んだ

 少年は不満を漏らした

 でも父はいつもの父とは別人のように険しい顔をしていた

 母は大丈夫と言って少年の額を撫でた

 少年は安心した

 だって優しい母が大丈夫だと言ったんだから大丈夫に違いないと思った

 だけど何でだろう

 少年は不安だった

 父が家を飛び出した

 母は心配そうに見送った

 すぐに父は帰ってきた

 とても険しい顔だった

 「村が襲われている」

 父はそういった

 母の顔がとても悲しそうになった

 はじめてみる顔だった

 「モンスターだ。不死者たちもいる」

 少年に父の言っていることはわからなかった

 だけどやっぱり良くないことが起きてるんだと思った

 父は家の奥から弓矢を引っ張り出してきた

 「わたしも行くわ」

 母はそう言った

 でも父は険しい顔を崩さずに言った

 「ダメだ、不死者が居るからといって君を連れて行くわけにはいかない」

 「でも」

 母は引き下がらなかった

 「君まで来たら誰がエルを守るんだ」

 父はそう言って少年を抱きしめた

 優しくて暖かいいつもの父だった

 「ちょっと行ってくるからお母さんを頼んだぞ」

 そう言って先ほどまで吹いていたオカリナを少年に手渡した

 少年は何故かわからないけど、とっても大事なものを渡された気がした

 そしてそんな大切なものを託す父の頼みを絶対聞かなきゃと思った

 物語の英雄たちみたいに必ず母を守る

 そう誓った

 だから

 「うんっ」

 大きな返事をした

 父は満足そうに微笑んだ

 「いってくるよ」

 父と母は抱き合った

 「気をつけてね」

 母はそう言って父を見送った

 死というものを少年がまだ知らなかったときのはなしだ

 ドアから見えた村は釜戸の中の火が暴れているように見えた

 父が出て行ったあとまた急に不安が少年をおそった

 不安はやがて臆病となりぐるぐると渦を巻く

 だけど少年は父に手渡されたオカリナをぐっと握り締めて母のそばへ行った

 自分が母を守らなければいけない

 それは小さな、でも確かな決意だった

 母は多分それをしったのだろう

 何も言わず少年を抱き寄せて微笑んだ

 大きな音がどんどん広がる

 聞いたこともないような呻き声や遠吠え

 何処かで聞いたことのある人たちの叫び声

 色んな音が聞こえてくる

 とっても怖かった

 母も怖そうだった

 でも優しく微笑んでいた

 時間が過ぎていく

 怖い音がどんどん近づいてくる

 よくわからないけど、どんどん心臓が高鳴っていく

 「外へ出ましょう」

 母がそう言って少年の手をぎゅっと握り締めた

 怖い外に出るのは嫌だったけれど自分が母を守るのだ

 だから少年も母の手をぎゅっと握り締めた

 木のドアが開く

 すぐ目の前に父が背中を向けて立っていた

 傷だらけだった

 それでも弓矢を構えて立っている

 父が弓矢を向けている場所

 そこにはよくわからないけどとても怖そうな人が居た

 でもよく見ると人じゃなかった

 人はあんな色をしてはいない

 人はあんな虚ろな目をしてはいない

 そいつは人じゃなかった

 人じゃないそいつはどんどん近づいてくる

 父が矢を放った

 寸分の狂いもなく矢はそいつを貫いた

 やったと少年は思った

 でもそいつはちょっと歩くのをやめただけでまた近づいてきた

 「ヒール!」

 母がいつも少年の傷を治してくれる魔法の言葉を唱えた

 父の傷は少し消えた

 でもとても辛そうだった

 「ヒール!」

 また母が言った

 でもそれは父にじゃなくてそいつに向けられていた

 少年は母の行動が理解できなかった

 小さな非難の目を母は微笑んで受け止める

 そしてすっとそいつの方を指差した

 不思議なことだけどそいつはとても苦しそうだった

 何だかとてもこの世のものとは思えないような声をだして、そいつは崩れていった

 「生あるものに祝福を 不死なるものに安息を」

 母は厳かに言った

 いつも見る母とは違ってとても凛々しかった

 少年はこちらを振り返った父に駆け寄った

 駆け寄ろうとした

 何処からか風切音が聞こえた

 遠くから何か飛んでくる

 それが父の背中に

 刺さった

 大きな父の体が揺らぐ

 父はその場に跪いた

 少年は矢の飛んできた方向を見やった

 弓を構えた骸骨がいた

 ぞっとした

 でもそれ以上に怒りが湧いてきた

 幼かった

 だからその行為がとても愚かだったことに全然気付かなかった

 怒りに駆られるまま少年は骸骨へと向かう

 その後は一瞬だった

 矢が飛んでくる

 少年の腹に刺さった

 倒れた

 母がまた魔法を唱えた

 弓を構えた骸骨が崩れる

 母が駆け寄ってきた

 急いでまた魔法を唱える

 本当に一瞬だった

 母は泣きながら魔法を唱える

 何度も何度も

 だから少年の傷はみるみる治っていった

 でもとても痛くてとても熱くて少年は泣きそうだった

 でも少年は堪えた

 そして自分がとても馬鹿なことをしたのだと理解した

 ごめんないさいと謝った

 母は泣くのを止めはしなかったけど、微笑んで許してくれた

 父がゆっくり近づいてくる

 母は父にも魔法を唱えた

 だけど少年に力を使いすぎたのかほんのちょっとした傷は癒えなかった

 父はまっすぐ村の方を見やった

 変なやつらはまだいっぱいいた

 どんどん近づいてくる

 父は少年と母を守るように堂々と立っていた

 そしてさっきの骸骨や人じゃないやつに向かって次々と矢を放っていった

 
 ちっぽけな幸せを守ろうと必死に足掻くとき


 人はヒトを超える


 父の姿は、物語に出てくる英雄そのものだった
 

 やがて少年たちは怒涛の中へのまれていく

 その間の記憶が少年にはない


 気がついたとき少年は母に抱きかかえられ地面に転がっていた

 少年は周りを見渡した

 怖いやつらはいなくなっていた

 ただよくわからない骨や肉片のようなものが散乱しているだけだ

 傍らでは父が寝ている

 少年はふと自分の手を見た

 べっとりと赤い、とても赤い血がついていた
 
 でも少年は全然何処も痛くなかった
 
 はっと少年は理解した
 
 この血は自分を抱きかかえている母の血だ
 
 急いで母に呼びかける
 
 母はうっすらと目を開けた
 
 「エ・・・・ル・・・、ど・・・こも・・・・怪我・・・な・・い?」
 
 優しい声
 
 途切れ途切れの優しい声がした

 少年は思い切り首を縦に振って頷く

 「よ・・かった・・・・・」

 母は微笑んだ

 そして少年の頬を撫でる

 そのまま眠るように母は息絶えた

 少年には母が死んだということが理解できていない

 だから本当に寝たのだと思った

 そっと母から身を離し少年はすぐ傍の父の顔を覗き込んだ

 眠ったように動かなかった

 ゆすろうと思って触れた手が冷たかった

 冷たくて冷たくて

 氷よりも冷たいんじゃないかと少年は思った

 そしてもしかしたら二人は、永遠に目を覚まさないんじゃないかと思った

 すると、今まで堪えてきた涙が堰を切ったように溢れてくる

 物言わぬ父と母の傍で少年は泣いた




 そして少年は一人ぼっちになった





 大きな街、たくさん人がいる街だった

 少年は今、その大きな街の大きな教会の中にいる

 目の前では、白い髭を生やしたお爺さんが少年に語りかけているところだった

 「お父さんとお母さんは天に召されたのだよ」

 なんで土に埋められたのに空へ行ったのか少年にはわからなかった

 だけどこの偉そうな人が言うのだから、父と母は空にいるのだと少年は信じた

 そしていつも空を見上げていたらまた二人に会えるんじゃないかとも思った


 

 小さな手が握るのは、使い込まれたオカリナ


 小さな瞳が見つめるのは、遥かに高い空


 小さな彼が求めるのは、失ってしまった幸せな日々



 閉ざされた小さな心


 錠はまだ落とされたまま









 †あとがき†
 何か中途半端な終わりです。
 続かない、続きます、続くとき、続けば、続け。
 ・・・・続け。
 というわけで、書いてみました。
 てか、昔書いて放置してたものを書直しただけだったりします。
 ちゃんと、絆が描けてるといいな、と。
 
 一応、バードとプリーストの夫婦、そしてその子供のお話でした。
 雰囲気が伝わっていれば幸いです。