アメノサイカイ



　空が、泣く。

　涙は雫となり、大地に惹かれ、落ちてゆく。
　
　
　渇いた石畳に、最初の一滴が落ちた後には、もう止めようがなかった。
　まるで人々の哀しみを一身に集めたかのように、空は泣き続ける。
　ぽろぽろと、ぽろぽろと。
　
　
　


　雨のせいか、人の姿もまばらなプロンテラ。プリーストが一人、ベンチに座っていた。
　雫に濡れる長い黒髪も、身体のラインに張り付くような衣も気にしていないのか、ただ静かにその身を空の涙にさらしている。
　彼女は、人を、大事な人を待っていた。
　だが、彼女自身、それが無駄な行為であるということを理解している。
　もう一週間も前に、待ち人は帰ってきたのだから。
　
　
　
　一週間前。
　薄黒い空の下、長い葬列が大聖堂へと向かっていた。
　聖堂騎士団の騎士たちが、その肩に柩を乗せて歩いている。
　中身はかつての仲間たちだった。死に捕らわれ、連れて行かれた者たちの重み。命とは柩のように重く、そして羽のように軽い。
　止まることのない列は、静かに大聖堂へと近づいてゆく。大勢の人々が道を譲り、物言わぬ者たちに弔いの哀歌を捧げていた。
　葬列を見送る群集の中に、あのプリーストがいた。
　仕事場の大聖堂では、彼女がいないことがちょっとした騒ぎになっていたが、
その時の彼女の心情を考えれば、強く咎めることはできないだろう。
　空より先に、柩の列を見つめる彼女の瞳から雫がこぼれた。たまらず、彼女は群集から抜け出す。
　わかってはいたことだった。２日前にはすでに大聖堂にも、そして彼女にも知らせはいっていたのだから。
　それでも、こうして見に来たのはどこかでそれを否定したかったからだ。
　裏通りを走り抜け大聖堂が見える頃、プリーストの頬に空から雫が落ちてきた。
雫はその数を増し、あっという間に乾いた地面を濡らしてゆく。
　顔が濡れているのは、泣いているせいではない。雨に濡れたからだ。言い訳の口実が見つかり、プリーストは力なく笑った。
　皆に、余計な気は使わせたくない。とはいえ、まだ大聖堂に来ていないということで、十分騒ぎにはなっているだろうが。
　プリーストはごしごしと目元を拭って、歩きだす。大聖堂につく頃には、もうこの顔を濡らす水分は、涙か雨か見分けがつくまい。


　
　
　再び、一週間後のベンチ。
　プリーストは、いまだに現実を受け入れることが出来ないでいる。
　もっとも、皆からのありきたりな慰めの言葉には誠意を込めた感謝を表し、
礼拝や雑務についても以前と変わらずきっちりこなすなどして、表面上は受け入れていた。
　彼女は立ち直ったのだと大部分の人が思うのに、それは十分なものだった。
　だが、実際には違う。彼女の内側は、いまだに現実を受け入れることを拒んでいた。
　認めてしまうのが怖い。受け入れたら、認めたら、もう絶対に彼には会えない。
そんな、脅迫じみた想いがプリーストの中には渦巻いていた。
　だから、なんの根拠もない希望を抱いて、彼女は今日も待ち続ける。
無駄だとわかっていながら、ずっと共に生きて行こうと誓い合った人を待ち続ける。
　
　過ぎ行く時間は自分を癒してくれるのか、無意味な行為は自分を癒してくれるのか。
　ぼんやりと、涙を流す暗い空を眺めながらプリーストは夢想する。
　門の先に広がる草原から、ぼろぼろになりながらも彼が帰ってきて、私の体に倒れこんでくる、そんな物語のような光景を。
　「にゃー」
　突然、足元に絡みつく暖かさを感じて、プリーストは夢から醒めた。
　見れば、白と黒の混じったねこ―まだ仔猫といってもいい―が、プリーストの足に顔を摺り寄せている。
　雨に濡れた毛並みが、ぺったりと身体のラインに張り付いていた。
　自分も、きっとこんな感じなのだろうか。プリーストは白黒のねこを抱き上げ、今更ながらそう思った。
　見ず知らずの人間に抱かれたにもかかわらず、ねこはごろごろと喉を鳴らしていた。
　濡れた毛並みを撫でてやると、うれしそうに目を細め、プリーストに身を任せてくる。
　「あなたは、ウルタールからでも来たの？」
　警戒心のまるで無いねこの姿に、プリーストは、夢の国はスカイ河の彼方にあるというウルタールの街を思い浮かべた。
　そのかみのいわくありげな掟によって、この街では何人たりとも猫を殺してはならないという。
　優美なねこたちが、かの街中を闊歩している様を想像して、プリーストは頬が弛むのを感じた。
　「にゃ」
　ねこが笑っているように見えた。
プリーストも自らの細く長い指を、ねこの鼻にちょんとつけたり、その小さな眉間をなぞったりして笑った。
　不思議なことに、プリーストは安らぎというものを感じていた。
それは、ねこを可愛がって得られるのとは違う、もっと特別な、切なくて、愛しいものだった。
　どれくらい、時間がたっただろうか。空は、まだ泣き続けている。
辺りは夜が近づいているようで、闇が濃くなってきていた。
　「あ・・・」
　「うにゃ」
　何の前触れも無く、ねこはプリーストの腕から飛び降り、一声鳴いた。
まるで、時間が来てしまったことに慌てて気がついたかのようだった。
　「もう・・・・・・・、行っちゃうんだ」
　そっとプリーストはねこに話しかける。何かを覚ってしまったのか、その声色は静寂そのものだった。
　「にゃ」
　まるで返事をするかのように、ねこは鳴いた。
そして、名残惜しそうに離れていき、さらなる暗がりに入ろうとしたところで、ベンチに座るプリーストの方を向く。
　「・・・すまない、クレア」
　ねこが、そう言ったように見えた。
　プリーストは、懐かしい温もりの残滓を腕に感じながら頷き、微笑んで応える。
　「うん、・・・・・いいの」
　「・・・・・・・」
　「来てくれて、ありがとう」
　「にゃー」
　ねこは一声鳴くと、哀しくも優しいその声色を残して、闇の帳に消えていった。
　
　頬を伝うのは、雨だろうか。それとも涙だろうか。
　どちらとも知れないまま、プリーストは空を見上げた。
　
　
　空が泣いている。
　
　でも、いつかきっとこの空は泣き止むことだろう。
　
　
　そう・・・・・、止まない雨は、無いのだから。
　
　
　
　
　
　
　†あとがき†
　
　雨。
　そんなに嫌いじゃないです。でも、梅雨は例外。じとじとはイヤ。
　
　というわけで、相変わらずＲＯへ復帰して無いくせに、コッソリと書いてみました。
　お題が雨って言うよりは、むしろ「ねこ」とか「涙」とかっぽいのは素敵に気のせいです。蝶・気のせい。
　・・・・。
　・・・・・・・・・ダメ、デスか？
　・・・・。
　お代官様、そこをなんとか。饅頭とかないけど