雨に打たれていた。
　空はどんよりと曇り、小さな雨の粒がぱらつく天気。

　王都プロンテラの中央通りから離れた、ちょっと寂れた小路地。

　私はどこかの家の壁に背を預け、ぼーっと立ちつくしていた。

　さっきから雨が私の顔に当たってるけど、さほど気にならない。
　小雨だし、寧ろ気持ちがいいぐらいだ。

　音もなく降り続ける雨。
　明日は晴れるかなーとか考える。
　個人的に雨は好きなんだけど、何となく晴れて欲しいかなと思う。

　ここ一週間ぐらい、あの空の碧色を見てない気がするから。



雨の日の幻



　ゴーン、ゴーン、と鐘の音が聞こえてきた。
　大聖堂の鐘の音だ。
　ってことは、今は午後の礼拝の時間・・・・お昼過ぎってところらしい。

　あらら・・・私、朝からずっとここにいるから・・・・数時間は雨に打たれっぱなしだ。
　いくらなんでもまずいかな。風邪とかひきたくないんだけどなぁ。
　それでも私は、その場から動くつもりはなかった。

　傘でも持ってくれば良かったかな・・・
　傘・・・・傘と言えば、あのロッカが持ってる大きな葉っぱ。あれ使ってみたい。
　一種のおしゃれになるんじゃなかろーか。

　・・・でも、アレを手に持って王都の大通りを歩く度胸はないかな。

　そのとき、クゥゥゥとヘンな音が聞こえてきた。
　・・・いや、聞こえてきたというか、出した。

　お腹すいた。

　考えてみれば、朝からずっと何も食べてないような気がする。
　ううむ・・・腹が減ってはなんとやら。何かつまみたいんだけど・・・

　今何も持ってないしなぁ。お金はあるけど、肝心のお店がないし。
　困った。我慢するしかないんだろーか。
　色々考えあぐねていると、道の向こう側から歩いてくる人影を見つけた。
　後ろにカートを引っ張っている、男のブラックスミスさんだ。

　私はその人をじっと見つめ、目が合うと会釈した。

「こんにちわ」
「あぁ」

　BSさんもそれに応え、手を挙げてくれる。
　頭にゴーグルを付け、口にはタバコを銜えたなかなか格好いい人だった。
　タバコの火が雨で消えないのが不思議・・・ってそんなことはどうでもいい。

「あの、いきなりですけど、何か食べるもの売ってくださいませんか？」
「はぁ？ 別にいいけど・・・・アンタこんなところで何やってるんだよ。近くに食堂があったと思うぞ」
「いえいえ、私ここを動くわけにいかないんで」
「人でも待ってるのか？」
「えへへ・・・」

　私が曖昧に笑うと、BSさんはそれで納得したようだった。
　ちょっと待ってろ、と言うと、自分のカートの中をごそごそと調べる。

「果物しかないな。いいか？」
「はい、ありがたいです」
「リンゴとバナナがある。どっちがいい」
「リンゴで」
「飲み物いるか？ ミルクならある」
「ついでだし、頂きます」
「ほらよ」

　BSさんはリンゴ3つとミルク1つを私に差し出してくる。
　お礼を言いつつそれを受け取った私は財布を取り出した。
「おいくらですか？」
「いいよ、とっとけ」
「そういうわけにはいきません。お金ならありますから、お支払いします」
「・・・じゃあ、10zでいい」
「それってかなり安いじゃないですか？」
「あぁ、破格だ」
「じゃあだめです。ちゃんと払わせてください」

　むぅ、と唸るBSさん。
　私もここで折れるわけにはいかない。
　なんて言うか・・・・嫌なのだ。こういうのはちゃんとしないと。

「・・・アンタさ」
「はい？」

　BSさんは困ったような怒ったような・・・なんとも複雑な表情で私を見た。
　私は首を捻る。なんでこんな顔してるんだろう、彼は。

「大事なんだな」
「え？」
「来るといいよな」
「あの・・・・？」

　そう言うや否や、BSさんは突然走り出した。
　カートの車輪がガタガタと音を立てるほど、早く。

「ああああ！！ どこ行くんですかっ！！」

　気づいたときは既に遅く、BSさんは遠くへ。

「俺からのプレゼントだと思っとけ！」

　そう言葉を残して、道を曲がって姿を消してしまった。
　あちゃあ・・・やられた。
　しかも見てみると、私の横に黄色い傘が立てかけられている。さっきまで無かった傘だ。
　気づかないうちにあのBSさんが置いてったに違いない。

　・・・顔は覚えている。
　次に会ったとき覚えてろ。

　ありがとう。
　私は心の中でそう呟くと、もらったリンゴにかじりついた。




　傘をさす。
　雨が傘に当たり、ボツボツと音がする。

　その音が、心地よかった。

　これは、人の優しさから漏れた音。
　私を守ってくれる黄色い傘。
　思わず、笑みがこぼれる。
　なんだかこそばゆい感じがした。

　笑顔のままで立ち惚けていると、子供が二人、こっちに駆けてくる。

　小さな男の子と、女の子。
　男の子は腰に立派な木の剣を持ち、女の子の方は・・・鈍器？ 鈍器だよねあれ。
　殴られたらとにかく痛そうな鈍器を持っていた。
　なんて言うんだっけああいうの・・・・・・釘バット？

　そんなこんなを考えていると、二人は私の前まで辿り着いていた。
　雨が降ってるのに傘なんて持ってない。さすがは子供。風の子で元気な子。

「おねえちゃん、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん〜？ 何かな？」
　男の子の方が、気持ち背伸びをしながら私に問いかけてくる。
　私は前屈みになり、男の子の視線に合わせるようにした。

「このあたりでさ。幽霊が出るって聞いたんだ。僕たち捜してるんだけど、知らない？」

　・・・かなり初耳だった。
　私は長いことこのプロンテラに住んでるけど、このあたりに幽霊が出るなんて噂は聞いたことがない。
　大聖堂の裏とか、王城の中とかなら聞いたことあるけど・・・・

「んー・・・分からないなぁ。ごめんね」
「そっか・・・ううん、いいよ。苦労して見つけた方が、後で嬉しい気持ちがたくさんになるからねっ」
「えぇ〜〜まだ捜すの〜・・・・・もう帰ろうよぉ。雨も降ってるよぉ〜」
「この程度の雨でへこたれるヤツがあるかっ！ それでも僕の弟子かよっ！」
「私弟子じゃないよぉ〜〜！」

　男の子と女の子の言い合い。
　見ていると微笑ましい。ついつい、笑顔になってしまう。

「ねぇ、幽霊を捜してどうするつもりなのかな？」
　興味本位でそう聞いてみる。
　子供の考えを想像するに、退治するとか、追っ払うとか、そういうのなんだろうなぁと思っていた。
　けど男の子が言った言葉は、私の想像とは違っていた。

「あのね！ 友達になるの！」

　目が点になってしまった。
　幽霊と友達になると言うんだ。この子は。

「幽霊さんと友達になって、一緒に遊ぶんだ！」
「一緒におやつ食べて、一緒にお昼寝するの〜」
「僕の秘密基地教えてやるんだ！」
「一緒にご本を読んで、おままごととかもやるの〜」

　目を輝かせて、私に向けて力説する二人。
　退治とか、追っ払うとか、そういう想像をしてた自分が恥ずかしい。
　そっか。友達になるんだ。

「見つかるといいね。幽霊さん」
　私は優しく、二人の頭を交互に撫でてやる。
　小雨とは言え、雨の中走り回ったらしい二人の頭は濡れて冷たくなっていた。

「でもとりあえず、一度家に帰って傘とか持ってきた方がいいと思うな。風邪ひいちゃうよ」
「う〜〜〜ん、でも一回帰っちゃうと、ママがお外に出ちゃいけませんとか言いそうだよ」
「でも、お母さんも心配してるかも。幽霊さんはきっと逃げないよ、ほら」
「お姉ちゃんの言うとおりだよぉ〜、一度帰ろ〜〜」

　女の子に手を引っ張られて、男の子は渋々といったように後をついて行く。
　家へと帰るんだろう。

　私は微笑みながらそれを見送っていたが、ふと男の子が大声で叫んだ。

「お姉ちゃん！ 来るといいね！」

「・・・・・？」

　グッと親指を突き立てる男の子。
　私は訳が分からず・・・それでもグッと同じように親指を立てて返した。




　暗転。

　漆黒。

　そして深紅。


　生暖かい何か。

　その何かが、じんわりと広がっていく。

　壁に飛び散っている。

　地面に飛び散っている。

　空に舞い上がり・・・それは落下してくる。

「・・・・え・・・？」

　何が起こったのか分からない。

　自分はどこにいるのか分からない。

　目の前にいるのは誰？

　横にいるのは誰？

　あの黒いのは何？

　あの紅いのは何？


　暗転。

　・・・水音。

　確かあの日も、雨が降っていた。




　・・・・・・・・・誰かを待っていた気がする。
　いや、気がするんじゃない。
　私は待っているのだ。

　で、誰を待ってるんだっけ？

　・・・・・

「いよいよ、やばいかな・・・」

　思わず独り言。

　雨は相変わらず降り続いていた。

　誰を待ってたんだっけ。
　誰を待ってたんだっけ。
　誰を待ってたんだっけ。
　誰を。誰を。誰を。

　・・・・思い浮かばない。
　でも私は待ち続けている。

　言いようのない不安が、私の胸を締め付ける。

「・・・何か、お悩み事ですか？」

　・・・・だから、その声に気づくのにちょっとだけ時間がかかった。

「・・・え？ えっと・・・・あれ？」
「随分と難しい顔をしておられました・・・話すことで楽になると言うのなら、お聞き致しますよ」

　そう言って控えめに微笑むのは、女のプリーストさん。
　いつの間にか私の目の前にいたその人は、ぎゅっと私の手を掴む。

「一人で抱え込んでいてはいけませんよ。私も微力ながら、お力になれるかもしれません。
　どうか話してみてくださいませんか？」

「い、いや〜その、なんていうか・・・」
「恋の悩みですか。えぇ、そういうの得意ですよ」

　人の話を聞いてない。というか脳内で勝手に私の悩みを構成してる。
　・・・侮りがたし聖職者。
　私は苦笑すると、やんわりと握られている手をほどいた。

「ありがとうございます。お気持ちは嬉しいですけど、大丈夫です」
「・・・そうですか？」
「はい」

　ちょっとだけ残念そうなプリーストさん。

「・・・ここで、何を？」
　疑問に思ったのだろう。私にそう聞いてくる。
　私は内心ドキっとしながら、それに答えた。

「待ってるんです」
「そうですか。誰かと待ち合わせですか？」
「えぇ、たぶん」
「・・・・・たぶん？」
「あ、いえいえ、待ち合わせしてるんです」

　確証はないが、そういうことにしておこう。

「人を待ってる時間って、なかなか素敵ですよね」
　ふと、プリーストさんが言った。

「いつもなら何気なく歩いていく道や、流れていく景色。
　それを、人を待ちながらぼーっと眺めたりする・・・素敵だと思いません？」
「そうですね・・・・・」
「今日は雨ですから、ちょっと待ち合わせには良くない天気ですけど。
　どうせ待つんですから、楽しんでくださいね」
「・・・・はいっ、ありがとうございますっ」

　人を待つことを楽しめなんて、生まれて初めて言われてしまった。
　待ち人がいつ来るかとドキドキしながら、時を過ごす。
　
　ちょっと考え方を変えるだけで、この時間も素敵に思えてくるから不思議だった。




　貴方に、伝えたい言葉があるんです。
　事が終わったら、プロンテラのいつもの場所に来てください。

　待ってます。




　プロンテラ周辺で、化け物の姿が確認された。
　化け物、と言っても、姿形は人間と同じ。
　違うのはその能力だ。

　ソレは一瞬で大魔法の詠唱を完了させ、
　ソレは一撃で建物の壁を粉砕し、
迫り来る様々な攻撃を難なくはじき飛ばした。

　何のための殺戮か。
　何のための行動か。

理由は分からない。

　私は騎士で。
　ソレを殺すための特別部隊の一員として、戦場へと赴いたんだ。



　そしてそれは、雨が降る日だった。



「・・・・・・」
　彼は、来た。
　私が待つこの場所へ。

　私は微笑む。精一杯微笑む。
　今微笑んでおかないと、絶対後で後悔する。そう思ったから。

「・・・来て、くれました」
「・・・・・・・あぁ」
　彼はまっすぐ私を見てくれない。
　じっと地面に視線を落とし、何かを耐えているようだった。

　私は彼とは逆に、空を見上げる。

　雨はその勢いを完全に失いつつある。
　薄い雲。その向こうに広がるであろう、果てしなき碧。

　うん。
　時間、ないみたい。

「言わせてください」

　視線を戻し、彼の元へ。
　大きく深呼吸。やっぱり緊張するモノだ。

　彼はゆっくりと視線を上げて、私を見てくれた。

　だから私は、もう迷ったりしない。

「世界は、素敵なところです。

　空の色。風の音。大地の匂い。川の調べ。雨の優しさ。太陽の微笑み。

　それは誰のものでもなく、そして、皆のもの・・・

　すべて、貴方のものです。

　感じてください。世界を。

　そして、その世界に生きる人たちを。

　貴方は一人じゃない。ただ気づいていないだけ。

　これから先、泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・色々あると思うけれど。

　大丈夫です。

　だってこの世界は、素敵なところですから」

「・・・・・・」

「だから・・・・」

　一度言葉を句切る。

　言えば終わってしまうから。
　だけど、終わらせなければならないから。

「私が居なくても、平気ですよね？」

「平気なわけ・・・・あるかよ！！」

　ドン！ と彼は壁を拳で叩きつける。

　握り拳で。

「俺には、お前が必要だ・・・・・頼む。行かないでくれ・・・！」

「・・・・・」

　耐える。
　とにかく、たくさんのことを。

　二人で一緒に過ごせただろう日々。
　一緒に笑っていられた時間。

　大好きな、貴方。

　さようなら。

「ごめんなさい。無理」

　そう言って、笑ってやった。
　胸を張って意地悪く。

「なんで・・・・・・・・なんで笑うんだよ・・・・・なんで笑えるんだよ・・・・！」

「なんで？」

「お前はっ・・・！ もう・・・・・！！」

「だって、泣いてさよならなんて、したくないじゃないですか」

　雨が止む。

「私は・・・・幸せですね」

　目の前には、涙を流しながらも、じっと私を見てくれている彼がいた。

「あの・・・」

「・・・・・なんだよ」

「呪い、かけていいですか？」

「は・・・？ ノロイ・・・？」


「好きです。これからも、ずっと」




　<><><>




　何も残らなかった。
　ただ、光が昇っていくのが見えただけだ。

　・・・言った瞬間消えやがった。
　全く・・・・なんて呪いをかけてくれたんだ。あいつは・・・・・。

「・・・馬鹿が。俺ちゃんと返事してないぞ」

　俺は彼女が立っていた場所まで歩いていく。
　どこか暖かい場所だった。

　優しい気持ちになる。
　それと同時に、どうしようもなく・・・・・・寂しくなる。

　彼女は、あの『化け物』との戦闘に巻き込まれ、死んだ。
　だからもう、会えるはずなかったのに。

　予感がした。
　約束したんだ。
　事が終わったら、ここで待ち合わせをしようって。

　・・・・・・・

　雨が止んでいた。
　空からは光が差し込み、雲の隙間からは青空が見える。

　そういや・・・あいつ、雨好きだったな。


　雨上がりの匂いがした。








　>>>あとがき>>>

　ごめんなさいとてつもなく迷走シマシタ・・・
　ネタが浮かんでは消え浮かんでは消え浮かんでは忘れ浮かんでは廃棄。
　もういろんなのが混じっちゃって、さぁ大変状態でした。

　というわけで、「雨の日の幻」でございます。

　最初に考えた構成とは全く違います。全然違います。
　なんでこうなったんだこれは・・・？

　最初はなんていうか、うん。
　メインの彼女がどっかの誰かの死から立ち直り、新たな出発をするみたいなのを考えてたんですが。

　何処を間違ったのか、こんな具合になりましたとさ。


　さて。補足。
　『化け物』についてですが、深い設定などあるはずもありません。
　戦闘を書こうかと思ったりしたんですが、時間的都合と物語的都合とその他都合により割愛です。

　いつか違う作品で、この『化け物』が出る機会があるかも・・・・知れません。